第九話
炎は、どこにも無くなっていた。目の前には、真っ二つに割れた氷と、少女の姿しか残っていない。
「君のおかげで久しぶりに外に出れたよ。本当にありがとう」
「僕の……?」
少女はニカッと歯を見せて笑って見せた。どこか余裕のある、大人びた話し方からは想像もつかない、子どもらしい無邪気な笑顔。ダインは自分とそんなに変わらない年齢じゃないかと思った。
「そう。君の力さ。アポストルではないのかい?」
「アポストル……?」
「そう、アポストル。私の見立てだと……」
何か言いかけたところで、少女は表情をキッと引き締め、こちらに手のひらを向ける。するとダインのすぐ後ろに、大きな氷の壁が聳え立った。それとほぼ同時に、壁に炎の矢が何本も突き立つ。突然のことに、ダインは腰を抜かしてしまった。
騎士団が気付かぬ間に、すぐ後ろまでにじり寄っていたようだ。見えているだけで五人はいる。ダインの通ってきた道からは足音が響き、まだ人数が来ているようだ。
「まずいよ! 逃げないと」
「いやいやこんな雑兵、恐れることはないよ。私に任せたまえ」
少女はダインの横を悠然と抜け、騎士との間に立ち塞がろうとする。しかし、途中で小さな段差につまずき、べしゃりと転ぶ。
……僅かな沈黙が流れた。
「君、悪いんだけど起こしてもらえないかい? 久々なせいで体がうまく動かないんだ」
少女が手を伸ばした。敵は声を揃え、何かを呟いていた。
【その紅きは悪を嫌いて】
ダインはその手を取ろうと走り寄る。たった少しの間に、たくさんのものを失ってしまった。
【灰燼に帰する聖なる輝き】
目の前の騎士たちから迸る、燃え盛る炎のような創霊力を見ても、「もう、何も失いたくない」という気持ちだけは冷めやらなかった。
【 降り注ぐ断罪の雨となりて敵を穿ち給え】
騎士は横一列に並び、弓を引き絞る所作を取る。その手には、弓矢の形をした弓矢が握られ、ジリジリと空気を灼く音がした。
【聖炎の矢雨】
燃え盛る矢の形をした創霊力が放たれる。その数はまるで数百の弓矢隊がそこに並んでいるかのように、視界を炎が埋め尽くした。少女が手を掲げると、氷の壁が遮るように立ちはだかるが、その数を受けきることは叶わないようだった。
鈍い氷の割れる音と共に、弓矢が殺到する。背けた顔を矢が掠め、頬に鈍い痛みと共に焦げ跡を作る。
「危ない!」
ダインは反射的に少女を抱き抱えて後ろへ倒れ込む。氷壁を貫いた矢が、さっきまでダインと少女の頭があったあたりを蜂の群れのように飛びすさぶ。
「うーむ。困ったな。創霊力も安定しないようだ。」
ダインに抱えられた少女が腕を組み、むむむと唸っている。
「一体どうすれば」
「ここは君が一肌脱いでくれないと、いけなそうだ」