ダンジョンの受付係が【隠しボス】
RPGゲームとは、ラスボスを倒して終わりではない。
〈エキストラボス〉
裏ボスを撃破してこそ、真のクリアだと俺は思う。
そこでひとつ、君に質問したい。
このダンジョンにおける最も強い隠しボスは誰だろうか。
答え。
ダンジョンの顔、受付係である。
***
「クーロくん、おっつかれー!」
ひんやりとした冷たい缶ジュースが俺の額に当たる。
驚いて上を見れば、にっこり笑ったアズ先輩が立っていた。
まぶしいばかりの金の髪。
長いポニーテールを揺らして、翡翠の瞳を細める彼女はかなりの美人さんだ。
俺と同じ受付の制服(下はスカート)を着たアズ先輩は、俺の隣の席に腰かけた。
「おつかれ様です、アズ先輩」
「うんうん、おつかれー」
ぷしゅっとプルタブをひねり、果汁20%入りオレンジスカッシュを、ゴッゴッと喉を鳴らして飲み干す。
「ぷっはー! やっぱり仕事終わりはこれですわ」
「いや、あの。まだ今日の勤務はじまったばかりですけど」
「細かいことは気にしないの~。それよりぃ、今日は『スイヨービ』だっけ? てことは、今日も昼間は暇そうだねー」
「そうですね。平日は夕方からが混みますからね」
俺はちらりと異界門を見た。
まぶしいばかりの金色の扉。
美しい装飾が施されたそれは、まさしく異界とこの地をつなぐ魔法の門だ。
二年前。
あの扉が突如出現し、中からひとりの男が現れた。
なんでも、昨今地球という名の異世界では次元のグローバル化とやらが進み、地球と異界を繋ぐ異界門が開発されたそうだ。
そのゲートをくぐってやってきたのが、コードネームCEO。
この『ダンジョン』の管理者に当たる地球人だ。
俺たちがいるこの世界、エイルドピアでダンジョンという名の娯楽施設の運営に乗り出したCEO。
彼が言うには、地球人たちは異世界に強い憧憬を抱いているらしい。
ダンジョンで冒険したり、のんびりスローライフしたり、異世界での生活を題材にした大衆娯楽が現在爆発的な人気を博しているそうだ。
しかし、CEOは『いやいや、いっそのこと地球と異世界繋いだほうが早くね?』とか思ったそうで、研究に研究を重ねて開発したのが、すぐそこに見えるゲートだ。
通称『ゲヘナゲード』
あそこから地球人たちがやってきて、この『ヘヴンズダンジョン』で『冒険者』を楽しむ。
CEO曰く、この世界に生息する多数の危険動物たちは、地球人たちがダンジョンと呼ぶ『フロアモンスター』に最適なのだそうだ。
しかも、魔法を秘めた異界のアイテムは地球では高値で取引される。つまり、
①魔法のアイテム(餌)を宝箱に入れる。
②冒険者たちは眉唾物のアイテムにつられて高い入場料を払いダンジョンへと潜る。
③運営者は大儲け。
それが偶然この地にゲートを開いたCEOが考えた『テーマパーク』の図式である。
アコギ……いやなかなかの商売上手だ。
しかしCEOの実力はそれだけじゃない。
当時、ただの洞窟にすぎなかったこの場所を、たった数ヶ月でダンジョンへと改築した彼の手腕は素直にすごいと認めざる得ない。
そして、一年前。
正式にダンジョンがオープンされた。
俺はそのとき楽に稼げる仕事を探していたから、この求人を見つけてこうして働いている。
仕事の内容は、ダンジョンの受付係。
やってくる冒険者たちに、ダンジョン内での遊び方を説明しつつ、回復ポーションなんかの購入をおすすめする大切なお仕事だ。
ちなみに隣には売店が併設されており、そちらではアイテムのほかに剣やら盾やら装備品が変える仕様になっている。
どれもこの世界の職人たちが作った一級品だ。
回復ポーションなんかはまあ、俺たちの世界では単なる茶のひとつだが、向こうの世界ではむせび泣くほどありがたられているらしい。
