罪状
「裁判?」
「ええ。近く少尉は先の戦争に関する軍事裁判に出廷して頂かなければなりません」
1階の病室であるここは風の抜けが良くない。少尉も私も手ぬぐいで汗を払いつつ話を続ける。
「名称は変更されるかも知れませんがね。大東亜裁判、極東裁判や東京裁判」
「もういいもういい。中身はどうせ同じだろ?」
「同じですね」
少尉は車椅子は用意してくれるのだろうな、とのんびりした口調で話す。まだこの人は分かって無いのかも知れない。もう既に詰んでいるということが。
「罪状を読みますね。後で文書をお渡ししますが、一応規則なもので」
ふうん、と退屈そうに頭をバリバリと掻きながら庭に干されたシーツを眺める少尉。
罪状の中身は主に戦争犯罪と呼ばれるもので……細かな作戦失敗多数、現地人の殺害婦女暴行拉致その他。
その中には当然アメリカ兵達の殺害も含まれた。
私はなるべく事務的に、感情を打ち消して伝える事に終始するよう努める。何しろ自分に身に覚えなど無い罪状を山の様に羅列されるのだから少尉の気持ちは推し量れない。
「なあ開襟殿。それで俺は一体どのくらい殺したことになるんだ?」
数え切れない。私でさえ話していて馬鹿馬鹿しくなる程の聞くも無惨な惨状の数々である。事前に此処が何人でこちらが何人、と数えて来ていなければ即答など誰にも出来まい。
「昨日夜なべして数えまして……880人でしたね」
「縁起良さそうな数字だ、御苦労だな開襟殿」
「いや……恐縮です」
此れは実現可能なのか?
たった一人の軍人が大砲も持たず此れだけの人間を殺害出来るものなのか?
そんな疑問を持つ権利すら私には無い。私はただ正式な書類を受け取り被告である少尉に伝える、それだけが仕事なのだから。
「しかしなあ。聞いても良いか?」
態度には全く出さないが、突如憤慨して私に襲いかかる事も想像するに容易い。
濡れ衣ばかりなのだから当然だ。
しかし少尉の質問は弁明でも無く自らの潔白を証明するでもない……至極普通なモノだった。
「戦争に於いて敵兵を殺す事は罪だったのか?初耳でな」
病院の庭でパタパタとなびくシーツ。
表情を変えず穏やかなままの少尉。
私が取り乱すわけにはいかない。
「どうやらそのようですね。私も不勉強でして最近知ったところですよ」
「世界は広いなあ」
「いやまったく」
つつ、と私の頬を流れる汗。
今までの軍人達と全く異質な反応に混乱していた。
命からがら無茶な戦争を生き残り、日本のために全てを捧げたこの陸軍兵士は……今度は守っていた筈の国に殺されようとしている。しかも今回は『戦闘』ですらない。一方的な『死刑宣告』だ。
「しかし良くその罪状が通るものだ。誰かが『ヨシ!コレでいこう』となったのだろう?米英共は納得出来るのかね?」
「少尉殿はあちらでは結構な有名人ですからね。『あの亡霊ならやりかねん』そう判断されたんじゃないでしょうか?」
恐らく少尉でなけれぼ無理だっただろう。通常押し付ける罪状にも限度がある。
相手を納得させる、ある種の説得力が必要なのだ。
悪評も伝説になり得るのかは知る由もないが、少尉の知名度は国内よりもむしろ海を渡った向う側にある。
「戦地は尾ひれが付くからなあ。買い被られたものだ」
「そのお陰で命拾いする元帥や将官は少なからず居ると聞きます。少尉が化け物だったお陰ですね」
「恩給沢山くれるんだろうな?」
「ご実家に蔵が建ちますよ」
「無理やり俺を生かした甲斐があったな。偉いヤツってのは保身に余念が無い」
「だから偉いんでしょうね」
はっはっは愉快なやつだと笑い飛ばす少尉。
だから……私はどうしても気になってしまった。
「悔しくは無いのでしょうか?」
こんなことは聞くべきではない。
どんな答えが返ってきたとしても、私などにはどうする事も出来ないのだから。
不意を突かれたような、初めて考え込む素振りを見せる少尉。
少しの間を空けた少尉の表情は今までの佇まいを何ら崩すことのない、穏やかなモノだった。
「竹馬乗れなくなった。どうしてくれる」
悪戯な笑み。なんだろうこの人は。
「俺はな開襟殿。マラリアだかデング熱だか其辺の病で狂ってしまったんだろう。恐ろしくもなけりゃ悔しくも無い。心残りがあるとすれば……意志だな」
「意志、ですか」
「おう。俺はもう何かデカい意志の狭間ですり潰されるのは御免だ。それ以外の事はどうでもいい。生きるも死ぬも俺の意志だ、裁判など知らんよ。罪状などは好きにするといい」
「……その結果意志に反して殺されたとしても、ですか?」
「そうだ。その時は俺の力が足りなかったんだと納得して死んでやるよ」
「……」
私はもうこの軍人に何を言えば良いのか分からなくなる。
罪状から死刑は確実に執行される、そんなことが分からない訳が無いだろうに。
この人は。
「また『死に遅れる』つもりですか少尉?」
ふふ、とお互い少しだけ笑う。
『なんせ800人からの人間を殺した大悪党らしいのでな。首括ったところで死ぬかどうかはやってみないと分からん』
そうですね、と私が相槌を打つと。
また二人して、今度は声を上げて笑った。