第二十話
吊り橋の縄が揺れ、焼け焦げた木板が一枚、風にさらわれて落ちていった。
その先、斜面を下る細い獣道のような道が続いている。ふたりは振り返らず、ただひたすらに足を前へ運んだ。戦闘の余韻がまだ体に残っている。けれど、それ以上に、確かに掴んだものがあった。
「……ダイン」
ルリムがぽつりと呟く。
「うん?」
「力の流れ、覚えておけそうかい?」
「……うん。ちゃんと覚えてる。……感覚だけど、わかった気がする」
「それなら良い。彼らみたいに呪文をネチネチ考えなきゃいけなくなると思うと面倒だからさ」
「ルリムが何も詠唱せず創霊力を使えるのには訳があるの?」
「逆だよ。創霊術は元々感覚を研ぎ澄ませてそれを放つものだったんだけど、グラヌスクが“一斉に”“同一の”創霊力の行使を目的として開発したものなんだ。決められた型の再現のために呪文を読むって行為は、理に語ってるとは思うんだけどね。」
「だから同じ創霊術を同時に撃てるんだね」
「昔は本当にごくわずかな人しか、呪文を唱える人なんていなかったのになあ」
足元の土が柔らかくなってくる。岩の混じっていた山道は、次第に潤んだ大地へと変わっていた。
水の音が、近い。
鳥の声が戻り、草木の匂いが濃くなってくる。
やがて、開けた視界の向こうに、それはあった。
大河——
広く、静かで、それでいて脈動するような水の流れ。対岸には、水に開かれた港町のような集落が、霞の中にかすかに見えている。
「……ヒュラテス、か」
「うん。あれが、グラヌスクとは違う“水の国”の名残だよ」
ルリムの瞳が、ほんの少し潤んだように見えた。
「まだ、流れてるんだね。全部が失われたわけじゃない」
それは彼女が過去を知っているからこその言葉だった。今のダインには、その意味を全部は理解できない。
けれど——
「……なら、僕たちも、まだ進めるってことだ」
そう言ったダインの横顔を、ルリムは少しだけ、嬉しそうに見ていた。
斜面を下りきると、森はふいに終わりを告げた。
眼前に広がっていたのは、静かにきらめく水面だった。無数の小川が集まって、一つの巨大な湖へと注いでいる。その広がりは、まるで大地が呼吸するかのように穏やかで、けれど確かに生きていた。
「……ここが、ヒュラテスの外縁……」
ダインがぽつりと呟く。風に乗って運ばれてくるのは、湿った草の香りと、どこか遠くで鳴る鐘のような水音。
湖の向こう、遥か彼方に、霧の中に浮かぶ都市の影が見えた。
建物は水の上に広がるようにして立ち並び、無数の橋や水路がその間を縫っている。いくつもの川が国の四方から流れ込み、ヒュラテスを潤していた。
遠浅の湖の中央——そこに、“水と共にある国”があった。
「こんなに……水に囲まれてるんだ……!」
驚きに息を呑むダインの横で、ルリムが目を細める。
「変わってない。……いや、少し、整えられすぎたかもしれないね」
「え?」
「昔は、もっと自由に流れていたはずの水。それが、今は“護られてる”ように見える。流れを制限されて、囲われてるみたいに……」
その声には、ほんの少し寂しさが滲んでいた。
ふたりは足元の小さな渡し場に目を向けた。木造の桟橋、いくつかの荷船、そして対岸へ向かう手漕ぎの渡し舟。
大きな鳥が、頭上を飛んでいく。