主に病院なんかで大活躍なのだそうだが、このあたりの感覚はよくわからない。
なにせ回復ポーションの材料は『きれいな水』と『グスグフの干し草』だ。
地球風にいえばハーブティー。
こっちの世界では普通に『グスグフの茶』と呼ばれている粗茶であり、まったくレアでも何でもない飲み物だ。
勤務時間は、九時間固定のタイムテーブル制。
朝8時から夕方4時までの勤務か、昼2時から夜10時までの勤務。
途中で一時間の休憩が入り、実際の労働時間は8時間となる。
このへんはあくまで地球基準の時間なので、俺たちには当てはまらない。
俺からすれば『朝』9時とか言われても、その日によって陽が暮れてたりするから、おそらく地球とこちらの流れる時間は違うとみている。
それでも、支給された腕時計(目覚まし機能付き)があるので、どうにか遅刻せずに出勤できている。
現にいまも受付には大きな時計が置いてあり、ヘイジツはあの時計の短針が『1』を過ぎると、地球人たちはやってくる。
一応ここの開店は午前9時なのだが、朝一から来るやつはそんなに多くはない。
大抵は夕方から夜にかけて。
その理由はCEOによれば、学校終わりの学生さんや、仕事帰りのカイシャインさんが来るからだと言っていた。
たまにシュフさんたちもくるけれど、その場合は昼にきて夕方には帰ってしまう。
朝からくるやつはよほどの暇人か、朝のみ出現するレアモンスター狙いの冒険者くらいだろうか。
ちなみにドニチシュクジツは一日を通してお客様は多い。
肝心の月給は金貨三枚。
地球換算で二十一万円だ。
破格の給料なので俺は満足している。
休みも週休二日だし、社員食堂もあるし、申請すれば社員寮にも住むことができる。
ただし、社員寮はこのダンジョン内になるのでおすすめしない。
魔物がいるし暗いしで、いくら格安物件でもちょっとな。
そんな俺はタンジョンから離れた町に住んでいる。
ウマで約四十分。
好条件のこの仕事で唯一不満があるとすれば、まさにここ。
ダンジョンまで通うのが遠い点だ。
なんどかほかの職を探したが、ここの待遇が良すぎてなんだかんだ勤め続けて一年になる。
オープン当初からいるからこれでも古参だ。
普段は酒場の二階に下宿していて昼はダンジョン内で社食を食べ、夜は下宿先で賄い料理が出る。
朝は水。食費は実質ゼロ。
稼いだ金はコツコツ貯金して、将来マイホームを買うのが夢である。
「──と、こんなところかな」
「どした? ひとりで腕組んでしきりに頷いて」
「いや、もうひとりの俺と会話してました」
「あー……、シロくんだっけ?。君、そういうとこあるよねぇ」
シロ。俺の中のもうひとりの俺である。
なにを言っているかが解らないと思うが、大丈夫だ。俺にもよくわからない。
しかし、誰しも心の中にはもうひとりの自分がいるものであり、俺はそれを悪魔と天使と呼んでいる。
そんな俺の名前はクロ。
本名はクロノスアイングロウ。
種族は悪魔族。地球でいうところの魔族とでも言っておこうか。
アズ先輩が頬杖をついて、ため息を吐く。
「いやさー、そろそろ私も親にいい人見つけて結婚しろって言われてるんだよね。それで今度の休みにお見合いパーティーに行こうか悩んでてさー、どう思う?」
「パーティーですか。まあ、先輩キレイですし、相手ならすぐ見つかるんじゃないですか?」
「またまたー、思ってもないこと言っちゃってー」
「思ってますよ。──ああ、お客様だ」
ゲートに厳つい男がひとり。
がっちり重装備で身を固めた30代そこらの男だ。
彼は受付前までやってくると、緊張した面持ちで口を開いた。
