第六十話
しばらく、誰も言葉を発さなかった。帆の揺れが、感情の残響をやさしく抱き締めるように、空気を撫でていく。その中で、ルリムがふと口を開いた。
「……私は、グラヌスクを許すつもりは、ない」
その声は、静かで、けれど凍てつくほどに冷たかった。
「氷を“絶やし”て、歴史から全部塗り潰して……人の意思すら壊すような道具まで持ち出してきた。どれだけ歪んでるか、知らないわけじゃない」
彼女はゆっくりと立ち上がり、遠くの風を見やった。
「リンのことは知らない。でも、ダイン、君があの子を救いたいって本気なら、私と見る先は一緒。あいつらを倒すって目標は、どっちにしろ同じだよ」
それは宣言だった。続けて、パレアがやや間を置いて、肩をすくめるように笑った。
「……いいわね。はっきりしてて」
彼女は膝に手を乗せながら、やや芝居がかった声色で言う。
「わたくしはというと……そうね、いまは“流れのまま”といったところかしら。あなたたちの行き先が、神の記録に触れる場所であるなら、それを見届けるのも悪くない」
「……それだけ?」
ルリムが横目で問うと、パレアは小さく笑った。
「ええ、それだけ。理由なんて後からついてくるもの」
まるで冗談のように言いながらも、その瞳の奥には、なにか強く静かな光があった。
ダインはふっと息を吐いた。
「ありがとう。ふたりとも……本当に」
風が、再び流れ出す。
夜が近づくと、帆の影は長く伸び、街の灯りが静かに灯っていく。遠くから、風笛の音が聞こえた。誰かが祭の余韻を惜しむように吹いているらしい。しばらくして、軽い足音が近づいてきた。
「おーい、おーい、いるー?」
風のような声。振り返れば、シェルファが両手を振って近づいてくる。
「みんな、顔こわーい! ……ねえねえ、そろそろごはん食べない? 風と向き合う前にはエネルギーが大事なんだよー?」
そう言って無邪気に笑うその姿は、やっぱり予測がつかない。だが不思議と、その風にはあたたかさがあった。




