ある人間の日常3
それから何日か過ぎた、6月の中旬。
「ちょっと!!いつまで待てばいいのよ!!」
「・・申し訳ございません。もう少々お待ちください」
「ちょっと!!患者さんのバイタルはそっちで確認してって言ったでしょ!!!」
「・・・すいません。」
本日も仕事だ。
山中先生がいなくなってから、先生減ったせいで患者の待ち時間が長くなったり、看護師の負担が増えていたりでみんながイライラしている。
斯くいう事務側も看護師の負担軽減のために、採血の準備やら、患者の問診やら、色々とやることが増えていて手が回らない。
怒られても困るが、気持ちはわからないでもないな、とため息をつく。
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怒涛の午前を過ごし、休憩時間になった。
同僚はみんなで外にランチをしに行っている。
一応お情けで誘ってもらえたが、私はお弁当があるので遠慮した。
そんな自分で作った美味いとも不味いとも思わないお弁当を腹に詰め終わり、
いつも見る夢のことに思いを馳せていた。
そんな折、院長に呼ばれた。
「水樹ちゃん」
「はい。水流院長。どうされましたか?」
水流院長は温和でのほほんとして見えるが、昔は製薬業界で日夜医薬品の研究をしてバリバリ働いていたと聞いたことがある。
今はとても優しい、従業員・患者思いの先生である。
「こっちに来てくれるかな?」
「はい。」
院長に呼ばれたので、院長室に向かう。
なにかやらかしただろうか?
私はあまり目立つ方ではない。
大きなミスも覚えはない。
そんなことを悶々と考えていると、院長室に着いた。
「入っておくれ」
「はい。失礼します」
院長室はいつもは色々な資料にあふれているが、今日は随分と片付けられているようだ。
その中で1人の男性が応接用のソファに座っている。
<あ、来客があったのか>
ふと男性がこちらを向き、目が合った。
虹彩が揺れ、瞳が金色に光ったように見えた。
「こんにちは。」
「あ・・・こんにちは」
ビックリして反応が遅れてしまったが、挨拶は返せた。
そして院長がのほほんと話かけて来た。
「清波さん、こちらは伍代先生です。
山中先生が退職されて、みなさん忙しい中よく頑張ってくれました。
伍代先生は僕の昔の同僚のお知り合いでね。お若く見えるけど、経験も豊富でいい先生なんだよ。
ずっと海外でボランティアもしながら働いていたんだけど、ダメもとで声をかけたら来てくれるって言うからね、これからここで働いてもらうんだ。」
「そうですか、それはとても助かりますね。清波水樹と申します。
伍代先生。これからどうぞよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。微力ながらお手伝いをさせていただきます。伍代、澄です。」
「すみ・・先生・・・」
「さんずいに登ると書いて、澄です。」
「あ、失礼しました。・・・素敵なお名前ですね」
綺麗な名前だ。
「えぇ、気に入ってます」
そう言って微笑む姿はなんだか幼くも見えた。
「あぁ、挨拶は済んだかな?そこで、休憩中申し訳ないんだけど、水樹ちゃんには伍代先生に病院内の案内と、電子カルテとかの使い方を教えてあげて欲しいんだよね。僕は午後の診療の準備をしなきゃいけないからさ。もちろん、今とれなかった休憩は後で取っていいからね。」
「・・・承知いたしました。」
ぶっちゃけ医者は苦手だ。
横柄で自分が1番だと思っている奴が多い。
人は自分のためにいると思っている。
自分が拒否されることは考えていないし、プライドが傷つけられたらすぐに攻撃してくる。
できれば関わりたくない。
この先生はどうだろう?
