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冥闇不道のアポストル  作者: 茅井 祐世
第三章 水都を灼く
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第二十七話

 地下の変貌は凄まじかった。逃げるように背を向けたはずなのに、肌の奥に残る灼熱が、なおも追いかけてくるようだった。

 冷気をまとったルリムが先頭に立ち、ダインがそのすぐ後ろを走る。ナヴィスは地図を記憶するような足取りで、迷いのない道を選んでいた。


「……この熱、上から降ってきてる」


 駆けながら、ダインがつぶやく。

 天井などないような錯覚を覚えるほど、頭上から押し寄せる重圧は、次第に「熱」というより「力」の感覚に変わっていく。まるで、“大地そのもの”に睨まれているような。


「気をつけて。あれは、ただの熱じゃない。……“意志”を持ってる熱」


 ルリムの声は低く、張り詰めていた。


 ナヴィスが立ち止まり、壁の一部に手をかざすと、青白い光が幾何学模様を描いて浮かび上がった。石扉が、水のように滑らかに開いていく。


「北水門です。……この先はもう、街の上層に近い。ですが、何が起きているかは……」


 言いかけて、彼は口を閉ざした。

 だがその表情には、明らかに「予感」が刻まれていた。最悪の事態を、どこかで理解している者の顔。


 ダインは、ひとつ深く息を吐いた。


「見に行こう。……いや、止めに行かなきゃ」


 階段は長かった。まるで、意図的に人の歩みを拒むかのような急斜面だった。

 けれどその先、扉を押し開いた瞬間、目に飛び込んできたのは——


 たわんで揺らぐ空だった。

 街の屋根越しにまでわかる陽炎。その中心には、見上げるほどの巨影が、熱気を纏ってゆっくりと歩いていた。


「……あれは……!」


 ナヴィスが声を失う。

 ルリムの目が細められ、氷の冷気が自然と肩に立ち昇った。


 大地を焼くように歩く影。


 アドラス・ロスヴァルトの姿がそこにあった。


 足元の水路が煮立ち、激しい勢いで蒸発している。川が、湖が、煙のように消えていく。それは、この国の“心臓”が焼かれていくような光景だった。


「……っ、あの男……!」


 思わず漏れた声を、ルリムがすぐに噛み殺す。


 街が灼ける。

 その中心を歩く者がいた。

 大剣を背に負い、禍々しいまでの熱を放つ漆黒の鎧。その全身から、空気すら融かすような熱波が溢れている。


「……あれ、人間じゃないよ」


 ダインがかすれ声で言った。

 身体が、勝手に汗を噴き出す。喉が焼ける。目の奥が痛む。


 ナヴィスも、一歩後ずさった。


「知らない……あんな存在、見たことがありません。高位の……火霊術、それも、国家級の……」


 言葉を続けようとしたナヴィスの声が、揺れる大気にかき消された。


 灼熱の鎧がこちらを振り向いた。


「……!」


 目が合った、と思った。


 武人然とした、鎧の上からでもわかる隆々の筋骨と髭を蓄えた、壮年の男。心臓が止まりそうになる。視線すら、焼き焦がすような威圧感だった。


「逃げてください、あれは——」


 ナヴィスが叫ぶより先に、爆音が鳴った。


 アドラスが踏み込んだ。

 ただそれだけで、地面が砕け、石畳が跳ね上がる。


 その姿は、言葉にできないほど“異常”だった。

 人の形をしているのに、何かが違う。


「ようやく見つけたぞ。氷の気配……それに——雷」


 男の声は低く、しかし強い喜びを携えていた。


 ルリムが一歩前に出る。目には迷いがなかった。


「……あなた、名前は?」


 だが、男は名を名乗らなかった。

 ただ、背中の大剣を片手で抜き、宙を指しながら、こう言った。


【我が炎は、いかなる流れも、凍てつく夢も、打ち砕く】


 そして、地面が——燃えた。


 ルリムが腕を振るうと、彼女の周囲一体に氷の華が咲き乱れる。それでもなお、感じる。この男は、格が違う。彼が本気で斬りかかってくれば、生きていられる保証はない。


 ナヴィスが叫ぶ。


「ダインさん! ルリムさん!」


 けれど、ダインは躊躇した。


 あれが、この国を焼いてるんだ。

 あれが、目覚めさせてしまったんだ。


 そんな思いが、身体を突き動かす。

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