参.炎天下の錯覚
車載ラジオから、知らない洋楽ばかりが流れている。ラジオは、国内で唯一FM電波を飛ばす島の米軍基地の放送局にチューニングされていた。レンタカー会社の店舗で車を受け取った時から同じ状態だ。
曲と曲の合間に軍人であろうディスクジョッキーが行方不明の子どもに関する情報提供を求めるトークを始めたから、ライブ放送だと分かった。
金網のフェンスを隔てた向こう側は野蛮な外国だから、基地で暮らし働く軍人やその家族は、子どもが基地の内外でなにか危険なことに巻き込まれていないかと極端に神経をとがらせる。島に住む米国人の心配性は、二十年前と変わらないようだ。
しかし、変化したこともある。行方が分からなくなっているのはオリバーという身長四・九フィートの十一歳の少年で、最後に母親の目に触れた時、赤いTシャツとデニムのハーフパンツを着けていた。手掛かりはそれだけだ。
大学生だったおれがこの島に住んでいたころは、捜索対象者の肌や瞳の色、髪の明るさや巻き具合も、ラジオで詳細に公開していた。時代の流れで、人種、民族の特徴を前面に出さない配慮をするようになったのだろうと、おれは受けとめた。
神妙な口調でオリバー少年捜索への協力を呼び掛けるディスクジョッキーの英語を、助手席の瑠奈は聴き取れていないようだ。
幹線道路はいつものように渋滞している。おれは、アクセルペダルをまったく踏まずブレーキペダルの操作だけで、オートマチックトランスミッション特有のクリープ現象を利用し車を前に進ませていた。進んでいるより止まっている時間の方が長い。
強い日差しが、青あざの残るおれの両腕に照り付ける。おれは、ステアリングホイールの下部やや左、時計の針でいえば七時の位置に内側から右手だけを添える。運転免許を取ったころからの横着な癖だ。エアコンの強い冷気が両腕を直撃する。
半そでシャツから肌が露出し焼かれているのか冷やされているのか分からず混乱しているであろうおれの両腕は、乱闘でこさえた傷の痛みをおれの脳に訴えることを、しばし忘れているようだ。
航空機の放つごう音がどこからか聴こえてきた。フロントガラス越しに強烈な日の光を浴びていたおれの腕が、一瞬だけ陰った。おれの腕に影を作ったのは、米軍の大型輸送機だった。後方にある基地の滑走路を飛び立ったばかりのようだ。おれたちの頭上を通過したその黒い巨体は、両翼に合わせて四基のプロペラをぶら下げている。
「クジラみたいだね」
フロントガラス越しに見上げて、瑠奈が言った。輸送機は、渋滞する幹線道路に沿うような針路でぐんぐん高度を上げていく。そして、雲ひとつない青く澄んだ南の空に消えた。消えてからもしばらく、おれは青い空を見ていた。
「父さん、前」
前の車が少し前進し、車間距離が開いていた。おれはブレーキペダルから右足を離し、そしてまたすぐに踏み込んだ。シフトレバーを左手で軽く押しギアをニュートラルに入れた。
考えていた。瑠奈のことを考えていた。瑠奈と夕香里のことを考えていた。瑠奈と夕香里とあおいのことを考えていた。
「そうだな、クジラだ。クジラの子どもだ。迷子の赤ちゃんクジラだ」
海中道路で瑠奈と交わしたざれ言を思い出した。おれは答えを導き出した。決心を固めた。
「瑠奈、風船を買いにいこうか」
運転席のおれに瑠奈は満面の笑みを浮かべて見せた。
「うん、行こう」
「しかし、今どき風船なんてどこに売ってるんだ」
「ドンキに売ってるの、見たことあるよ」
「ドンキ? ドン・キホーテが島にあるのか」
「ある。四軒も。お祭りで売ってるような、銀色でいろんな形のアルミ箔みたいなやつとか、スプレー缶みたいなのに入った空気に浮くガスとかも置いてた。あおいの言ってる風船って、そっちのことだと思うんだよな」
「よし。ゴムの風船もアルミの風船もヘリウムガスも、全部買い占めてやろう。どこにあるんだ、風船屋のドンキは」
「バスに乗れば行けるんだけど、道順とかうまく説明できないよ」
「瑠奈。このカーナビの扱い方、分かるか。父さん、機械おんちで駄目なんだ。『ドン・キホーテ』って打ち込んでみてくれ」
「父さん、一人じゃなんにもできないんだね」
ダッシュボード中央に埋め込まれているカーナビゲーションシステムの液晶パネルに、瑠奈が上半身を傾け手を伸ばした。
――パパちゃん――
そう言って胸に飛び込んできたのかと、おれは錯覚した。
===(了)===
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