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春爛漫にて霞深し(前)

*11.08.10改稿



さわりと心を撫でる焦燥に似た気配があった。無意識のうちに眉間に皺がより、珱璃(エイリ)は編み上げ靴の紐を締めあげて手早く結んだ。


出々(デイ)、行くぞ」


声にこたえて歩いてきた騎獣の背にごく軽い鞍をかけ、手招けば引く必要もなく出々はついてくる。賢い騎獣をひとなでして、ひととおりの装備を確認した珱璃はひらりと出々にまたがった。ここのところ毎日のように遠出しているが、出々は集落の外を走れると察しているのだろう、心なしか早足で歩む。労りと感謝をこめてもうひとなでした。


朝もやのかかる山間の集落は静かである。集落出口への道すがら、起きだしていち早く仕事を始めた獣舎番や遠出する狩人が共犯者の笑み(・・・・・・)で珱璃に手を振った。まだ辺りは薄暗いが、もうしばらくすれば明け始めた空の乳白色が、だんだんと生気を取り戻すように橙に染まり広がっていくだろう。暁と黄昏の双子神、ヴィシュマとヴァイシュアに与えられた聖なる色合いだ。


「ヴィマア………」


暁の空の色は、女の頬のように、繊細でうつくしい。


「悪いな、白亜」


そこで思い至った少女に、誰にとも聞かせず珱璃は小さく謝罪した。幼馴染にして自分の世話役をまかされている彼女は、今朝もあの白装束でもぬけの空になった珱璃の寝床を見て顔色を変えているのだろう。(かんなぎ)候補である白亜もたいがい朝が早いが、幼い頃から森に慣れ親しんだ珱璃の早さにはかなわない。


追手(・・)の影がないことを確認しつつ出々を駆けさせる。振り返り、誰も追って来ない――と気を抜いて真正面を見、珱璃は思わずげ、と呟いた。


行く手に仁王立ちするあの華奢な人影は、よもや。


「珱璃っ!!」


気合一発、びりりと響く声で威嚇した彼女は、白亜は、なんと鞭を所持していた。


ビシィッ!!


巫の霊力をこめて地面めがけ一閃されたそれに思わず出々をとめる。


「………――――お早う。今日も美しいな、白亜」


「おはよう、言うことはそれだけかしら? この放蕩者」


けぶるような睫毛、意志の強い瞳、薄いくちびるから紡がれる声は雲雀のように美しい。容貌もさながら、年少でありながら巫候補の筆頭たる実力と威厳を驕ることなく持ち、一分の隙もなくととのえられたぬばたまの髪と全く乱れがみられない白装束にみえるように、彼女は大変な努力家で自身に対して完璧主義である。


連敗を喫している早朝の攻防に対策を立てない筈がなかった。


「いい加減に追いかけっこもあたしは疲れたわ」


「それは良くない。時には休養するべきだろう」


珱璃は話をそらしてうまいことまるめこめないものかと試みる。が、鞭をもてあそびながら、白亜は一回り以上上手であった。


「そうね」


にっこり笑い、


「貴女と共寝なら日が昇っても寝ていたいものだけれど?」


とびきり嫣然と色めいた息をのせて彼女は言った。本気と書いてマジと読む眼である。暗に次は寝込みを襲ってでも止めると脅し、白亜は満面の笑みをつくった。幼馴染だけに、二人は交わす言葉が少なくとも表情で雄弁に語り合っていた。


「……………」


「さあ、今日こそあたしと一緒に“楽しい朝の禊のお時間”よ」


「……………それは困った」


「何が困ったのかしら?」


「もうすぐ轟姫(ゴウキ)様の生日(シエンリィ)なんだ」


「…………旧知の事実よと云いたいところだけれど。聞きましょう?」


珱璃が口にした件のひとは白亜もよく知った人物であり、なおかつ、八族の娘たちの敬愛をその身に受ける女傑である。珱璃は幼い頃から彼女に世話になっており、生日の贈り物を互いに欠かさぬ仲なのだ。


「あの方には翡翠も瑪瑙も贈り果たした」


「…………」


それとこれと何の関係が、と言いたげである白亜に、言い返すひまもあたえず珱璃は言い募った。


「贈り物を何にしようか探してる。いい兎や狐が捕れれば手袋か襟巻き、珍しい薬石を見つけたらそれを贈るし、、見つけたらそのままその日のうちに渡そうと」


とどめに、ちいさく息をついてうかがうように白亜を見つめる。


「…………駄目か?」


かいしんのいちげきであった。


案の定厳しくは接すれども基本的に珱璃を甘やかしがちな白亜は大変動揺した。


巫候補といえども、所詮幼馴染(えいり)馬鹿である。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………っわかったわよ! 行って来なさい!」


やけっぱちのように手を振り上げて白亜が怒鳴る。空中でぴしりと音を立てた鞭は見事な手さばきで白装束のどこかに収納された。珱璃はにやりと笑って、


「ありがとな」


そのまま出々を駆けさせ、木々の間に姿を消していった。今日も今日とて山を二つ三つ越えてスイーベの丘あたりまでは行くんでしょうね、と考えつつ、欠伸をこぼし白亜は踵を返す。私のこのお役目はいつまで続くのかしら。大巫女様はどうあがいたって諦めるような方じゃないし、キマイラ様だって巫の務めにつかないあのこにただでさえ良い顔をされていないのに。珱璃はいつまで出々を手放さないつもりなの?




(どうやったって逃げられないのに。)










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