第五十四話
時間が、極限まで伸びる。
雷と炎。黒と赤。
二つの光が、空中で螺旋を描き、今一度交わろうとしていた。ダインは、雷鎚を両手で握り締めた。その瞳に、迷いはなかった。
「ここで止まるわけにはいかない!」
全身が軋み、雷が骨を叩く。それでも、踏み込む。振り下ろす。一撃に、今持ちうる全てを乗せるために。
一方、カーターもまた槍を構え直す。槍先には、熾火のような炎が宿り、軌跡を焼いていた。
(受けきれなければ——死ぬ)
冷静に、それを理解していた。
相手は未熟な少年ではない。
この雷は、もはや本能的な危険領域に達している。真正面から受け止めるには、自分もまた全霊を傾けねばならない。
一撃で決める。
互いの心に、言葉すらない誓いが灯る。
次の瞬間、二人は動いた。
ダインの雷鎚が、雷を轟かせながら振り下ろされる。カーターの槍が、炎を纏って突き上げる。
空気が震え、空が鳴った。
広場の帆が、ばさりと大きく揺れる。
周囲の建造物すら、微かに軋みを上げた。
(届く——)
ダインは確信していた。雷鎚が、確かに軌道を捉えたことを。
(押し返す!)
カーターも応じる。
負けるつもりなどない。力で、意志で、ねじ伏せる。
雷と炎。
二つの極が、正面からぶつかり合う瞬間——
世界が、ほんの一拍、無音になった。
張り詰めた刹那。誰も、何も、そこに割り込むことなどできない。そう、思っていた。
だからこそ、その声は、あまりにも異質だった。
「ほいっ!」
軽い。あまりにも軽い。耳に届いた瞬間、景色が、捻れた。空気が反転する。雷も、炎も、押し戻された。
——暴風。
圧倒的なまでの、風の力。戦場のすべてをひと呑みにし、ふたりの攻防ごと吹き飛ばす、絶対的な存在感。世界が、ぐらりと傾いた。
ダインは、咄嗟に雷鎚を支えようとしたが、手の中でそれは蒸気のように霧散した。カーターもまた、踏ん張ろうとしたが、足元の地面ごと押し流される。
破壊ではない。殺意でもない。ただ、すべてを“なかったことにする”力だった。
風が、吹いた。
たったそれだけで——二人の全力は、無力化された。
ダインは体ごと吹き飛ばされ、帆布の端に転がる。カーターもまた、槍を軸に半身で受け流すが、その足元がずるりと滑る。
戦いは——止まった。
風がすっと収まり、ただ一人の影がふたりの間に立つ。小さな少女。緑色の髪をツインに括り、ふわふわの薄布を揺らしている。
「よしっ! ふたりともおつかれー!」
満面の笑顔で、ぴょんと跳ねながら手を振る。
「これ以上やったら、ほんとに都が落ちちゃうってば! もうちょっと空気読んでよねー、ったくもー」
風の軌道に乗って現れ、雷と炎を笑いながら吹き飛ばした少女は、にこにこしながら胸を張る。
「シェルファ・ルゥ、風のアポストル、登場! うん、間に合ったっ!」
あっけにとられるダインとカーター。
それも当然だった。目の前にいるこの少女こそが、“風の国が誇る最年少のアポストル”。広場に沈黙が訪れた。ダインは、帆布の端に片膝をついたまま、動けずにいた。鎚はすでに霧散し、手元にはただ、蒸気のような名残だけが残っている。
「……え?」
ぽつりと漏れた声。
すべてを受け止めきれなかったままの、思考の断片だった。カーターもまた、同じだった。槍を支えに体を起こしながら、視線を落とし、それからゆっくりとその少女を見やる。
そして、静かに、現実を確認するように呟く。
「……今の風……あんたが……?」
「うんっ、そうだよー! “ほいっ”ってやったら、ばふーってなったでしょ?」
笑顔のまま、自慢げに親指を立てる。雷と炎を一瞬で吹き飛ばした張本人とは思えない、悪びれゼロの態度。その無邪気さが、むしろ恐ろしい。
カーターが、ごく控えめに眉をひそめる。
「“ほい”が、詠唱……?」
「うん! だって長いのめんどいし?」
「………………」
答えに詰まるというより、理解することを諦めかけた表情。ダインはダインで、まだ茫然としたまま口を開く。
「その……ありがとう、なのかな……?」
「えへへー、どういたしましてっ!」
即答だった。何も考えていないのではなく、考えなくても迷いがないという種の確信。雷と炎の衝突、極限の攻防。
そのすべてを、風は“遊びのように”止めてしまった。そして彼女は、その中心に立ち、きらきらと笑っていた。