「すみません、こちらがゲヘナゲートの先にあるヘブンズダンジョンだとお聞きしたのですが、間違いないでしょうか?」
「はい、そうですよ」
アズ先輩が営業用の笑顔で答える。
ちなみに『ゲヘナゲート』は『地獄の門』。
『ヘブンズダンジョン』は『天国迷宮』という意味らしい。
俺の世界には馴染みのない概念だが、おそらく魔界と天界のことを言っているのだろう。
俺は男に尋ねた。
「こちらは初めてのご利用ですか?」
「は、はい。友人に薦められて、有給取って来たんですけど……いやっ、すごいっすね! ここが夢にまで見たダンジョンかぁ……」
男は目を輝かせてあたりを見渡す。
初めてここへ来た地球人の大抵が同じ反応する。
とくにニホンという国からのお客様が多く、彼らの見た目は一様に黒髪か茶髪でかつ、同じ色の瞳をした奴らが多い。
まれに金髪だの桃色の髪をしたやつもいるが、おそらく染めているのだろう。
CEOが言うにはいまは試験的な運営だから来場者を制限しており、ここへ来る地球人たちもいくつかのテストを合格した者のみらしい。
近い未来には、地球の各地にゲヘナゲートを設置して、国も身分も関係なくダンジョンを楽しめるようにしたいと話していた。
俺はいつものようにお客様へダンジョン内での遊び方を伝えて、その背を見送る。
アズ先輩が心配そうに眉を寄せた。
背中の白い翼が静かに揺れる。
彼女は神使族だ。地球でいう天使である。
「あの人、大丈夫かしらね? ひとりでダンジョンだなんて、結構危ないと思うんだけど」
「それはまぁ……」
ダンジョン内では、一応安全装置として死んでも復活できる術が施されている。
娯楽に命をかけては国の認可がおりないからとの話だ。
安全第一。
それがCEOの口癖だ。
「わたし、心配だからちょっと見てくるわ。クロくん、しばらくここ一人で平気?」
「りょーかいです」
羽根を広げて追いかけるアズ先輩を一瞥し、俺は着々とやってくる冒険者たちをさばいた。
***
それから三時間くらい経った頃だろうか。
ダンジョンの奥からアイテム管理部のジオンさんがやってきた。
作業服姿のくたびれたおっさんだ。
どうやら今日は宝箱の補充の日だったそうで、下層フロア部分の宝箱を新しくしてきたらしい。
当然だが、冒険者たちの大好きな宝箱はこうして裏方が設置しているのだ。
「いやー、さっきのはマジでしんどかっわぁ。爆薬ばっか使う奴らがいて、煙がすげーのなんのって」
とは、彼の談だ。
なんでもやたらと敵に爆発系のアイテムばかり使う輩がいるらしい。
しきりに『あのクソ部長、爆ぜろ!』とか言っているそうだ。
ストレスでも溜まっているのだろう。
ジオンさんは酒片手に言った。
「あ、そういやさっきアズちゃん見たぞ」
「あー、なんか新規で来たお客さんが心配で見に言ったぽいです。というかそれ、見つかったら、また怒られられますよ? いま勤務中なんですから」
「あっはっは! これは酒に見えて中身は水だから問題ねぇのさ。それより新規? んじゃ、もしかしてあの爆発野郎がそうか? あの、やたらごっつい装備してた」
「ああ、そうかもです」
「ふーん?」
ぐびりと、ジオンさんが酒をあおる。
「じゃあ、ちっと不味いかもなぁ……」
「? なにがです?」
「ほれ、アズちゃん。ああ見えてCEOに惚れてんだろ? だから、このダンジョンぶっ壊すようなことされたら、かなり怒るんじゃないかって思うんだよ、俺はさ」
「ああー……、たしかに」
アズ先輩はCEOに熱を上げている。
しかしCEOにはすでに綺麗な奥さんがいて、愛妻家でもあるので、アズ先輩はこっそり想いを寄せている。
だから行き遅れ……いやこういうこと言うとアズ先輩の殺戮の天槍が降ってきそうだからはっきりとは言わないけど、つまりは売れ残りなわけだ。
