第二十一話
船頭は何も言わずに二人を乗せ、漕ぎ出した。山から吹き下ろす風が水面を穏やかに撫で、陽の光を受けてきらめく。舟の下を小さな魚群がくぐり抜けていく。
「舟に乗ったの、初めてだ。村だと……」
ダインは口をつぐんだ。燃え盛る家々。血で真っ赤に染まったトマス司祭。ダインの表情を見て、ルリムは何も言わず肩にそっと手を回した。
※
舟が湖の中央に近づくにつれ、霧の向こうに高い楼閣と石造りの水門が姿を現した。水上に浮かぶようにして築かれた関門。周囲には紋章を掲げた監視塔がいくつも立っている。
ダインたちの舟が近づくと、甲冑を着けた兵士たちが手を上げて制止した。
「これ以上の進入は禁止されている。通行には身分証か推薦証が必要だ」
やっぱり、そうなる。ダインは口をつぐんだまま、どうすることもできずにいた。
そんなダインの隣で、ルリムが小さく囁いた。
「……伝えてみたら? トマスが残した言葉」
「でも、それで通れるなんて……」
「君が信じた言葉なら、試す価値はある」
ダインはうなずき、意を決して口を開いた。
「……僕は……グラヌスク、クランヌ村のトマス司祭から言われました。“ヒュラテスのパレアを頼れ”と」
一瞬、兜の奥で兵士たちの目が揺れた。
視線を交わし、互いに短く頷くと、そのうちの一人が低く告げた。
「記録されざる訪問者だ。通せ」
重たく閉ざされていた水門が、ゆっくりと開いていく。
※
水門の向こう側は、驚くほど静かだった。
舟が滑り込んだその空間は、いくつもの川が編み込まれるように交差し、街並みを複雑に縫っていた。水路はすべて整備され、まるで流れそのものが秩序に従っているようだった。
水の上には石造りの橋がいくつもかかり、白と青を基調とした建物が連なる。高低差のある町並みが、水面の反射と相まってどこか幻想的だった。
「……本当に、湖の上にあるんだ……」
僕は思わず呟いていた。
ルリムは黙ったまま景色を見つめていたけど、その横顔は少しだけ、懐かしさを含んだような表情に見えた。
「ここは中心じゃない。ただの外縁だよ。だけど……」
舟はやがて小さな波止場に着いた。そこには受付のような建物があり、関門に刻まれた紋章と並んで、別の小さな印が刻まれていた。ルリムがボソリと呟いた。
「懐かしいね。滴を重ねた印——ブラックブリッグの私印だ」
舟を降りたダインたちを、黒衣の案内人が迎える。
「記録されざる訪問者、お連れします」
彼はそれだけ言って、水路に沿うようにして歩き出した。ダインたちは何も言わずその後ろをついていく。




