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イルカの子、クジラの子  作者: 守尾八十八
13/32

壱の13.東京では星が見えない

 瑠奈のおえつは、じきに収まった。

 デザートのアイスクリームが、ガラスの器にピンポン玉ほどの大きさで盛られまるで貴重な物でも配給するかのように運ばれてきた。おれは自分の分も瑠奈に勧めた。肉を食べる瑠奈の箸を止めさせたのはおれだ。おれは、どうしても瑠奈にアイスクリームを食べさせたかった。

「いいの?」

 遠慮しながらも、瑠奈はおれが差し出したアイスクリームの器を手元に引き寄せた。

「ブルーシールみたいか」

「どうかな。味は同じような気がする」

「メニューにブルーシールのロゴマークが入ってたぞ」

「じゃ、そうだね」

 泣いた余韻で瑠奈はまだ鼻をすすり上げている。


 会計のため並んでいたレジの横に、口臭消しのためであろう、板ガムがケースごと積まれ売られている。緑、黄、白の三種類あり、包装には横文字の表記しかない舶来品だ。

「こっちじゃまだ売ってるんだな」

「東京にはないの」

「売ってるの見たことないよ。通販で買えるんだろうけど。島じゃアメリカから直輸入だろ」

 支払いは、使い勝手のよくないデビットカードでも可能なようだ。しかし、財布をかさばらせている小銭を減らすため現金で払うことにした。おれは財布の中をまさぐりもたついた。

「父さん、これ使って」

 瑠奈が、自分の財布から折りたたんだ一万円札を出しおれに渡そうとした。昼間に夕香里が持たせたお金だ。

「おいおい。父さん、金持ちなんだぞ。そんなのしまえよ」

 もたつきながらも、支払いは終わった。

「父さん、ごちそうさまでした」

 両手を体の前で重ね、航空会社の客室乗務員かデパートの女性店員のような優雅な仕草で瑠奈は頭を下げた。

 ショートカットの瑠奈の頭髪を、おれは片手でちょっと乱暴にくしゃくしゃとなでた。愛情を込めたつもりだ。手のひらが瑠奈の体温を感じ取った。瑠奈は苦笑いして、片手で髪を直した。この日、初めて瑠奈に触れたのではなかったかとおれは思い返した。

 あおいへの土産にと瑠奈は、自分の財布から小銭を出して、レジ横のガムを買った。


 ビールを飲んでいてレンタカーを運転できないおれは、タクシーを捕まえた。後部座席から先に瑠奈を乗せた。おれは左側に座った。

 腹いっぱいになったか、食べ足りなかったのではないか、おれは尋ねたかったが、店で泣いたことや、その原因であるおれには見当がつかないなにかを瑠奈に思い出させるべきではないと判断し、なにも言わなかった。

 瑠奈はずっと、タクシーの窓から外を見ているようだ。対向車の放つ強い光がガラス窓を通して瑠奈に当たり、バストショットのシルエットが浮かび上がる。その姿は、出会ったころの夕香里にそっくりだ。そして、そのころの夕香里より悲しそうだ。

 なにがそんなに瑠奈を悲しませるのか。瑠奈はなにに苦しめられているのか。離れて暮らす男親には理解の及ばないことなのだろうかと思うと、おれは切ない。


「父さん」

 窓に顔を向けたままの瑠奈が、タクシーに乗って初めて口を利いた。車は中部エリアに入っている。

「うん」

「いつまでこっちにいるの」

「決めてないよ。もうしばらくいるつもり」

「ずっといてくれたらいいのに」

「そうだな。そうできたらいいんだけど」

「いられないの」

「父さん、島の人じゃないから。もうこの年になったら、島では受け入れられないんだ。島の環境じゃ暮らしていけないんだ」

 夕香里がおれの来島を制限していることをおれは、理由に加えなかった。瑠奈は知っているはずだからだ。

「父さん」

「うん」

「いるうちに、また会えるよね」

「ほかにやらなきゃいかんこともないから、瑠奈の受験勉強の邪魔にならない程度にだな。あしたからまた塾だろ」

「うん」

「昼までか」

「うん」

「瑠奈の都合がいい時に、電話かメールしてきな」

「うん。分かった」

「勉強、頑張れよ」

「頑張ってるよ」

 話しているうちに、タクシーはアパート近くまで至った。周囲は真っ暗で、おれには自分のいる場所が分からない。おれとの話を中断して瑠奈が前の座席の背もたれ越しに運転手に道案内した。

 おれは、このままタクシーを帰してしまいたかった。瑠奈とまだまだ話したかった。

 しかし、そんなことはできようはずもない。瑠奈の保護者であり親権を持つ夕香里はおれとは別の人生を歩み、新しい家庭を築いている。比嘉という名のあおいの父親を追い出したからといって、おれが入れ替わりで鎮座するわけにはいかない。

 左側ドアが運転手の手元の操作で開き、おれが先に降車した。それから、同じドアから瑠奈を降ろした。

「父さん」

「うん」

「きょうはありがとう。またね」

「またな」

 瑠奈が103号室に入り、玄関扉が閉じるまで見届けた。見上げると、満天の星だった。東京では星が見えないから、視力が低下したのだろうと勘違いしていた。車内でずっと外に顔を向けていた瑠奈は、この星空を見ていたのだろうかとおれは思った。


(「壱の14.手を振りどこかに連れて行かれる」に続く)

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