第十一話
冷たい空気が肌を刺す。
暗がりの裂け目を抜けた先は、どこともわからない山に聳え立つ崖の中腹だった。昼なのか夜なのかもわからない、霧の立ちこめる深い山。遠くに木々のざわめきが聞こえる。
ダインは肩で息をしながら、少女をそっと下ろした。背中が熱い。それが自分の汗か、彼女の冷気によるものなのかは分からない。
「……ここは……」
少女は地面に手をつき、顔をしかめる。まだ満足に体は動かないようだった。
「多分……外。うまく抜けられたんだ」
ダインはそう言いながら、後ろを振り返る。抜けてきた裂け目は、倒れかけた岩の陰に隠れていた。気づかれなければいいが——そう思った矢先、風が一瞬止まり、木の葉がざわめいた。
——遠くで、甲冑の鳴る音。
追手は、もうすぐそこまで来ている。
「……立てる?」
ダインが問うと、ルリムは静かに首を振った。
「足の感覚が……もう少しかかると思う」
「なら、僕が……」
再び背負おうとしゃがみ込んだダインに、彼女がふふ、と小さく笑う。
「本当に君、不思議な子だね。さっきからずっと……怖くないの?」
「……怖いよ。ずっと」
それでも、とダインは言った。
「誰も、もう僕たちのこと、助けてくれない気がするから。だったら僕が——やるしかない」
ルリムの目が、少しだけ見開かれた。
「……うん。君は、やっぱり強いよ」
小さく頷いて、彼女は再びダインの背に身を預けた。その身体はまだ冷たくて、でもどこか、生きている水のような重みがあった。
木々の奥、気配が近づいている。
二人は、霧深い森の中へという足を進めた。
木々の間をすり抜ける冷気が、肌をなでる。霧のせいで、すぐ先すら見えない。枯葉を踏みしめる音が、やけに大きく感じられた。
ダインは木の根を避けながら、必死に足を動かす。少女の身体は軽いが、長くは持たないだろう。
とにかく、追いつかれる前に、どこか身を隠せる場所を——
しかし、運命はあまりに残酷だった。
風が揺れた、と思った瞬間、前方の霧が裂ける。
「発見!」
鋭い声とともに、数人の影が木々の間から現れた。赤と黒の装束、肩には聖炎の紋章。
聖炎騎士団——しかも、その中でも統制の取れた小隊。ダインは直感で悟った。あれが、追手の本隊だ。
「撃つな! 距離を詰めろ!」
その声は他の者とは違った。若いが芯のある響き。霧の向こうから姿を現したのは、一人の少年だった。ダインたちとそう変わらぬ年頃、だが全身から発せられる威圧は歴然としている。
槍を構えたまま、まっすぐダインを見据えていた。目は鋭く、けれど迷いがない。その視線に、ダインは咄嗟に立ち止まってしまった。
「逃げる気なら、早いほうがいい。ここから先は通さない」
「君たちは……どうして、こんなことを」
ダインの声は震えていた。恐怖ではない。ただ、何かが喉に詰まるようだった。
「命令だ。貴様らを放っておくわけにはいかない」
少年は地を蹴った。赤い霧のような熱が、彼の周囲に広がる。火の創霊力。
戦うしかないのか——
だが、彼女をかばったままでは、立ち回りは利かない。
ダインは短く息を吐き、静かに彼女をそっと下ろした。
「……少し、だけ待ってて。今度は、僕が守る番だから」
少女は何も言わず、けれど信じるように頷いた。雷鳴のような音が、再び、ダインの胸の奥で鳴り始める。
彼の足元に、淡く光が走る——