壱の2.よく似た女性二人組
機と空港ターミナルビルをつなぐボーディングブリッジに足を踏み入れた途端、じっとりと湿った重い空気が、それまで機内の空調に慣れきっていたおれの体をわしづかみにした。機内のモニター画面で見た空もブリッジの窓から見える空も青く澄みきっているから、意外だった。島の気候はこうだったかと遠い日の記憶を引き出そうとしたが、うまくいかない。
《鮮度とうまさ オリオンビール》
《アメリカ生まれ 島育ち ブルーシール・アイスクリーム》
本土でもメジャーになった地元資本のブランドが、ターミナルビルの到着ロビーに続く通路のあちこちにしゃれたデザインの大きな広告を掲げ、来島者の滞在中の消費を誘っている。
ベルトコンベアで流れてくる荷物を待ちながらおれは、出発前に適当なお土産を見つけられなかったことを少し悔やんだ。
到着ロビーには、事前に知らされていた通り、レンタカー会社の従業員が社名の書かれた横長の札を両手で携え予約客を待っていた。居並ぶ複数のレンタカー会社従業員は、そろって地産の色彩豊かなかりゆしシャツを着ている。
「はいさい。お名前を聴きましょうね」
わざとそうしているのではないかと首をかしげるほどの典型的な島のあいさつと、有無をいわさぬ無礼な物言いだと島外からの来訪者を惑わせる島特有のおかしな日本語表現を組み合わせた、どう聴いてもやはりおかしな接客ぶりで、レンタカー会社従業員に迎えられた。
ターミナルビル前の路上にはレンタカー会社の社名が車体に大きくデコールされた低年式のワゴン車が待機しており、おかしな接客の男から、それに乗るよう指示された。塩害のせいであろう、足を掛けたステップやドアの縁は広範囲にわたり黒くさびている。
ワゴン車にはすでに、親子連れらしい四人組が乗っていた。四人は東京の言葉で話している。同じ飛行機だったかもしれない。
おれが乗ってからも、ワゴン車はなかなか動きださない。エンジンは駆動し、冷房が効いている。運転席では、やはりかりゆしシャツを着た無愛想な男が携帯電話をいじっている。音質の良くない車載スピーカーから島の民謡が流れる。
ロビーで札を持っていたおかしな接客の男が、日焼け対策をしているのかはた目にも心配なほど軽装の若い女性二人組を連れてきてワゴン車に乗せ、運転席の男になにかを言い、客がそろうまで開け放しだったスライド式ドアを外から勢いよく閉じた。女性二人は、服装だけでなく顔つきもよく似ている。姉妹かもしれないとおれは思った。
「晴れててよかったなあ」
「せやなあ。けど、言うほど暑うないな。大阪より涼しいくらいやで」
関西の言葉だ。
レンタカー会社の店舗は空港からすぐ近くの、市街地に入る手前にあった。ワゴン車の運転手は結局、店舗に着くまで一度も口を開かなかった。
車を借りる予約はしてあるものの、本当に借りられるか心配だった。借金で首が回らなくなったおれは、所有していた全てのクレジットカードを失効させてしまっている。カード決済が不可欠なネットショッピングを利用するため国際ブランドのデビットカードを作ったが、口座の残高から利用分が引き落とされるだけなので、使い勝手が悪い。
後払い清算システムのクレジットカードは、車の乗り捨てや返却の延滞、交通事故による車両破損を恐れるレンタカー会社にとって、客に追加料金を請求するのに便利なツールだ。しかし、デビットカードは口座からの即時払いシステムで、名義人の信用を担保する切り札にはならない。
レンタカー会社のインターネット公式サイトでは、デビットカードや現金決算の場合は運転免許証とは別に、公的な本人確認書類が必要とされていた。
ところがおれは、本人確認書類として公に認められているはずの、健康保険証さえ失っている。国民健康保険の保険料を支払っていないためだ。仕方がないから、居住する自治体が発行したマイナンバーカードと、念には念を入れ、有効期限がまだ残っているパスポートを持参していた。
車は無事借りることができた。店舗の従業員に頼んで、宿泊の予約をしてある市内のビジネスホテルと、別れた妻と娘が暮らすアパートの住所を、カーナビゲーションシステムに入力してもらった。
(「壱の3.体温とシャンプーのにおい」に続く)