近くにいると安心感があるが、不思議な雰囲気だ。
あまり人間を信用し過ぎてはいけない。
そうじゃないと、また・・傷ついてしまう・・・・
院長に頼まれた通り院内の案内や、電子カルテの使い方を軽くお伝えし、午後の診療が始まる時間になったので、伍代先生を再度院長室に案内して仕事に戻った。
伍代先生は第一印象のまま、穏やかな優しい先生だった。
一介の事務である私にも威張るでもなく、しっかりと敬語で話してくれる。
印象としては悪くない。
医者なんか傲慢知己で、事務を見下す奴ばかりだったのだ。
文句ばっかり言って、自分以外は同じ医者であっても馬鹿だと思っている節がある。
それに加え、距離が近かったり、無遠慮に身体に触ってくるような奴もいた。
それが許されてきたんだろうか。
そう考えると医療の世界って闇が深い
きっと医者というだけで、ちやほやされてきたのだろう。
調子に乗らせた周りも悪い。
人間なんぞ皮を剥いだらみんな肉と骨なのに、と言ったのは誰だったか。
伍代先生が来てくれれば、きっと働きやすい職場になるだろう。
まぁ、働きづらくても辞めるつもりはないのだけれど。
このクリニックの院長は、昔お世話になった孤児院の院長の兄弟だ。
もともと、高校卒業後はお世話になった清波夫妻に恩返しがしたくて、神社で働かせてもらおうと思っていたが、こちらの病院の人手が足りなくて困っていると聞いて、早急に医療事務の資格をとって就職した。
昔からなにかと怪我をした時などはこちらでお世話になっていたので、恩返しができる機会がもらえて嬉しい。
なのでちょっとやそっとのことじゃ辞めるつもりもない。
ちなみに休みの日はなにかと瑞葵神社にも顔を出して手伝いをしている。
そんなこんなで午後の診療が終わり、最後の患者さんの会計が終わった。
レジ金の確認など、締めと呼ばれる作業が終わり、制服から着替えていると同僚の相澤さんから声をかけられた。
「ねえねえ、水樹ちゃん」
「はい」
相澤さんは私よりもだいぶ年上のお姉さんだ。お子さんも2人いて、それなりに大きいらしい。
こんなに愛想の悪い自分にも明るく声をかけてくれる、職場のムードメーカーだ。
「今日新しい先生に会ったって本当?」
「はい。みなさんが昼食で外出している時にいらっしゃいました」
「そっかーー!見たかったな!どうだった?」
「・・・どう?とは?」
「えーーっと、性別はどっちだったーとか、美形だったーとか、禿げてたーとか、喋り方が変とか、・・うーん、なんか特徴??」
「なるほど・・えー、性別は男性でした。見た目は・・綺麗な顔立ちの方だと思います。傲慢な感じもなく、いい先生でしたよ」
「まーーーーじか!!当たり先生じゃん!嬉しいすぎ!!」
相澤さんはニコニコしている。
人が笑っていると私も嬉しくなる。
「良かったですね。」
「ふふっ、相変わらずクールだねえ」
そう言った相澤さんは着替え終わっていた。
他の方も着替え終わっていた。
私ももう少しで着替え終わるが、みんなと一緒に帰るほど仲も良くないので
「良ければみなさんお先に上がってください。私が最後に施錠確認していきますので」
「えっそう?じゃあ、お言葉に甘えようかな!お疲れ様!お先に!」
「ええ、お疲れ様でした。」
「お疲れ様です」
帰る準備が終わっていた同僚が出て行ったのを確認し、ゆっくりと着替えを終わらせる。
着替え終わり、お弁当箱を洗ってそのままにしていたのを思い出したので休憩室に取りに行く。
電気が消されて仄暗くなった廊下を歩く。
休憩室について蛍光灯のスイッチを入れようとした時、シンク前に黒いモヤのようなものが見えた気がした。
嫌な感じがする。
そのまま蛍光灯のスイッチを押してもう一度見ると普段と変わらず、銀色に鈍く光るシンクがあるだけだ。
嫌悪感ももう感じない。
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クリニック内のすべての施錠を確認して裏口から外に出る。
裏口を締めて帰路に着こうとした時、視線を感じた。
全身が粟立つような嫌悪感が駆け巡る。
キョロキョロと視線の元を確認していると、後ろから声をかけられた。
「清波さん」
ビクッと肩が跳ねる。
恐る恐る後ろを振り向くと、伍代先生が立っていた。
「え・・伍代先生?こんな時間にどうされたんですか?」
「あぁ、ビックリさせてしまってすいません。忘れ物をしてしまったみたいで、取りに来たのですが中がもう暗かったのでどうしようかと思って・・裏に回ったら清波さんがいらっしゃったので、声をかけてしまいました。」
「そうだったんですね。では中にどうぞ」
そう言って締めた裏口を再度開ける。
「お手数おかけしてすいません。すぐに取ってきますね。」
伍代先生は中に入り明かりを点けて進んで行くので、私も後に続く。
休憩室の前に着いた時
「多分ここですね。ここで待っていてください。」
そう言って先生は休憩室に入り、そして1分も経たないうちに出てきた。
「ありました。」
先生はにっこりと微笑んでいる。
「そうですか、良かったです。」
ーーーさっき私が休憩室にきた時、忘れ物なんてあっただろうか?
