第二十七話
地下の変貌は凄まじかった。逃げるように背を向けたはずなのに、肌の奥に残る灼熱が、なおも追いかけてくるようだった。
冷気をまとったルリムが先頭に立ち、ダインがそのすぐ後ろを走る。ナヴィスは地図を記憶するような足取りで、迷いのない道を選んでいた。
「……この熱、上から降ってきてる」
駆けながら、ダインがつぶやく。
天井などないような錯覚を覚えるほど、頭上から押し寄せる重圧は、次第に「熱」というより「力」の感覚に変わっていく。まるで、“大地そのもの”に睨まれているような。
「気をつけて。あれは、ただの熱じゃない。……“意志”を持ってる熱」
ルリムの声は低く、張り詰めていた。
ナヴィスが立ち止まり、壁の一部に手をかざすと、青白い光が幾何学模様を描いて浮かび上がった。石扉が、水のように滑らかに開いていく。
「北水門です。……この先はもう、街の上層に近い。ですが、何が起きているかは……」
言いかけて、彼は口を閉ざした。
だがその表情には、明らかに「予感」が刻まれていた。最悪の事態を、どこかで理解している者の顔。
ダインは、ひとつ深く息を吐いた。
「見に行こう。……いや、止めに行かなきゃ」
階段は長かった。まるで、意図的に人の歩みを拒むかのような急斜面だった。
けれどその先、扉を押し開いた瞬間、目に飛び込んできたのは——
たわんで揺らぐ空だった。
街の屋根越しにまでわかる陽炎。その中心には、見上げるほどの巨影が、熱気を纏ってゆっくりと歩いていた。
「……あれは……!」
ナヴィスが声を失う。
ルリムの目が細められ、氷の冷気が自然と肩に立ち昇った。
大地を焼くように歩く影。
アドラス・ロスヴァルトの姿がそこにあった。
足元の水路が煮立ち、激しい勢いで蒸発している。川が、湖が、煙のように消えていく。それは、この国の“心臓”が焼かれていくような光景だった。
「……っ、あの男……!」
思わず漏れた声を、ルリムがすぐに噛み殺す。
街が灼ける。
その中心を歩く者がいた。
大剣を背に負い、禍々しいまでの熱を放つ漆黒の鎧。その全身から、空気すら融かすような熱波が溢れている。
「……あれ、人間じゃないよ」
ダインがかすれ声で言った。
身体が、勝手に汗を噴き出す。喉が焼ける。目の奥が痛む。
ナヴィスも、一歩後ずさった。
「知らない……あんな存在、見たことがありません。高位の……火霊術、それも、国家級の……」
言葉を続けようとしたナヴィスの声が、揺れる大気にかき消された。
灼熱の鎧がこちらを振り向いた。
「……!」
目が合った、と思った。
武人然とした、鎧の上からでもわかる隆々の筋骨と髭を蓄えた、壮年の男。心臓が止まりそうになる。視線すら、焼き焦がすような威圧感だった。
「逃げてください、あれは——」
ナヴィスが叫ぶより先に、爆音が鳴った。
アドラスが踏み込んだ。
ただそれだけで、地面が砕け、石畳が跳ね上がる。
その姿は、言葉にできないほど“異常”だった。
人の形をしているのに、何かが違う。
「ようやく見つけたぞ。氷の気配……それに——雷」
男の声は低く、しかし強い喜びを携えていた。
ルリムが一歩前に出る。目には迷いがなかった。
「……あなた、名前は?」
だが、男は名を名乗らなかった。
ただ、背中の大剣を片手で抜き、宙を指しながら、こう言った。
【我が炎は、いかなる流れも、凍てつく夢も、打ち砕く】
そして、地面が——燃えた。
ルリムが腕を振るうと、彼女の周囲一体に氷の華が咲き乱れる。それでもなお、感じる。この男は、格が違う。彼が本気で斬りかかってくれば、生きていられる保証はない。
ナヴィスが叫ぶ。
「ダインさん! ルリムさん!」
けれど、ダインは躊躇した。
あれが、この国を焼いてるんだ。
あれが、目覚めさせてしまったんだ。
そんな思いが、身体を突き動かす。




