第六十二話
漂都から繋がる桟橋を渡るにつれ、それまで耳に馴染んでいた柔らかな風が、次第に張り詰めた沈黙を帯びてゆく。
足元の石は、灰白にして滑らか。風紋のような模様が微かに刻まれ、足音が吸い込まれていくような錯覚を覚える。
前方には、荘厳な石の群塔がそびえていた。いくつもの尖塔が天へと突き立ち、それらを繋ぐように回廊と垂幕が編まれている。
風結宮。それは神を祀る建物ではなく、“風そのもの”を記録し、受け止め、沈めるための構造だった。
石は時間に磨かれ、塔は風によって削られ、すべてが「風に耐え、風に応じる」形へと研ぎ澄まされていた。
「……空気が違う」
ルリムがぽつりと呟く。
ただの風ではない。ここに流れているのは、意志を持った何か——それは、気配というにはあまりにも“明確”だった。
シェルファが足を止める。いつもの軽さを引いた真剣な顔で、後ろを振り返った。
「ここから先は、ただの道じゃないよ。風が選ぶんだ」
その声に、ダインは息をのむ。けれど、歩みは止めなかった。
「それでも、進む」
彼の言葉に、ルリムも静かに頷く。
パレアは肩をすくめて、それでも足を踏み出した。
やがて、最後の回廊を抜けると——視界が一気に開けた。
そこには、円形に広がる広場があった。
灰白の石で敷き詰められたその床には、無数の風紋が刻まれている。放射状に広がるその文様は、すべてが中心、風結宮の巨大な門へと向かっていた。
そして、その門の前に、ひとりの人物が立っていた。
白い衣を纏い、顔の半分を薄布で覆う女。髪は風になびくように銀灰で、まるで風そのものが人の姿を借りたかのようだった。
供風子。風の記録を守る者。
名を持たず、言葉も持たず、風と共に立つだけの番人。
ダインが足を止めた。
視線が合った。
それだけで、何かが胸の奥に刺さるような、言葉にならない圧が流れ込んできた。
彼女は、何も言わない。
だが、その沈黙の中に、確かな拒絶と問いがあった。
なぜ、ここに来たのか。
その記録を、本当に知るつもりか。
風が静かに鳴る。帆ではない、“空そのもの”が鳴った。
沈黙の中、最初に声を発したのはダインだった。
「……お願いがあります。僕たちは、あなたたちが守っている“記録”を見たい。大事な人を助ける方法があるかもしれないんです」
供風子は、何も言わない。ただ、こちらを見ていた。
彼女の目には、責める色もなく、哀しみもなかった。けれど、それが「肯定」ではないことだけは、誰の目にも明らかだった。
「その人物は、自分の意志を失っている。無理やり歪められて……でも、まだ取り戻せるかもしれない。そのための手がかりが、記録の中にあると思うんです」
ダインの声は震えていなかった。




