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冥闇不道のアポストル  作者: 茅井 祐世
第二章 旅立ち
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第十六話

 翌朝、濃い霧が谷を覆っていた。


 村人たちは朝が早い。ダインが囲炉裏の火を起こし終えた頃には、すでに何人かが畑に出ていた。


 戸の隙間から見える山の斜面は、昨日よりも静かだった。追手の気配はない。だが、それが長く続く保証はなかった。


 そのとき、戸を叩く音がした。


「……起きているかい、旅の子」


 昨日、最初に彼らを迎えた老人だった。片手に鍋を提げ、もう片手には何かの地図のようなものを持っている。


「食べていくといい。話のついでに、教えてやれることもある」


 粗末な木の机に鍋と地図が広げられる。

 鍋の中は芋と山菜のスープ。素朴だが、空腹には十分だった。


「ヒュラテスに向かうと言ったな。……簡単な道じゃない。谷を南へ抜け、峠を越えなきゃならん。道は狭く、巡察の目もある」


「巡察?」


「グラヌスクの手先さ。いまは“治水院(ちすいいん)”の名で表向きは役人ぶってるが、蓋を開けたらただの軍人さ。ヒュラテスは昔、炎に敗れて従属した国だ。いまも『管理される水』として、首輪をつけられてる」


 ルリムがわずかに顔をしかめた。


「でも、ヒュラテスは流れの国でしょう? 本来、他を受け入れる懐の深い土地だったはず」


「昔はな。だが今は……水も“器”に納められちまってる。流れることを許されない水は、もう水じゃない」


 言葉には、どこか皮肉混じりの諦観があった。


 老人は地図の一部を指さす。


「この道を南へ五日。途中に“グレイドの渡し”がある。今は滅多に使われないが、かつて水の民が交易に使っていた旧道だ。人目を避けるにはちょうどいい」


「そこを越えれば、ヒュラテス領?」


「そうだ。ただし——」


 言いかけて、老人は視線を鋭くした。


「そこから先は、嘘をつけない土地だ。あんたたちが何者か、何を抱えているか、試されるだろうよ」


 静かな言葉だったが、何かを含んでいた。

 まるで、未来を見通しているかのような——そんな響きがあった。



           ※



 食事を終えると、ダインは火を見つめたまま、小さく呟いた。


「……それでも行かなきゃ。ここにずっといるわけにもいかない」


 ルリムが言葉を添える。


「うん。あの国で、何が失われたのか。……私、ちゃんと見ておきたい」



           ※



 朝靄がまだ地面を這う頃、ダインとルリムは村の外れに立っていた。荷物と呼べるほどのものはない。老婆が手渡してくれた干し肉と水筒と、織りの粗い外套。


「……ありがたいね。顔も知らない私たちに、こんなにしてくれるなんて」


 ルリムが呟くと、ダインは頷いた。


「優しい人だった。でも、長くは居られない」


「うん。いつまた追手が来てもおかしくないから」


 二人はそれぞれ、村の方を振り返った。


 谷に沈むように眠る小さな村。煙がまっすぐ立ち上り、家々の戸はもう閉ざされている。見送りの言葉はない。けれど、それが“ここでは語らない”という優しさなのだと、ダインには分かった。


 ルリムは小さく呟いた。


「……また、いつか帰ってこられるといいな。名前を持って、胸を張って」


 ダインはその言葉に、ふと目を細めた。


「うん。——そのときまでに、“何者か”になれてたらいいな」


 二人は視線を交わすと、そろって歩き出した。獣道のような細い山道が続いている。その先に待つのは、まだ見ぬヒュラテス。水の国、かつての自由の地。


 追われる身。未知の力。

 それでも、彼らは歩き始めた。互いの名を知り、少しだけ心を預け合いながら。


 ——旅の第二章が、静かに幕を開けた。


 ここまでご覧いただきありがとうございます。

 一度は筆を折った身にも関わらず、お目通しいただいていることに心より御礼申し上げます。

 アニメでいう十二話分に該当するくらいの構成はすでに出来上がっており、現時点で三話目程度といったところです。至らぬ点も多々ありますが、一緒にダインの成長を見届けてもらえれば、幸いです。

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