少女
「くそっ」
ロルフは自宅の庭まで戻ってくると、落ちていたブリキのじょうろを力いっぱい蹴飛ばした。じょうろは庭を何度も激しく跳ねて、ハーブの茂みに飛び込んでいった。衝撃でノズルが外れて足元に落ちる。
ロルフはため息をついてノズルを拾い上げた。周りに人がいるとは考えにくかったが、立ち上がると急に不安になってあたりをきょろきょろと見渡した。こんな狂暴な態度を取った自分を誰かに見られていないかが気がかりだった。鋭い爪を持つ手の中の、外れたノズルを見て後悔が胸をせりあがった。
へこんでいませんように。へこんでいなければ注ぎ口にはめ込めばなおる。ロルフはハーブの茂みを覗き込んだ。
「え、誰……?」
そこには、黒っぽい、大きな翼を背中に生やした少女が倒れていた。あろうことか、少女の額からは血が出ており、そばにブリキのじょうろが転がっていた。
鳥人間。ロルフは今まで鳥人間というものに会ったことがなかった。背中に大きな翼があるために、横向きでベッドに横たえた少女をロルフは見下ろす。少女は鳶を思わせる、こげ茶に近い色で、つやのある羽が生えそろった大きな翼をもっており、肩よりも短く切りそろえられた髪も翼の色と同じだった。白いワンピースを着ているが、汚れていた。ワンピースからのぞく肌は陶器のように白かった。昔、おばあさんが読んで聞かせてくれた本の記述に、鳥人間は人間とともに空に住んでいるという情報があったのを思い出す。この少女は空から落ちてきたのだろうか?
「うう、ん」
少女がうめいたので、ロルフは慌てて少女の額に張ろうとしていた大判の絆創膏を引っ込めた。少女は目を開ける。やがてその焦点が合う。
「……やあ」
ロルフはできるだけ自分が無害に見えるように努めて明るく挨拶した。しかし、不器用ににっこりと上げた口角のせいでとがった犬歯がむき出しになったのがいけなかったのか、少女は悲鳴を上げてベッドを飛び降り、足を絡ませながらいろいろな壁にぶつかり、ベッドルームを飛び出してダイニングに走り出ると、暖炉のそばまで逃げた。
「あなたは、誰?何が目的なの?」
ロルフは自分が危害を加えるつもりがない、ということを示そうと両手を頭の位置まで上げるが、そのしぐさにも、少女はびくりと体を震わせた。
「俺はロルフだ。俺の庭に倒れていた君を介抱していただけ」
指先でつまんだままだった絆創膏をひらつかせる。
「あなた、狼でしょう。私を食べないの?」
またそのくだりか。ロルフは顔をしかめる。
「食べない。元気になったんならさっさとこの家を出て行けよ。君の翼はこの家に対して大きすぎる」
少女の翼が写真立てを落としそうなのを気にしながらロルフは玄関へと顎をしゃくる。少女はロルフと玄関のドアを何度か交互に見た後、玄関に向かってぱっと走り出し、外に飛び出していった。ロルフはつまんだままだった絆創膏をくしゃくしゃと丸めてゴミ箱に投げ込んだ。