表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥闇不道のアポストル  作者: 茅井 祐世
第四章 神の在処
35/75

第三十四話

——ヒュラテス治水院・夜半。


 水文の静脈をなぞるように、霊波の記録が天井まで広がる観測室の一角。


 水を、国を治めるその長官、ミシェル・カルネは、新たに届いた報告を黙して見下ろしていた。几帳面に撫で付けられた、長い白髪の一房が、顔の前に垂れ下がる。


「——アドラスが退いた理由が、ようやく腑に落ちたな」


 彼の前に立つのは、最古参の観測士。


 眉間に皺を寄せ、手元の巻紙を指でなぞる。


「霊力測定によると、現地には三つの異なる波長が重なっていました。ひとつは……“水”、高濃度かつ流動的、反応形式から見て『式号詠唱』を使用」


 ミシェルは結論を、知っている。この地に数百年続く、とある一族の末裔。観測士はそれを知らずか、淡々と続ける。


「該当する人物は、おそらく——パレア・ブラックブリッグでしょう」


 カルネは椅子の背にもたれたまま、薄く口元を歪めた。


「だが、問題は残るふたつだ」


 彼の視線が、巻紙に刻まれた創霊力(アフレイタス)の歪みに向かう。


 ひとつは、極めて不安定な電磁波形。もうひとつは、大きく測定を振り切るほどの、凄まじい力。


「……雷と、もうひとつはそのあまりの大きさによる測定不能……氷だな」


 ヒュラテスの人間でそれを知らぬものは、中枢まで届く『灼域しゃくいき』の熱気に当てられて昏倒したか、怯えて布団に頭を隠したもの以外にいるまい。


 国すら潰さんとする規模の、氷塊。


 カルネは手元の水盤をひと撫でする。

 

 その表面に、黒く渦巻く“空白”が、ほんの一瞬だけ映ったように思えた。


「アドラスを退けたのは三人。そのうち一人は、式号と水文を操る“あの女”……。ならば、残る二人のうち、雷を放った者は若い男」


 静かに、だが確信を持って言い切る。


 その直感には、過去幾度もの分析と実戦経験が裏打ちされていた。


「……そして、もう一人の女は——」


 その瞬間、扉が激しく叩かれた。ひとりの吏官が、青ざめた顔で駆け込む。


「長官、先ほどの封印区域より、新たに強烈な波動!」


 夜の治水院に声が反響する。


「水文霊盤が、記録不能なほどの力を示しました……!」


 部下の手には、焦げ跡のような痕を残す観測札。

 

 ミシェルは無言でそれを受け取った。


「……あれが動いた、か」


 水獣、ウ=クァリス。


 かつてパレアの祖先が神と共に創り、そして封じたとされる存在。今、その眠りから再び目覚めようとしている。


 そしてその“鍵”をこじ開けたのは、明らかに、パレアだけではない。


「……彼らは災害ではない。予測不能な異物であり、同時に——」


 彼は観測札を水盤に沈める。


 重く沈んだ札が、波紋一つ生まずに消えた。


「——戦略的変数」


 カルネは、静かに立ち上がった。


 瞳に宿るのは恐怖でも怒りでもない。ただ、制御への意志。


「すべての流れが乱れる前に治める。“治水”とは、そういう仕事だ。」


 そう言い残すと、治水院の壁と同じどこまでも白い長官服を翻し、扉の向こうの闇に消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