第六十四話
風が、凪いだ。
ダインの腕を縫うように雷が走る。
ルリムが、一歩、前に出た。
その小柄な身体から、凍える気配がすっと立ち上る。足元を覆う石が白く変色し、霜が蜘蛛の巣のように広がっていく。
その様子を見た供風子にも底冷えするほどの殺意が漲る。
倒してでも、前へ。
膨れ上がった緊張の破裂する間際、割って入る声。
「待ちなさい、ふたりとも」
澄んだ声音が、けれど強く。水面に落ちた一滴のように、空気を打った。
パレアだった。
その姿は、風に乱れぬ水のように、静かにふたりの間へと立つ。
「このまま力を交えるのは、最悪の手よ。あなたたちは“突破“を求めている。けれど、それが本当に正解だと思っているの?」
ダインは小さく息を呑んだ。
ルリムもまた、ほんの一瞬、足を止める。
パレアはふたりを見据えたまま、続ける。
「……風結宮に伝わる供風子の役割は、風を読む者ではない。“風が背けと告げる時”、それを止めるために在る。彼女が剣を抜かずに立ち続けるのは、守るべきものがあるからよ」
「でも、そのせいで……!」
ルリムが声を上げかけた。だが、パレアが首を横に振る。
「分かっているわ。私も、真実を知りたい。あなたたちと同じくらい、強く。けれどそのために、正面から扉を壊すような真似をしては、すべてが灰になる」
言葉は静かだったが、その中にある“水の重み”は、ダインの胸にも落ちた。
ルリムは眉を寄せたまま、けれど視線を伏せる。
パレアは、ちらりとシェルファへ視線を向けた。
「……シェルファ。あなたたちは、今すぐ風結宮を離れるつもりはないのよね?」
小さな風使いは、しばらく黙ったまま、けれど小さくうなずいた。
「うん……ここを離れちゃうと、風の言葉がもう届かなくなる気がするから。ちゃんと、見届けたいの。……それに」
彼女は、少しだけダインを見た。
「おにーさんたちが、ただの敵じゃないって、私……思ってるから」
その言葉に、ダインはそっと目を細めた。
パレアは静かに頷く。
「ならば、まだ手はある。正面が閉ざされているのなら、迂路を探しましょう。風がすべてを拒むとは限らない。……語られなかった物語は、時に“別の風”に託されることもあるのよ」
静かな提案。それは、どこか“水の道”に似ていた。
ルリムは少しの間、何かを考えるように風を見たのち、小さく呟いた。
「……時間は、あまりない。でも、無駄にはしない」
パレアは頷いた。
「この地に吹く風の中に、まだ“別の鍵”があるなら……私たちはそれを見つける。そうでしょう?」
その問いに、ダインもまた、真っすぐにうなずいた。
「……うん。僕は、引かない。でも、無理に壊すのも違う。……ありがとう、パレアさん」
風はまだ、冷たかった。けれど、わずかにその流れが変わったようにも思えた。
そして彼らは、一度その場を離れる。
広場に残された供風子とシェルファは、何も言わず、それを見送った。
静けさだけが、またそこに戻っていた。




