伍長
カガヤンから出立したアメリカ軍の爆撃機の編隊が俺の原隊に到着した報を南方本部で聞いた。
空襲があるならこの南方本部が先に戦闘になると予測していた日本軍は、北に位置するカガヤン方面からの対応は後手に……いや、知っていてもどうしょうもないか。
南方本部でさえ空襲に対応できるとは思えない。
「少尉殿」
将官となった俺に食料を渡しながら、言葉を発する若い兵。襟章から伍長だと分かるが年齢から察するに『学歴組』だろう。本部付けの初々しさが抜けきらない目をしていた。
「失礼ながら少尉殿の原隊はすでに壊滅しているとの予測です。戻られたところで」
伍長の差し出した軍嚢にはずしりと重量を伴った食料が納められている。将官ともなるとこの様なところも差が出るらしい。
「原隊復帰の命令は解除になっていないのでな。軍とはそういうモノなんだ伍長」
そもそも中佐の世間話の為わざわざこんなところまで来ているのだ。今更非効率だ愚直だと言われても、どこまでいっても軍とはやはり嫌になるほどそういうものなのだ。
「木槌少尉は、『あの』木槌少尉でありますか?米軍共に侍亡霊と恐れられているあの」
冒険小説でも読んでいるような目だ。まだ少年らしさが抜けきらぬこの伍長は俺を玉松ワカナや柳屋千太・万吉と勘違いしている。慰問先に現れた芸能人を見るような……据わりの悪い視線を向けられても困る。
「亡霊が水虫で困っている、などと聞いたことが無い。亡霊なら足は無いものだろう」
湿気にまみれ乾燥することがほぼ無いこの地では、一度水虫になろうものならもう生涯付き合っていかなければならぬ。
若い伍長は笑うのを堪えながら直立している。
前線とはいえこの南方本部はまだ機能しているのだろう。伍長の軍服はボロとはいえ洗濯されているようだし、靴も鮫革ではない。そして何より若者を笑顔にさせる余力がまだ残っている。
「アメリカ兵共を蹴散らしてきてください!御武運をお祈りしております!」
空から降る爆弾の雨の中みっともなく逃げ回るのが果たして戦闘足りえるのか、この伍長未だ戦闘経験が無いのかもしれない。
「……」
俺は何も言えなくなり軍嚢をひっつかんだまま急ぎ歩き出す。
バナナの皮を齧り、カエルをご馳走だと喜び、輝くトカゲで苛烈に腹を下したあの原隊に戻るのだ。
考える事が馬鹿馬鹿しくなるほどの絶望の未来しか想像出来なくなった俺が、この伍長に言えることなど何も無い。何一つ。
「……」
一度振り返ると伍長は軍帽を目一杯振っている。
願わくばあの伍長が戦闘に参加する前に馬鹿げた戦争など終わってしまえ、と空に願いながら俺は森の中へと侵入する。