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イルカの子、クジラの子  作者: 守尾八十八
12/32

壱の12.ウシのイラスト紙エプロン

 食の細い子だった。

 母乳と人工乳を並行させて育てた。夕香里が母乳を吸わせている分には気付かないのだが、哺乳瓶で人工乳を与えると、吸い口をくちびるでもてあそぶだけで内容量が全く減っていかない。

 離乳食を嫌がることはなかったが、そしゃくして飲み込むまでに時間がかかった。やはり、口の中でもてあそんでいるようだった。

 大人と同じ物を食べるようになってからも、昼を食べ終わらないうちに夕食の時間になるというありさまだった。ただ、年齢に見合って体格は順調に成長していった。

「瑠奈は食べるのが遅いから」

 別居後、年に一度会っていた初期のころ、瑠奈が自分でそう言っていたのをおれは覚えている。少なくとも、言葉を自由に操れるようになるころまでは、生まれたころからの習性が抜けなかった。

 それが、いつのころからか瑠奈は食べることに旺盛になっていた。四年生と五年生の二度、東京に来た時には、すでになんでもばくばく食べた。食べるスピードも、同じ年頃の女児並みかそれ以上だったと思う。

 この日の焼き肉でも、追加の皿を何度も注文した。見事な食いっぷりに、おれはたくましさを感じさせられた。

 ところが、それも暗転してしまった。

「受験勉強はうまくいってるのか」

「うん。まあまあ」

「どこの高校を受けるんだ」

「……」

 まただ。この日何度目かの、得体の知れない沈黙が始まった。

 この時は、瑠奈の箸が止まった。どう考えてもおれの思い過ごしではない。おれのなにがいけないのだろう。いつもこうなのであろうか。瑠奈の養育について夕香里と全く情報交換していないことをおれは悔いた。

 低いトーンで、瑠奈は再び話しだした。

「父さん」

「うん」

「だれかと暮らしてるの」

「いいや。瑠奈と母さんが出ていってから、ずっと一人だよ」

「具志堅って誰」

「なんだ、さっきの予約の名前のことか。あれは、島の人のふりをしたんだよ。地元のお客さんだって思わせておいた方が、いい肉を出してくれるんじゃないなかと思って。サービスもいいんじゃないかなって。父さん、うそをついたんだ。ごめんな」

 こんなことで瑠奈の心をかき乱したのだろうかとおれは不審だった。

「父さん」

「なんだ」

「東京の高校って、入るの難しいかな」

 そもそもくみ取れない瑠奈の考えていることが、おれはさらに分からなくなった。

「そりゃあ、難しい高校もあるし簡単な高校もあるさ」

「瑠奈、東京の高校に行っちゃだめかな。父さんの家から通っちゃいけないかな」

 瑠奈は箸をもてあそんでいるように見える。食が進まなくなった。肉は焦げている。昼間の大学キャンパス内でのことをおれは思い出した。

「高校まで島にいて、大学から東京に出ればどうだ。東京じゃなくったってどこだっていい。外国でもいい」

「……」

「あおいちゃんが寂しがるぞ」

「あおいなんて」

「なに言ってんだ、たった一人の妹じゃないか。縫いぐるみだったら瑠奈にはもっと大きいのを買ってやる」

 怒ったつもりも叱ったつもりもない。厳しい口調を使ってもいない。単なる会話のキャッチボールのはずだった。

 瑠奈は下を向いた。Tシャツの上から掛けて首の後ろでひもを結んでいる、ウシのイラストが大きくプリントされた油除けの使い捨て紙エプロンに、瑠奈の涙がぽたぽた落ちた。鈍いおれは、最初、それが涙だと分からなかった。

「あおいのこと、つねったりたたいたりしてるの。母さんの見てないところで、いじめてるの。あおいは姉々、姉々って慕ってくるのに、瑠奈はあおいに意地悪をしてるの」

「どうしてそんな…」

 衝撃を受けた。純粋無垢で優しかったはずの瑠奈が、なぜそのような恐ろしいことをするのか。なぜ、夕香里も知らないはずのことをおれに告白したのか。異父姉妹とはこういうものなのだろうか。おれは混乱して頭が回らなくなった。父親の仮面をかぶっただけの役立たずな自分が情けなくなった。

「あおいも母さんも比嘉(ひが)さんも嫌い。みんな嫌い」

「比嘉さん?」

「あおいのパパ」

「ああ、そうか」

 瑠奈は声を上げて泣き始めた。別居して以降、初めて瑠奈の泣き顔を見せられた。混んできた店内の複数の客が二人に視線を寄せている。おれは、どうしたらいいのか分からない。こんなことになるとは思わないから、なだめる手段を持ち合わせていない。


(「壱の13.東京では星が見えない」に続く)

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