ともかく、普段は魔法で編まれた破壊不能の付与が成されているダンジョンだが、何かの拍子に術が外れると、フロアが倒壊するおそれがある。
それは決まって、爆発系のアイテムを連用された時であり、しかも神級レベルの爆弾。
文字通り、この世界の古神文字が刻まれた爆弾だ。
材料もレア。
貴重なアイテムゆえ、このダンジョン内でも天層フロアの宝箱でしか手に入れることができない。
それを耐神級付与が成されていない下層フロアで使われると、察しの通り、ダンジョンは壊れる。
ゆえに、その爆弾の仕様は上層のみで使うよう注意事項にもかかれているのだが、たまに守らないお客様もいる。
そこは全フロアに耐神級付与しとけよと思うがコストの問題があるのだ。
だからルール違反者が出ないよう、しっかりお客様へ注意事項を伝えるのも俺の大事な役目だ。
さらに、そんなルール破りのお客様には、アズ先輩が鉄槌を下す。
このダンジョン内での迷惑行為ならびに破壊行為には、もれなくアズ先輩によるドぎつい光の制裁が降り注ぐので、注意されたし。
俺は受付席から立ち上がる。
「じゃあ、俺、見てきます」
ジオンさんがきょとんとした顔をする。
「ええ? そしたら受付どうすんよ、いなくなんじゃん」
「ジオンさん、お願いします。次のピークまで一時間くらいありますし、まあ、大丈夫でしょう」
「いや、俺宝箱補給係だし。受付の仕事なんてできねぇよ?」
「大丈夫ですよ、ただ座ってるだけの簡単なお仕事ですから」
「おまえそれ、CEOに聞かれたら怒られんぞ」
渋々と言った感じで引き受けてくれたジオンさんに礼を述べると、俺は下層フロアに向かった。
***
「さてと、どのへんかな」
このダンジョンは、上に行けばいくほど強い魔物やボスが出る。
下層・中層・上層・天層の四つに分かれており、新規の奴ならせいぜい下層止まり。
いわゆるゲームでお馴染みらしい『レベル』。
このダンジョン内にレベルは存在せず、個別の身体能力が物を言う。
ゆえに、上に行くには個人の技量と装備品。
当然ながらレア装備を身につければおのずと強くなる。
これはダンジョン内の宝箱や交換所で入手できる。
個人の技量、スキルは経験則による。
地球人は魔法が使えないから、せいぜい武器の扱いを熟練させるか魔法アイテム便りとなる。
そしてダンジョン内で狩った魔物の数や強さに応じて『ポイン』が貰える。
コインとポイントを掛け合わせた言葉らしいポインは、その名の通りダンジョン内での通貨だ。
剣に防具。
回復薬に魔法アイテム。
食べ物とも交換できるそれは、一定数貯めると【成長のしずく】と引き換えることができる。
【成長のしずく】とは、特定の付与値を上げられる魔法アイテムだ。
物攻、魔攻、物防、魔防。
あとは俊敏性。
いわゆる強化魔法というやつだ。
この付与値を積むことで、個人の身体的な技量とあわせて強くなっていく。
そんな仕組みだ。
ちなみに、この世界には多くの魔法が存在するが、【成長のしずく】は人間の魔法使いどもが使う『付与魔法』を道具化したものらしい。
しずくの色が赤なら物攻、青なら魔攻、というように色別で強化したい内容が変わるのだが、このへん仕組みは俺にもよくわからない。
詳しくはアイテム開発部に聞いてほしい。
【成長のしずく】を使い、たくさん強化することで魔物の討伐がしやすくなる。
だから地球人たちはその【成長のしずく】を目当てにポインを稼ぐべくダンジョンに潜るのだ。
「さてと」
俺はあたりを見渡した。
このあたりには例の迷惑なお客様はいないらしい。
「もうひとつ上の層に上がるか」
フロア端の転送陣に足をのせた時、突如フロア全体に衝撃が走った。
下か?
