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冥闇不道のアポストル  作者: 茅井 祐世
第五章 風と共に
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第六十一話

 数日後。漂都の進路が本格的に風結宮かぜゆいのみやへ向けて定まり始めた。


 朝の光を受けて白くきらめく帆が、風を孕んでゆっくりと傾いていく。進行方向には、薄く霞んだ空の彼方に、幾つもの尖塔のような影が見え始めていた。


「あれが……風結宮?」


 ダインが帆の間から見える構造物を指さすと、シェルファがぽんと頷いた。


「そうだよー。風がいちばん澄む場所。聖域。風の通り道の中心であり、風の記録が“言葉”を保ってるところでもあるんだ」


 パレアが視線を向ける。


「……記録が“風”に乗るというのは、ゼファレイン特有の考え方ね。でもその記録が、“読める形”で残されてるのは、興味深いわ」


「風って、自由に読めるものなのかい?」


 ルリムの問いに、シェルファは首を横に振る。


「ううん。中枢には封印があるし、簡単には触れられないようにしてるよ」


「でも、もしその中に……僕たちが追われる“理由”とか、“リンを操ったもの”の情報があるなら」


 ダインははっきりとした声で言った。


「確かめる価値はある。無理でもいい。けど、見ないで後悔するくらいなら、僕は……」


 ルリムが頷く。


「私たちの敵が、どこまで踏み込んでるかを知ること。それがわかるなら、危険でも行く意味はある」


 パレアも、少しだけ肩をすくめた。


「行動理由はそれぞれだけれど、目的地が重なっているのなら、共に歩いて損はないでしょう。……風の神がどこまで許すかは、また別の話だけど」


 それは空に浮かぶ城でも、神の祭壇でもなかった。遥かな過去の記憶がそのまま残されたかのような、巨大な石の寺院だった。


 灰白の石で築かれた重層構造の神殿は、中心に向かっていくつもの尖塔を伸ばし、まるで風を受けて天へ昇ろうとする塔群のようだった。無数の回廊が幾重にも折り重なり、彫刻された文様は風の紋や古代語のような印が、壁面にびっしりと刻まれていた。


 静かに吹き抜ける風が、その模様に沿って撫でるたび、まるで“音”にならない祈りがそこに染み込んでいるようだった。


 建物自体が空中に浮いているわけではない。巨大な浮遊石基盤に支えられ、存在している。漂都が接近しきると、揺れとともに、橋が渡される。その重厚な音に、ダインは無意識に息を呑んだ。


「……これが、風の国の、聖域……」


 地面はなく、風しかない高空に、これほどの質量と静謐を持つものが在る。


 ルリムがぽつりと呟く。


「……何かに、見られてる気がする」


 風は、やわらかい。けれどその奥に、静かな圧がある。


 パレアは目を細める。


「風だけじゃない。“意思”が、石に刻まれている。……きっと、ここを“守っている者”がいる」


 そのとき、遥か遠く。神殿の門の奥に、一瞬、影が揺れた。


 人影のようでいて、風のように淡い。こちらを見つめているような、けれど形を持たない。


 シェルファが小さく言った。


「……供風子ともかぜこのことじゃないかな? 風と共にあって、語らず、触れず、守るだけのひと」


「名前は?」


「名前は捨てちゃうからないんだー。供風子ってみんな呼ぶよ」


 風が鳴る。神殿の尖塔の間をすり抜け、帆を叩くように、警告するように。



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