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冥闇不道のアポストル  作者: 茅井 祐世
第五章 風と共に
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第六十二話

 漂都から繋がる桟橋を渡るにつれ、それまで耳に馴染んでいた柔らかな風が、次第に張り詰めた沈黙を帯びてゆく。


 足元の石は、灰白にして滑らか。風紋のような模様が微かに刻まれ、足音が吸い込まれていくような錯覚を覚える。


 前方には、荘厳な石の群塔がそびえていた。いくつもの尖塔が天へと突き立ち、それらを繋ぐように回廊と垂幕が編まれている。


 風結宮。それは神を祀る建物ではなく、“風そのもの”を記録し、受け止め、沈めるための構造だった。

 石は時間に磨かれ、塔は風によって削られ、すべてが「風に耐え、風に応じる」形へと研ぎ澄まされていた。


「……空気が違う」


 ルリムがぽつりと呟く。

 ただの風ではない。ここに流れているのは、意志を持った何か——それは、気配というにはあまりにも“明確”だった。


 シェルファが足を止める。いつもの軽さを引いた真剣な顔で、後ろを振り返った。


 「ここから先は、ただの道じゃないよ。風が選ぶんだ」


 その声に、ダインは息をのむ。けれど、歩みは止めなかった。


「それでも、進む」


 彼の言葉に、ルリムも静かに頷く。

 パレアは肩をすくめて、それでも足を踏み出した。


 やがて、最後の回廊を抜けると——視界が一気に開けた。


 そこには、円形に広がる広場があった。

 灰白の石で敷き詰められたその床には、無数の風紋が刻まれている。放射状に広がるその文様は、すべてが中心、風結宮の巨大な門へと向かっていた。


 そして、その門の前に、ひとりの人物が立っていた。


 白い衣を纏い、顔の半分を薄布で覆う女。髪は風になびくように銀灰で、まるで風そのものが人の姿を借りたかのようだった。


 供風子ともかぜこ。風の記録を守る者。

 名を持たず、言葉も持たず、風と共に立つだけの番人。


 ダインが足を止めた。


 視線が合った。

 それだけで、何かが胸の奥に刺さるような、言葉にならない圧が流れ込んできた。


 彼女は、何も言わない。


 だが、その沈黙の中に、確かな拒絶と問いがあった。

 

 なぜ、ここに来たのか。

 

 その記録を、本当に知るつもりか。


 風が静かに鳴る。帆ではない、“空そのもの”が鳴った。


 沈黙の中、最初に声を発したのはダインだった。


「……お願いがあります。僕たちは、あなたたちが守っている“記録”を見たい。大事な人を助ける方法があるかもしれないんです」


 供風子は、何も言わない。ただ、こちらを見ていた。


 彼女の目には、責める色もなく、哀しみもなかった。けれど、それが「肯定」ではないことだけは、誰の目にも明らかだった。


「その人物は、自分の意志を失っている。無理やり歪められて……でも、まだ取り戻せるかもしれない。そのための手がかりが、記録の中にあると思うんです」


 ダインの声は震えていなかった。

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