私はもう、あなたの物語にはいません 〜婚約破棄から始まる辺境令嬢の静かな毎日〜
婚約者の隣には、いつも可愛い妹がいた。
そしてある日、彼は私に告げた。
「君より、妹の方がふさわしい」――と。
そうですか、そうですか。
淡々と婚約破棄を受け入れた私は、王都を離れ、辺境の小さな領地で暮らし始める。
澄んだ空気、美しい山々、温かく迎えてくれる人々。
王宮で押し殺してきた自分の感情と、やっと向き合える場所だった。
「私はもう、あなたの物語にはいません」
それは、悲しみではなく、自由を得た証。
これは、婚約破棄から始まる静かな毎日と、ゆっくり育まれる第二の人生の物語。
【プロローグ レイラ】
王都の豪華な邸宅の一室。重厚な扉が静かに閉まる音が、冷たい空気をさらに重くした。
「レイラ、話がある。」
頭のてっぺんから爪の先まで隙間なく飾り立てられた彼の自意識と反比例するように、彼の声はいつになく冷たく、無機質だった。
彼、婚約者である侯爵令息•レオナールは豪奢な椅子に腰掛け、こちらを見下ろすように視線を向ける。
「お前との婚約は、ここで終わりだ」
まるで他人事のように告げられた言葉に、私はただ静かに頷いた。
胸の奥で何度も繰り返し聞いたはずの言葉。
けれど、いざ現実となると、痛みは予想以上に鋭かった。
「理由は…?」
問いかける前に、彼の唇が冷たく震えた。
「もう話す必要はない。お前には相応しくない。」
彼の横には、あの妹の影がちらつく。
彼女を思い浮かべるだけで、胸が締めつけられたが、その感情を表に出すことは決してしなかった。
深く息を吸い込み、静かな決意を胸に刻む。
「わかりました。私は、もうあなたの物語にはいません。」
瞳には、涙ではなく小さな光が宿っていた。
「……そう、ですか。」
ようやく絞り出した声は、驚くほど落ち着いていた。
足元から崩れ落ちる感覚も、胸を焼くような怒りも、どこにもない。
ただ、長く読み続けた物語の最終頁を閉じたような——そんな静けさだけが残っていた。
大広間に、重たい沈黙が降りる。
その沈黙を破ったのは、婚約者の隣に立つ妹——リシェルだった。
「お姉さま、ごめんなさい……! 私、止められなかったの。気がついたら……彼を、愛してしまっていて……」
その瞳には、完璧に計算された涙の粒。
見惚れるほど美しい。
——ああ、そうだ。ずっとこの子は、こうやって人を惹きつけてきた。
私は彼女のために、何度も道を整えてきた。
力を貸し、名を貸し、時には身を削ってでも。
それを誇りに思ったことすらあった。
けれど、もう十分だ。
「……おめでとうございます。お二人の未来に、祝福がありますように。」
そう言って微笑むと、私は裾を翻し、大広間を後にした。
背中に向けられる、哀れみと好奇心の混ざった視線。
けれどそのすべてが、遠く霞んでゆく。
——これは、私が彼らの物語から降りる日。
そして、私自身の物語が始まる日だ。