壱の19.過ぎ去ってから分かる
おれがグラスを空けるとバーテンダーは、まだ飲むかどうか必ず確認してから次の分を注ぐ。
「これ、六二度だよ、アルコール度数。こんなにかぱかぱ飲む人、久しぶりに見た」
「体のどこかがおかしくなってて、全然酔えないんだ。ここ何年か」
バーテンダーは、全く酔わないおれの瞳をのぞいている。顔の生傷を見ているのではない。なにかを見透かすような視線だ。
「ノンケよね」
「そうだよ、よく分かったな。おまけに内地人だ」
ごほごほと、バーテンダーは大笑いした。
「そんなの、言葉聴いてりゃ分かるよ。東京でしょ」
「根なし草なんだけどね。今は東京」
「わたしも東京に住んでたんだ。高校まで島で暮らして、東京の服飾の専門学校に進んで、結局卒業しないまま。ずっと二丁目で働いてた。ノンケのお客さんもたくさん来てたから、見る目が養われたよ」
「二丁目って、新宿二丁目か」
「そう。行ったことある?」
「誘われて人に連れてかれたり、頼まれて人を連れてったり、一人で潜入したり。ノンケお断りの店はこっちから願い下げだな」
「近ごろはどう、あの街」
「外国人客の姿をよく見かけるようになった。海外の観光ガイドにでも載ってるんじゃないかな。同じ新宿のゴールデン街がそうらしいから」
「懐かしいな。あのころが一番楽しかった気がする」
「青春は過ぎ去ってから分かるものらしいよ。古今東西の偉人が同じようなことを言ってる。この間もなんとかって若いシンガーソングライターがそんなふうに歌ってた」
「まだ終わってないつもりなんだけだけどねえ」
「おれはまだ終わってないな」
「うらやましいわ」
何度グラスを空にしたか分からない。バーテンダーはチェックしていないのではないかという気がしてきた。
「気を悪くしたら申し訳ないけど」
「なにかしら」
「混血かい」
「クオーター。お母の方のおじいが軍人だったんだ。島に駐留してる時におばあに子どもを産ませて、ベトナム戦争に行ってそのまんま。写真もないのよ。まだ島全体が貧しかったころのことだから」
「ふうん」
「お母はハーフだから、日本人離れした髪とか顔立ちとかで、子どものころはいじめられてたみたい。いつの時代もどこでも同じだよね」
「そうなのか。そうかもな」
「わたしは外国人の血は四分の一に薄まったんだけど、お母よりもっといじめられたと思う」
「どうして」
「男色だからよ」
「今はそれほどでもないだろ。先人の努力が実って市民権が認められてきてる」
「そうね。二丁目では散々いい思いさせてもらったよ。男色でクオーターで島人だから。エキゾチックを売りにしてた。だけど、男色には男色にしか分からない悩みもあるのよ。お客さんは、松山でひどい目に遭わされてどうして、こんなゲイタウンに来てくれたの」
「女の人が嫌になったから。でも、酒を飲みたかったから」
「松山がここ十年で大きく変わったのはね、性風俗の店が増えたことなのよ。営業許可を受けてない裏風俗もいっぱいあってしのぎを削ってるの」
「そんなことだろうとは思ったよ」
客引きの島袋を打ちのめした右腕と右足の感触をおれは思い出した。
「中部に風俗街があったの知ってるでしょ。ちょんの間ばかりが密集しているところ」
「真栄原社交街だろ。迷路みたいになってるんだよな。大学が近くであの辺に住んでたから、何度か見学に行った。店に上がり込んだことはないけどね」
「あらそう。優秀だったのね、あの大学」
「冗談言うなよ。東京に住んでたことがあるのなら分かるだろ」
「井の中の蛙ってこと?」
「まあ、そういう言い方もできるかな」
「でも、お客さんは切れる男だわ。話してて分かる。それでね、その真栄原社交街が警察に壊滅させられたのよ」
「昔は見て見ぬふりだったのにな。警察は上にも下にも周辺にも存在意義をアピールせにゃならんから、時々思い出したかのように大掃除をするんだ」
「それが松山に移動してきたのよ。店も客もごっそりそのまま」
「なるほどなあ」
「不景気でビルのテナントはがら空きだったから、そこにちょうどよく収まったってわけね」
カウンター席に腰を落ち着かせてからおれは一度も扉のカウベルの音を聴いていない。丈のあるカウンターチェア一脚を置いて右側にいる先客は、おれとバーテンダーとの会話を聴いているのかいないのか、話の節々でたまに相づちを打ったり、うなずいたりしている。
(「壱の20.海人の家系」に続く)