私は先ほどお弁当箱を取りにきた時の休憩室の様子を思い出していた。そこにいつもと違うものはなかったと思う。
疑問はあるが、先生がわざわざ嘘をつく理由もないだろうし、と気にしないことにした。
「お手数おかけしてしまって申し訳ありませんでした。」
先ほどと同様に裏口から出る。
「いえ、とんでもございません。忘れ物、見つかって良かったです。」
「ちなみに、夕食の予定はもうお決まりですか?」
「え?いいえ、特には・・」
「では、お詫びと言っては何ですが、良ければ食事でもいかがですか?」
「食事・・ですか。」
「ええ、ご馳走しますよ。」
「いえ、大したことをしたわけでもありませんし、お気になさらないでください。」
私がしたことと言えば、裏口を開けたのと、もう一度締めたくらいなものだ。
食事を奢ってもらうほどのことはしていない。
「できればここら辺で美味しい食事処があったら教えて頂きたくて・・人助けだと思ってご一緒していただけませんか?」
「・・・そういうことであれば、ご一緒します。」
そこまで言われては断るのも忍びない。
「私のおすすめで場所でよろしいですか?」
「はい、ぜひ」
にこやかに返された。
「では、こちらへ。」
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「風鈴亭?」
「はい。昔からお世話になっているんです。とても美味しいんですよ。」
着いたのは所謂町の定食屋さんだ。
ーーーガラッーー
「いらっしゃいませー!あらっ水樹ちゃん!こんばんは!いらっしゃい!」
女将の松子さんが元気に迎えてくれる。
「松子さんこんばんは。2人なんですけど、いいですか?」
「もちろんよ!空いてる席どうぞ!」
席に通されてメニューとお水が机に置かれた。
「ここはお水がとても美味しいんですよ。」
水を口に含みゆっくりと嚥下する。
仕事終わりの疲れた体に染み渡るようだ。
「・・・ふう。」
詰めていた息を吐き出す。
伍代先生も同じように水を飲んでいた。
「・・・確かにとても美味しいですね。」
「はい。水が美味しいので、食事も美味しいんですよ。」
そう言ってメニューを差し出す。
私は魚が食べたい気分だったので、鯖の味噌煮定食を頼む。
先生は生姜焼き定食を頼んでいた。
食事が来るまでの間はすごく盛り上がるわけでは無いけれど、途切れることはなく先生と会話する。
というより、先生が気を使って色々話しかけてくれる。
私は聞かれたことに答えながら、同じような質問を先生に投げていた。
そろそろお腹すいたなと思った頃
「はーい!お待たせしましたー!」
丁度松子さんが食事を持ってきてくれた。
「「いただきます」」
手を合わせてから食事を始める。
ふっくらした脂ののった鯖の身を丁寧にほぐし、甘じょっぱい味噌だれに絡めて食べる。
すかさずツヤツヤと光を集めている白米を口に入れると、白米の甘さと鯖の甘じょっぱさが混ざって、すごく美味しい。思わず頬が綻ぶ。
ふと視線を感じて伍代先生を見ると目があった。
「?どうされましたか?早く食べないと冷めてしまいますよ。」
「・・あぁ、そうですね、いただきます。」
先生も同じように生姜焼きと白米を食べた。
お肉と一緒に炒められた玉ねぎのシャキシャキとした音が聞こえる。
先生は一度目を開いた後、美味しそうに目を細めた。
「美味しい・・・」
「お口に合って良かったです。」
心の中で、そうでしょうとも!と私が得意げになってしまった。
食事の時は特に喋ることもなく、2人とも料理を味わうようにゆっくりと食べる。
最後の一口を飲み込んで、水を飲む。
「・・ふう、ご馳走様でした。」
「ご馳走様でした。」
先生も食べ終わったみたいだ。
「とても美味しかったです。素敵なお店を教えてくださってありがとうございました。」
「いえ、お役に立てて良かったです。」
定食屋に長居は無用だ。
食べ終わって一息ついたらお会計してお店を後にする。
これぞ定食屋の流儀だろう。
お会計の時はもちろん自分の分は払おうとしたが、伍代先生の「お礼ですから」という笑顔の圧に押されて結局奢ってもらってしまった。
「伍代先生、ご馳走様でした。大したことはしていないのに、返ってすいません。」
「いえいえ、清波さんには大変お世話になりましたから、これくらいのお礼では返せないくらいですよ。」
随分大それた言い方だ。
「あ・・そんな、お気になさらないでください。」
「ふふっお優しいですね。では、そろそろ帰りましょうか。」
「あ、はい。」
先生と一緒に歩き出した。
家まで送ると言われたが、そこまで迷惑はかけられないのと、風鈴亭から家までは遠くないので遠慮した。
先生は今後クリニックの近くにアパートを借りる予定らしいが、まだ住まいは電車の距離とのことなので、途中で別れる。
「では、また。今後ともよろしくお願いします。」
「はい。お疲れ様でした。おやすみなさい」
そう言って先生とは反対の道を歩いて行く。
さっき先生に言われた言葉を思い出す。
「優しい・・か・・。」
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今日も夢を見る。
男の子が血を流して倒れてる。
大人が周りを囲い子供を見下ろしている。
吐き気を催す光景だ。
大量の血が流れ出ている。
ああ、あの子は助からないだろう。
ーーー周りの人間どもは怒っているのだ。
あの絢爛な人を逃したことを・・・
大人たちが騒いでいる。
「祟りが起こるぞ、災悪に備えなくては!!」
「火だ!火を用意しよう!」
「しかし、これからどうすればいいんだ!」
「こいつを生贄にするのはどうだ!」
うるさい。
自分のことしか考えていない、私利私欲ためなら子供をいたぶることも容赦無く行える外道共。
もはや人間などではない。
ーーーあぁ、あの絢爛な人は逃げられたのだろうか。