第十五話
ぱち、ぱち、という音が続く。囲炉裏の火は小さく揺れ、室内をぼんやりと照らしている。
その灯りの傍らで、少女は静かに目を開けた。
視界はまだぼやけていた。天井の木目が揺れて見える。薄く硬い布団の感触がある。けれど、それ以上に、どこか暖かい。
「……ここは……?」
掠れた声で呟くと、すぐ隣で動く気配があった。
「気がついたんだね……よかった」
顔を覗き込んでいたのは、森で彼女を助けた少年だった。頬に小さな火傷、服は焦げ、目元に疲れの色が残る。それでも、その声には安堵がにじんでいた。
「……少年」
少年は柔らかい口調で答えた。
「……君にもちゃんと名乗らないとだね。ダインって呼んで」
その名を確かめるように、ルリムは小さく頷く。
「ダイン……うん。なんだか、優しい響きだね」
「そ、そうかな……じゃあ、君は?」
ルリムは一瞬迷ったような顔をしてから、少しだけ胸を張るようにして言った。
「ルリム。ルリム・シャインコード。今はそれしか名乗れるものがないけど……」
「いい名前だよ」
素直にそう言われて、ルリムは少しだけ照れたように目を伏せた。
「ありがとう、ダイン。助けてくれて」
「僕の方こそ。君がいなかったら、きっと……」
二人の視線が、囲炉裏の火の向こうで交わる。初めて知った名前。初めて交わした言葉。でも、なぜだろう。どこか懐かしいような温もりが、そこにはあった。
火の揺らぎをしばらく見つめてから、ルリムがぽつりと口を開いた。
「ねえ、ダイン。君は……これから、どこへ行こうとしてるの?」
問いかけは穏やかだったが、その瞳には静かな真剣さが宿っていた。
ダインは少し言葉に詰まった。村の司祭だった男が、最期に遺したもの。
「僕を育ててくれたトマスっていう人が……最後に言ってたんだ。“ヒュラテスのパレアを頼れ”って」
「ヒュラテス……」
その国の名に、ルリムのまなじりがわずかに動いた。
「でも、僕にはよく分からない。そもそも“パレア”って誰なのかも知らないし、ヒュラテスに行ったって、本当に何かが変わるのかも分からない。でも……」
言葉を切り、拳を握る。
「助けなきゃいけない、大事な人がいるんだ……」
ルリムは静かに彼の言葉を聞いていた。そして、少しだけ微笑んだ。
「……不思議だね。私も、どこかに向かわなきゃいけないって、ずっと思ってた。でも、どこへ行けばいいのか分からなかった」
「……なら、いっしょに来ない?」
その提案に、ルリムは目を見開いた。だが、すぐにその表情は和らぐ。
「……いいの?」
「うん。僕一人じゃ、多分また道に迷う。君がいてくれたら、ちょっと心強い」
ルリムはふっと笑い、少しだけ照れたように目をそらした。
「……じゃあ、お言葉に甘えて。案内するのは苦手だけど、君の“隣”くらいなら、歩けると思うから」
そう言って、彼女は布団の中から手を差し出す。
その手はまだ冷たかったけれど、力強い意思があった。ダインはその手を、そっと握った。
炎が静かに、二人の影を重ねる。
旅の始まりとは、時にこんなふうに、言葉の少ない夜から始まるのかもしれない。