第四十八話
風の気配が変わっていた。尾根を越えた先、揺れる空気の中に、ひときわ強く風を裂く気流があった。
そこに、いた。風を纏い、空を歩くかのように。ひとりの人物が立っていた。
少女とも、少年ともつかぬ細身の人影。衣は風に踊る薄布に覆われ、色も形も、陽の加減によって幾度も姿を変える。目元には風除けの紋布が垂れており、その奥の表情は読み取れない。
やがて、その者が口を開いた。声は風に溶けるように柔らかく、それでいて芯があった。
「風の導きが、貴方がたを連れて来られましたか」
パレアは、ひとつ頷き、淡く応じた。
「漂都の御使いとお見受けします。風に乗る旅路の末、我らはこの地へ至りました」
「風は、必然も偶然も告げません。ただ巡るだけ。されど、それに応じた者にのみ、道は開かれます」
それが歓迎の意であると理解し、パレアは再び軽く礼を取った。対して、風の民はふと視線をずらし、ダインとルリムに目を留めた。
「……御身らより、重き気配が立ち上っています」
ダインの背筋に、ひやりとしたものが走る。だが、相手はそれ以上、何も問わなかった。まるで、それが風の定めであるかのように。
「けれど、問うことは致しません。風は過去を縛らず、未来を定めず。いま、この場所に在るという事実のみをもって、漂都は門を開きます」
その言葉に、パレアが目を細めた。
「……変わらぬ風の理、しかと承りました」
「では、お進みください。梯子は、すでに垂れております」
風の民が一歩下がると、その背後、空に溶け込むように浮かぶ斜光の中に、透明な構造物が姿を現す。
一本の、揺れる階梯。形あるのに掴めぬ、まるで風そのものが結晶化したようなもの。
「……風梯子」
パレアが小声で名を口にする。
「この瞬間だけ、空と地を繋ぐもの。……消えれば、次はいつ出会えるかも分からない」
ダインは無意識に喉を鳴らした。空へ続くその道は、美しく、厳粛さを備えていた。風の都が、確かに“浮いている”という現実を突きつけてくる。
パレアが先に足を踏み出す。風に踏み入るように、一段、一段、慎重に。続いてルリム。そして最後に、ダインがその揺れる道を踏み出した。
浮遊感。風に背を押されるような感覚。
足元は確かにあるのに、どこにも接地していないような不安定さが、全身を包む。
上空に近づくにつれ、漂都の全貌が現れていく。連なる建造物群。帆のように張られた布が空を受け、橋梁のように絡み合う道が都市を繋ぐ。家々は重なり、吊られ、回転し、まるで風車のようにゆっくりと流れていた。
それは街でありながら、ひとつの生き物のようだった。
やがて、最上段に足を置いた瞬間、風が鳴った。
歓迎の風だった。が、中に混じる微かな音——金属が地を擦るような、異質な響きが、確かにあった。
そこに、焔の気配が立ち現れた。




