第六十七話
岩壁の亀裂から激しく噴き出す風を前に、ダインは息を詰めた。確かに風が呼んでいる。胸の奥に響く脈動が、それを告げていた。
だが同時に、迷いがこみ上げる。
「……僕だけじゃ、だめだ」
呟きに、隣のカタバが振り返る。
「ルリムも、パレアも。ここまで一緒に来た。僕ひとりで進むのは間違ってる」
ダインは拳を握りしめ、視線を外さなかった。
「風が僕を選んだとしても、置いていきたくない」
少しの間考える仕草をして見せたが、カタバは掌を翳す。岩壁の胎動が静かに収束する。
「……待っててくれるの?」
「構わん。ただし覚えておけ。彼の地へ入れるのは同時に二人が限界だ」
「二人……」
「そうだ。俺とお前。あるいは俺と誰か。それ以上は不可能だ。神域にはそれ相応の資格の持ち主が必要ということだ」
ダインは息を呑み、それでも言葉を返す。
「なら、何度かに分けて行けばいい。僕たちは全員でそこへ行く」
カタバは短くうなずいた。
「判断はお前たちで決めろ。戻るぞ」
祠の広場に戻ると、碑を調べていたルリムが振り返る。
「ダイン! 遅かったね。……その人は?」
パレアも立ち上がり、鋭い視線を向けた。
ダインは二人を前に立ち止まり、息を整えた。
「彼はカタバ。《神落の大脈》に案内してくれる人だよ」
パレアの瞳が細まる。
「……神落の大脈? 記録の中にしか出てこない名よ。それを知っているというの」
カタバは感情を交えずに答えた。
「ああ。神に許された人間だけが訪れることを許された場所として、存在している。」
「“神に許された”ってことは」
ルリムがハッとする。
「ああ。風の神と言葉を“交わした”。いわゆる代弁者だった人間だ」
「風の神は気移りが激しいお方のようね。アポストルが生きているのに他の人に乗り換えるなんて、聞いたことない」
パレアが肩をすくめて見せる。カタバは表情を崩すことなく、再び言葉を続ける。
「少年が望むなら、神落の大脈まで案内をしよう。《カナタノトモガタリ》から零れ落ちた、世界の事実が深奥には渦巻いている。それを聞かせるためには俺の存在が必須だ。一度に入れるのは二人だけだだがな」
ルリムが思わず声をあげる。
「二人だけ……?」
「手間をかけるが」カタバは即答した。
「二人を送り、戻る。そして次の二人を連れて行く。繰り返せばここの全員を送ることも可能だ」
パレアは腕を組み、考え込むように言う。
「……それをやるには時間が要るわね。漂都の監視もあるし、準備を整えずに踏み込むのは無謀だわ」
ルリムはダインに目を向けた。
「でも、それでも行くんでしょ?」
ダインは強く頷いた。
「うん。風が僕を呼んだ。でもそれは、僕だけのことじゃない。みんなで確かめるべきだ」
ルリムはわずかに息を吐き、決意を込めて答える。
「なら、私も行く」
パレアは唇の端をわずかに持ち上げた。
「その理想に賭ける価値はあるわね」
カタバは短く言った。
「全員で行くなら、経路は《カナタノトモガタリ》を使うしかない。そこからしか大脈は開かない」
「トモガタリが経路……? 結局避けられないのね」
パレアが小さく頷く。
カタバは続ける。
「準備しろ。物資、身の隠し方、行動の段取り。それを済ませてからだ。風結宮を漂都が発つまでに」
その声は淡々としていたが、確かに急かしていた。
ダインは二人を見渡し、深くうなずいた。
「必ず……全員で神落の大脈に行こう」
広場を渡る風が、その言葉を肯定するかのように吹き抜けた。冷たくも穏やかな流れだった。




