第二十三話
パレアはゆるやかに歩き出した。水盆の波紋は、まるで彼女の意思を受け取ったかのように、再び静寂の中に溶け込む。
「案内をつけましょう。“記録されざる訪問者”として、あなたたちは公の道を通ることはできない。でも、あなたたちが見るべきものは、きっと陽の当たらぬところにこそあるから」
彼女の指が鳴らされると、年若い男性がひとり、姿を見せる。
「こちらはナヴィス。水の神の信徒にして、わたくしの目と耳。彼に従えば、この都の“内側”へと踏み込めるでしょう」
ナヴィスは目元に薄い刺青を持ち、どこか影のある雰囲気をまとっていた。けれど、ダインたちを見る目は、どこまでもまっすぐだった。
「……はじめまして。ナヴィス・ティレーと申します。パレア様の命により、あなた方をお連れします」
淡々としたその声は、どこかで聴いた水音のように、染み込んでくる。
ルリムが一歩前に出る。その瞳に、微かな氷光が宿る。
「“内側”というのは、中央に見えた白い建物のこと?」
ナヴィスは少しだけ目を細め、しかし肯定するように頷いた。
「はい。治水院、そして——その下層。“静けさの奥”と呼ばれる水路群です。忘れられた水、閉じられた流れ。それらが沈む、都の心臓部」
ダインは無意識に拳を握りしめていた。言葉では言い表せない、ざわつく感覚が胸を打つ。“沈めることで均衡を保つ”。パレアのその言葉の裏にあるものを、きっとそこで知ることになる。
「……行きます。ナヴィスさん、お願いします」
ルリムも頷いた。氷の揺らめきをその身に宿したまま、静かに。
※
外に出ると、都の喧騒は遠く、空気はまるで水底に沈んだようだった。
「この時間帯なら、監視もほとんど機能していません。けれども、決して離れませんように。戻ることの叶わなくなるやもしれません」
ナヴィスの声には、警告でも脅しでもない、ただ事実を伝えるような冷たさがあった。都の奥へ。地図には記されない道を、進んでいく。
曲がりくねった道。石畳が途切れ、小さな水門の先に広がるのは薄暗く、静寂に包まれた地下の水路網。
ルリムが静かに口を開く。
「……冷たい。けど、怖くはない。むしろ、懐かしい感じがする」
その言葉にダインも首肯する。ここは、何かを“忘れさせた場所”だ。そこに“残されたもの”を探しに来たのだ。
ナヴィスが手にした灯が、水面に長い光の尾を引く。
「ここから先は、言葉で語ることのできない“沈黙”の領域。……でも、聞こえるかもしれません。かつて水に抱かれた、名もなき人々の“声”が」




