第十七話
山道は細く、苔むした岩や木の根が複雑に絡み合っていた。かつては人が行き来していたのだろう。朽ちた道標や崩れかけた橋脚が、名残のように顔を覗かせている。
「これが“グレイドの渡し”へ続く旧道……思った以上の廃れ具合だねえ」
「うん。でも、巡察の目が少ないっていうのは本当みたいだ。ここを通るのは、もう地元のごく一部の人間くらいだって、村の人も言ってた」
「それだけ自由な道は減っているってことかな」
ルリムの言葉に、ダインは小さく頷いた。
枝葉の隙間から、柔らかな日差しが差し込む。
森の空気は澄んでいて、けれどその静けさがどこか、よそよそしい。
「ねえ……ひとつ、聞いてもいい?」
「どうぞ」
ルリムは立ち止まらず、淡々と返事をする。その声音に、ためらいが薄れた。
「君は……あの氷の中に、どれくらいいたの?」
ルリムはすぐには答えなかった。
けれど数歩進んだあと、ぽつりと呟くように言った。
「私も分からないんだよね。ほとんど寝ていたようなものだし。今が何年なのかすら。」
ダインは足を止めそうになった。
「今は……聖炎歴230年」
「その年の数え方を私は知らない。」
「……ッ!」
「でも、不思議と、感覚は昔とあまり変わらない。目を閉じて、次に開けたら、ただ“時間”が過ぎていただけ……そんな感じ」
彼女の声は、あまりにも静かだった。まるで、感情を遠ざけるように。
「じゃあ、君は……昔の世界を、知ってるんだね」
「八つの国に、八つの神と、八つの祝福。流れも、戦も、秩序も、それぞれの神と共にあった世界。それがどうやら今は違うんだね」
ルリムの声にはどこか、寂しさが混じっていた。
「今は、聖炎が全部をまとめてる。聖炎の王がこの世に現れてから、ひとつに整えられたんだって」
「……聖炎の“王”、ね……」
ルリムは目を細めた。
「ダインは“整っている”と感じるかい?」
「ううん。祝福を受けてないと、価値がないみたいに扱われてさ……特別な力を持ってても、こうして理由も聞かれずに追われる」
それは、自分自身のこと。ルリムも、それを察している。
「ねえ、ルリム。君は……“祝福”って、なんだと思う?」
問いかけに、ルリムは少しだけ考えて、それから言った。
「……本来は、神が信じるに足る者に与えるもの。でも今は、神の言葉もないまま、力だけが一人歩きしてる」
「神の言葉……」
ダインは空を仰いだ。
「……僕には、よくわからない。ただ、あの夜……氷の中の君を見つけた夜。誰かの言葉で動かされたような気がするよ」
「それはきっと、神じゃない。君自身の声さ」
ルリムの声は静かで、確かだった。
ふたりの歩みは遅く、慎重だ。それでも、確実に前へと進んでいる。風が木々を撫で、どこか遠くで水のせせらぎが聞こえ始める。
その先に、ヒュラテスがある。