俺が急いでワープすると、ジオンさんの言う通りになっていた。
白煙と瓦礫の数々。
見事に壊れたフロア全域の中央──そこにアズ先輩はいた。
「いたいた」
「テンメェッ、マジでふざけんなよ! CEOの愛するこのダンジョンをぶっ壊しやがって、覚悟は出来てんだろうなァ!? アァ!?」
超怖い。
冒険者の胸ぐらをつかんで捲し立てるアズ先輩は鬼のような形相だ。
冒険者は白目を剥いて気絶している。
「アズ先輩。落ち着いて」
「ウルセェ! これが落ち着いていられるかってんだ!」
「や、その人、しんじゃいますし」
「はん! どうせ死んでもゲート前に戻るんだ。だったらせいぜい痛め付けてから送ってやるぜ! ヒャッハー!」
ボコボコ殴り始めた。
うーん、流石は天使と悪魔は紙一重。
普段は優しく明るいアズ先輩だが、キレると昔が出る。
大昔は天界でブイブイ言わせていたらしいから、今はこれでも丸くなった方だとジオンさんが前に言っていた。
やっとアズ先輩の制裁か終わり、冒険者の身体は床に倒れた。
「──で、ずいぶん派手なぶっ壊しですけど、神級爆弾を?」
「……ごほん。それがわからないのよ。召喚用のアイテムを使ったところまでは見たのだけども」
元に戻ったアズ先輩が天井を見上げる。
ぱらぱら石くずが降ってきて今にも倒壊しそうだ。
とはいえ四つの階層は微妙に次元をずらしているとかで、下層の上、つまり中層部より上の階への影響ない。
あるのはこの下層フロア1から10まで。
この様子だと一気にぺしゃる未来は確定している。
しかし案ずることなかれ。
修繕作業は一瞬で戻る。なんとも便利な建築魔法なのである。
俺はアズ先輩に尋ねた。
「わからない? 召喚用って……なにを出したんです?」
「さぁ」
アズ先輩が肩をすくめる。
通常、召喚された魔物は召喚者の側にとどまる。それがどこにもいない……?
俺はあたりを警戒しつつ後ろを振り返ると、ふいにあの冒険者の身体が黒いモヤに包まれた。
まがまがしい気。
その姿が次第に変貌する。
「アズ先輩、離れて!」
「──っ!?」
冒険者の身体は風船のごとく膨れ上がり、天井に届くほど高く背丈が延び上がる。
頭部には一対の角が。
背中からは黒き羽根が。
その形相は──まさに悪魔だった。
紅の双瞳を光られせた大悪魔がそこにいた。
「あれは……エンペルデーモス……」
アズ先輩の瞳が揺れる。
──ときに、憑依型の幽鬼というものがこの世界には存在する。
悪魔っぽい見た目の残滓体。
人の無念。
賊や魔物に襲われ死んだ者たちの未練の塊。
通常はただの彷徨う幽体だが、ときおり人に取り憑き、死へと誘うことがある。
中には対象者の身を闇の化身へと変貌させることがあり、それがあの黒き魔人である。
ああしてゴーストが取りつき、変わり果てた冒険者のことをこのダンジョン内では元冒険者の悪魔帝、などと御大層な名で呼んでいる。
「どうします? あれ」
「そりゃあ、狩るしかないでしょ!」
アズ先輩が頭上に右腕をかざして神呪を唱える。
幾本もの光の槍が降り注ぐ。
アズ先輩の十八番〈殺戮の天槍〉だ。
「これでおしまい──って、ええ!?」
余裕の笑みをこぼしたアズ先輩の瞳が驚愕に見開かれる。
僕も前方に目を向けると、無傷のエンペルデーモスがそこにいた。
「おかしいわね。あんなカス残滓、いつもなら木っ端みじんなのに……」
カス残滓呼ばわりとはまた酷い。
エンペルデーモスが咆哮を上げ、アズ先輩に向かって突進する。
アズ先輩が羽根を広げて、エンペルデーモスの太い拳を受けとめる。が、瞬く間に弾き飛ばされてしまう。
「アズ先輩!」
「きゃあ──っ!?」
悲鳴をあげ、アズ先輩は床に打たれる。
膝をついて苦しげに上体を起こした。
「ま、まさかユニーク……?」
ユニーク、とは特殊な変異体のことだ。
このダンジョン内で多くの冒険者を屠ると進化をとげる魔物。
下手をすると、フロアボスをも越える個体も出てくるのだとか。
「どどどど、どうしよう! クロくん! あの燃えカス残滓やたらと強いんだけど! 天使の鉄槌はねのけたよ!?」
「そうですね。天魔法が効かないゴーストとか、どんな進化を遂げたのかちょっと気になりますね」
