弐の9.駆けてくる足音
整理部に異動して半年も経たぬうちにおれは、主治医の診断書を添えて整理部の上司を通じ会社に休職を願い出た。セカンドオピニオンの医師にも、休職を勧められていた。
申請は、容易に受理された。産業医に相談しなかったことも、なんらとがめられなかった。
仕事を覚えられるという一年の半分も在籍しなかったし、能力の欠如に加え、心の病のせいもあったのであろう、整理のことはなに一つ分からないままだった。おれが抜けることで、整理部は厄介払いができたはずだ。おれの申し出は、それによって代わりにもっと優秀な人材を欠員補充できることにつながり、なんらデメリットは生じなかったに違いない。切りのいい月末までで、おれは出勤をストップした。
休職中は健康保険組合から傷病手当金が給料の三分の二の額支給されたので、生活には困窮しなかった。
出勤しない長い日々を、自宅で無為に過ごした。本を読んだり、パソコンでインターネットを一日中検索して掲示板にくだらぬことを書き込んだり、昼夜構わず寝たり起きたり、決まった日に心療内科に診療を受けに行ったりした。気分は晴れなかった。
もう会社には戻れない、少なくとも同じ会社で記者復帰はできないだろうと覚悟した。会社を辞めることになるかもしれないから、別の会社で雇ってもらうとかフリーランスとして活動するとかいった不明瞭な構想を描き、それらに向け実際に動いてみたが、いずれもうまくいかない。休職中の身分でその理由が精神疾患であることは、売り込みに対する採用サイドの不信感を買うだけだ。なにかの作品を一から完成させようにも、もはや、取材の仕方、記事の書き方さえ忘れてしまっている気がした。
休職期間中、小学五年になっていた瑠奈を一年ぶりに呼び寄せた。会社をずっと休んでぶらぶらしているのだから、おれが島に行くことも考えたが、夕香里に拒否された。来ても瑠奈には会わせないと、夕香里の態度は強硬だ。しかも、それらのやり取りの全てを、夕香里本人ではなく、瑠奈が代わりに口づてさせられていた。
〈母さんが駄目って言ってるから…〉
残念そうな、申し訳なさそうな電話口の瑠奈の声を聴くのが、おれはつらかった。
瑠奈を通じて夕香里から許されたのは、前の年と同じように、夏休み中の短期間だけ瑠奈を預かることだ。瑠奈を泊まらせるため部屋をきれいに磨き上げた。瑠奈を待つ数週間と、瑠奈をあちこち連れ回して一緒に過ごした数日間は、やはり前の年と同じように、心が晴れた。瑠奈を前にうれしくて痛飲し珍しく酔ってしまった。瑠奈を島に帰したくなかった。到底現実味のない願いだ。
瑠奈と再会するまで、それから四年待たねばならなかった。
――ボタンができないい――
瑠奈の半べその声が聴こえる。
――パパちゃんにやってもらいなさい――
夕香里と瑠奈は、二人だけで外出する準備をしている。身支度が済んでいない夕香里を尻目に、瑠奈は出掛けるのが待ちきれず勝手に玄関まで行っているようだ。
――くっくが履けないい――
――くっくはまだよ。もうちょっと待っててね――
服のボタンを留めることも靴を履くことも、幼い瑠奈にはまだ難しい。暖かい晴れた日の昼間。おれは、目を閉じている。閉じていても、まぶたの裏が、毛細血管を流れる血液の色なのか赤く見える。
「瑠奈、こっちにおいで。パパがボタンやってあげるよ」
夢うつつだったおれは、目を開いた。聴こえていたはずの、駆けてくる瑠奈の足音は途絶えた。そこはごみ屋敷のような、おれが単身で住む狭いアパートの一室だった。夢と現実で共通していたのは、暖かい晴れた日の昼間に目を閉じているということだけだ。
「ボタンができないい。くっくが履けないい」
夢の中の瑠奈の言葉を、おれは口まねしてみた。声がかすれた。せき込んだ。たんが絡んだ。最後にいつ声を発したか、どこでだれとどんな話をしたか、長期休職中のおれにはあまりにも遠い昔のことのようで、まったく思い出せない。
「きみを引き取れる部署がないんだよ。これは、編集局長、局次長、各部長の統一見解だ。地方を任せることもできない」
傷病手当金が支給される上限の一年半にわたり休職したおれは、復職の意思を人事担当の幹部に申し入れたが、予想通り、にべもない対応だった。人事の幹部の顔には、「辞表を出せ」と書かれている。
取材記者として使い物にならなくなり整理部に飛ばされ、整理部でも仕事を覚えられず発症して長期の休職に入ったのだから、仕方のないことだ。労組は会社に頭の上がらない御用組合で、なんの助けにもならない。
新聞業界全体の斜陽化で会社は、四十五歳以上の従業員を対象に早期希望退職を募っていた。病気や休職に関係なく、余剰人員の削減が始まっている。地方の取材拠点の統廃合も進む。会社に戻れたとしても、どんな環境であとなん年働けるのかを考えると、明るい見通しはまったくない。
総務部付けという形だけの肩書きをもらいおれはいったん復職。翌日から、長年ほとんど使わぬまま休職にも充当せずたまっていた有給休暇の消化に入り、総務部にもどこにも一度も出勤することなく、大学卒業と同時に就職して以来十六年籍を置いた会社を辞した。不惑の年がもう目の前だった。
会社を辞めてからも健康保険の任意継続制度を利用して会社の保険証の世話になり、任意継続の期間が切れるまでの二年間と、国民健康保険に加入していた短期間、心療内科に通院した。
うつの病魔から逃げ切ることができたのかどうか、自分でも分からない。
◇ ◇ ◇
(「参 炎天下の錯覚」に続く)




