第六十一話
数日後。漂都の進路が本格的に風結宮へ向けて定まり始めた。
朝の光を受けて白くきらめく帆が、風を孕んでゆっくりと傾いていく。進行方向には、薄く霞んだ空の彼方に、幾つもの尖塔のような影が見え始めていた。
「あれが……風結宮?」
ダインが帆の間から見える構造物を指さすと、シェルファがぽんと頷いた。
「そうだよー。風がいちばん澄む場所。聖域。風の通り道の中心であり、風の記録が“言葉”を保ってるところでもあるんだ」
パレアが視線を向ける。
「……記録が“風”に乗るというのは、ゼファレイン特有の考え方ね。でもその記録が、“読める形”で残されてるのは、興味深いわ」
「風って、自由に読めるものなのかい?」
ルリムの問いに、シェルファは首を横に振る。
「ううん。中枢には封印があるし、簡単には触れられないようにしてるよ」
「でも、もしその中に……僕たちが追われる“理由”とか、“リンを操ったもの”の情報があるなら」
ダインははっきりとした声で言った。
「確かめる価値はある。無理でもいい。けど、見ないで後悔するくらいなら、僕は……」
ルリムが頷く。
「私たちの敵が、どこまで踏み込んでるかを知ること。それがわかるなら、危険でも行く意味はある」
パレアも、少しだけ肩をすくめた。
「行動理由はそれぞれだけれど、目的地が重なっているのなら、共に歩いて損はないでしょう。……風の神がどこまで許すかは、また別の話だけど」
それは空に浮かぶ城でも、神の祭壇でもなかった。遥かな過去の記憶がそのまま残されたかのような、巨大な石の寺院だった。
灰白の石で築かれた重層構造の神殿は、中心に向かっていくつもの尖塔を伸ばし、まるで風を受けて天へ昇ろうとする塔群のようだった。無数の回廊が幾重にも折り重なり、彫刻された文様は風の紋や古代語のような印が、壁面にびっしりと刻まれていた。
静かに吹き抜ける風が、その模様に沿って撫でるたび、まるで“音”にならない祈りがそこに染み込んでいるようだった。
建物自体が空中に浮いているわけではない。巨大な浮遊石基盤に支えられ、存在している。漂都が接近しきると、揺れとともに、橋が渡される。その重厚な音に、ダインは無意識に息を呑んだ。
「……これが、風の国の、聖域……」
地面はなく、風しかない高空に、これほどの質量と静謐を持つものが在る。
ルリムがぽつりと呟く。
「……何かに、見られてる気がする」
風は、やわらかい。けれどその奥に、静かな圧がある。
パレアは目を細める。
「風だけじゃない。“意思”が、石に刻まれている。……きっと、ここを“守っている者”がいる」
そのとき、遥か遠く。神殿の門の奥に、一瞬、影が揺れた。
人影のようでいて、風のように淡い。こちらを見つめているような、けれど形を持たない。
シェルファが小さく言った。
「……供風子のことじゃないかな? 風と共にあって、語らず、触れず、守るだけのひと」
「名前は?」
「名前は捨てちゃうからないんだー。供風子ってみんな呼ぶよ」
風が鳴る。神殿の尖塔の間をすり抜け、帆を叩くように、警告するように。




