棄民
「……まあ、ここらでさよならだ」
簡素な寝床にいた母と私に
狼人種の男は耳だけをこちらに向けつつ独り言ちる。
それだけ、その一言に尽きた。寝床、仕事、食料の提供。
私たちにとっては感謝しこそすれ恨みなど持ちえない。狼人種の誠意に対して淡い恋心すら抱いていた者もいたはず。
なぜ狼人種たちが私たちのような取り柄のないヒト、棄民を手厚く育てていたのか?
「……」
決まっている。いや、決まっていた。
わかっていたはずなのに、いざ『さあ今からゴブリン共に蹂躙されてくれ』と言われて躊躇う私は実に
・・・・・
出来てない。所詮私は棄民なりの心しか持ち合わせてはいなかったのだろう。
「すまない、あきらめてくれよ」
「……」
狼人種の男はイシューという。
狼人種の集落にあって指導者としての立場にある男だった。
棄民として森を漂う我らの母の世代と生活を共にする様になり、長い時間を狼人種たちと費やす。
そんな中で私は生まれ、狼人種たちのいる生活を当たり前に過ごしてきた。
強制されるまでもなく差し出した労働力、忠誠心、カラダ。
『狼人種の方々は性に大らかだから』と、母が頬を染めながら吐息でも吐くかのように漏らしていたのを思い出す。
その母が、今は。
「本気なのイシュー!?ゴブリンなんて死ぬ前に死ぬほど犯すの!死んでからも!私にそうしろって言うの!?」
なよなよとイシューに縋りつく母は女の顔をしていた。
イシューに抱かれる夜を超える度に母は女になっていった。今蹴落とされんとする、この瞬間さえ。
「娘はどうなるの!?あなただって死なせたくはないはずよ!!」
その娘である『私』はただ突っ立って下を向いている。
私の父がイシューであろうがなかろうが……そんなことはどうだってよかった。だって何にも変わらないのだから。多分。
「あなたたち狼人種だって親心はあるでしょう?娘はまだ13になったばかりなのに……」
棄民とはなんだろう。
そんなことはじきにどうでもよくなった。
「娘には母親がいるの!私と娘だけはどうか!迫るゴブリンは大群とは聞いてない!私たちふたりは見逃したとしてもそう影響はないでしょう!?」
イシューの眼はずっと動かない。
母の女の顔にただイシューの視線が張り付いている。
月の光に照らされている池ように……イシューのその視線に意味なんて無いのだろう。そんな目だったし気付かない母も錯乱しているのか、まだ自分が助かると信じることを辞めない。
自分以外の棄民達を全て差し出し、拾ったその命で母は何がしたいのだろう?
恐らく私などには考え付かないような思いが母にはあるに違いない。
「……お願いよイシュー。娘は良かったでしょう?また3人で夜を重ねましょう。きっとあなただって救ってよかったって思わせて見せるわ」
崇高な想いを抱いて母はこうしてイシューに縋っている。
そうでなければ、そうあってくれなければ
・・・・・・・・・
醜すぎるじゃないか。
「……もうだめなんだよ。お前たちとの暮らしはもう終わりなんだ。今までありがとう、人間の女の身体がこんなに良いものだと、お前たち親子が教えてくれた。またどこかで棄民を見つけたらお前たちのことを思い出して抱くことにしよう」
もちろん棄民の半数は男でありゴブリンと争うことも出来る。
しかしよく戦ったとしてもたかだか20の棄民なんてせいぜい半時が関の山。あとは女で時間を稼ぎその間に狼人種たちは移動を終える。
好色な種であるゴブリンに時間稼ぎの面で女は実に優れており、そのために狼人種は棄民を見つけては「飼う」のだそうな。集落の危機を回避するための肉の壁。そう教えてくれたのは母だったのに。
いつから母は壊れてしまったのだろうか?
分かってたことじゃない。
「……あぐっ!?」
不意に母の言葉が消える。
よほど喧しく騒ぎ立てる母に加えられた一撃。
イシューの当て身は棄民の女の叫びなど造作もなくかき消す。
母は自分のお腹を両の腕で抱えるように体を折り曲げながら、額に脂汗を浮かべていた。
容赦ない。
これだって分かってた。いつの夜もイシューは容赦が無かったから。
「……母を大事にな。そうそう、なるべく堪えてから死んでくれよ?ゴブリンはすぐには殺さないんだそうだ。お前は母よりも我慢がきくだろう?あの調子でよろしく頼む」
だから、分かってる。
最初から決まってたんだ。
どうしょうもないって。
「……」
なのに。
「……おい、どうだ最後に夜を共に?そこの母は抜きで。腹が痛そうだから今日は動けまいて」
私は頭をふり拒む。
どっちでもよかったが、初めて拒んだのだ。
そうか、とイシューは背を向け夜に溶けていく。
イシューは私を哀れんだのだと思う。
これが狼人種の「優しさ」なのだ。
私が近くゴブリンに八つ裂きにされるのが可哀想だからせめて今夜は抱いてあげよう、と。
「……ふふ」
ふふふ。