「ええええええ! なんでそこでワクワク!? 天魔法が効かないんだよ!? 光が効かない闇の者なんて、悪魔王くらいだよ!」
「たしかに」
悪魔の帝王。
魔界を統べる王のことだが、つまりはあの悪魔帝は、その名の通り悪魔王に匹敵するほどの強さと言うことだ。
話は少し逸れるが、王と帝ってどっちが強いんだろうね。
ともかく。
それじゃあいくら『殺戮の天使』と名高いアズ先輩でも荷が重い。
降り注いだ光矢の雨をエンペルデーモスは咆哮ひとつで掻き消した。
アズ先輩が黒くて大きな腕に捕まれた。
苦悶の表情を浮かべてアズ先輩の身体が締め上げられる。
「くっ……クロくん、逃げ、て……。そしてイケメンの増援を……」
アズ先輩の目の端からしずくがこぼれる。
なんとも余裕のある苦しみかただ。
「……まあ、しょうがないですね」
いちおう先に断っておくと、これから始まるのは軽いお仕置きを兼ねた『ご説明』である。
間違ってもお客様に危害を加えるつもりはないのであしからず。
俺は黒い電撃を右手に圧縮させると、ひとつの剣を造形する。
「──では。お客様にひとつ、当ダンジョンにおける【遊び方】をご説明しましょうか」
その一。
「当ヘブンズダンジョンは四つの階層に分かれております。上から天層、上層、中層、下層。これらで使える魔法アイテムの中には階層制限がございます」
その二。
「下級アイテムはどの層でも扱えます。中級は中層以上。上級は上層。そして、お客様がお持ちの天級アイテムは、天層フロアのみでのご使用に限られております」
その三。
「万が一、こちらの制限を破った場合は〈殺戮の天使〉アズエルによって罰が執行されますのでご注意ください」
三度、太刀を浴びせて一息。
僕は大きく口を開き、最後──
「以上。ルールを守って安全第一に楽しく遊びましょうっ!」
光のエフェクトさながら爆裂音とともに、俺が剣を振りかぶると、エンペルデーモスの身体に深い傷が刻まれた。
地球でいう、袈裟斬りというやつだ。
エンペルデーモスは耳障りな断末魔を上げると黒い残滓は男から抜け落ち、やがて消失した。
男の身体が元の形に戻る。
光に包まれ姿を消した。
どうやら無事にゲートの入り口へと転送されたようだ。
「はー、疲れた」
僕が一息つき剣を消すと、ぼろぼろのアズ先輩が駆け寄ってくる。
「いやー、お見事、さすがはクロくんだね」
「いや。あれくらいアズ先輩がなんとかしてくださいよ。おかげで僕の制服に砂ついちゃったじゃないですか」
エンペルデーモスとアズ先輩の攻防のすえ巻き上がった砂塵。
僕のシャツが埃っぽくなってしまった。
わずかばかり抗議の視線を送るとアズ先輩はまったく悪びれもない様子で笑った。
「ごめんごめん。油断しちゃった」
でも、と俺の額をトンと指で押す。
「流石はこのヘブンズゲートの隠しボスだね。かっこよかったぞ? せっかくだから、お姉さんのことお嫁さんにどう?」
パチリとウインクつき。しかし──
「すみません、そろそろ混む時間くるんで」
「ええーーーーー!」
うしろで騒ぐアズ先輩を無視して、俺は額に浮かび上がっているだろう紋様を手で隠し、転送陣の上に足を乗せた。
──ダンジョン最層にある、蒼天の間。
ヘブンズダンジョンのラスボス〈ゼオス〉がいる神の御座。
そこに繋がる長い長い回廊の途中にある、女神の石像。
その脇の石壁を壊すと、小さな通路が隠されている。
そして、その隠し通路を進むと、深紅の扉に彩られた、開かずの部屋がある。
ラスボス撃破後に手に入る、巨大な鍵。
それを固い錠前に差し込み、開かれた扉先に鎮座するのが、
隠しボス〈クロノスアイングロウ〉。
魔族を統べる、悪魔王の名前である。
そう。
これは、隠しボスである俺と、ヘブンズダンジョンで働く愉快な奴らとの、ささいな日常の記録だ。
《なぜ開かずの部屋にいないの?》
おっと。もう一人の俺が語りかけてくる。
なぜ定位置にいないのか、だって?
そんなの、決まってる。
あんなところにいるのは退屈だし、初手で正体を見抜いた奴のみが、この俺を倒せるという、ゲームのルールを無視したサプライズ仕様なのである。それに──
「だってほら。ダンジョンの受付係が隠しボス、だなんて誰も思わないでしょ」
─ 終わり ─