最終節「バカープという言葉はなくなるのか?」
私がバカープと言う言葉を調べまわって行き着く先はどうしても「ビジパフォ問題」という情けない現実だった。おそらくビジパフォ問題がなくてもバカープという言葉は生まれていたのかもしれないが、私がこの目で見た憎しみ混じりのバカープはビジパフォ問題を筆頭にフェアプレーの精神に欠ける球団の在り方、またファンの在り方から生まれたものなのかもしれない。
ではそうした憎悪にまみれたバカープという言葉はなくなるのだろうか?
ハッキリと明言しておけばそれはないだろう。未来永劫に。
プロ野球が世に誕生して何十年という年月が過ぎた。その何十年のうちに生を授かり、死を迎える人も少なくはない。野球ファン同士のいざこざなんてそんな珍しい事でない。そしてその球団の歴史と伝統はそう易々と変わるものでもない。
ただ私が主張したいのは「相手がいてこそのスポーツ」即ち「相手がいてこそできる野球」という視点の重要性だ。ここが今多くの野球ファンに欠乏している気がしてならない。それは球団フロントの態度にすら顕れている。
ここで紹介したい漫画家がいる。彼の名は「あかぎゆーと」という。彼は自他ともに認める熱烈なカープファンだ。カープファンの女の子を描いた漫画がうけているのだが、ここ1年で他球団の女子も手掛けるようになった。するとそんな他球団のアイコンをもじった女子キャラも人気を博するようになったのだ。
特筆すべきは音羽・G・愛子というジャイアンツファンの女子だがなんと彼女、大金持ちのお嬢様という設定なのだ。今なろうで流行っている悪役令嬢を彷彿とさせる設定だが、コレがカープファンは勿論、ジャアインツファンからも好評を得ているというのだ。でも私は想う。交流というものは、こういうものでもイイのではないかと。いや、こういうものだからこそイイものなのだろう。
人は国が違えば言語も違って生活習慣も違う。従って相容れないのが普通だと言えば普通だ。しかし野球ボールとミットを持って「キャッチボールをしよう」と言ってキャッチボールを楽しむことは多少困難があっても出来るものだと思う。キャッチボールを始めさえすればそこに言語の壁はない。
いま、海を渡って大谷翔平という青年が大きな舞台で目を見張る活躍をみせているように、野球の可能性は海の向こう側にも広がっている。
いま、この作品を読んでいる野球ファンに問いたい。
いま、あなたの胸に手をあてて自問自答して欲しい。
いま、いらない壁を作ることがプラスなのだろうか?
野球は楽しいスポーツであり、同時に楽しいエンターテイメントであると私は思っている。そしてそう思って野球観戦を楽しんで観ている。「バカープ」と言う言葉が何の憎しみも持たない笑顔で切りだせる言葉になったとき、私が本作にて懸念していることは晴れてなくなるだろう。そしてその先に思い描ける夢がある。
可能ならばビジターパフォーマンス席は改良を施して欲しいと望む。それからビジターファンの方々へ完全提供して欲しいし、何なら遥々やってきた彼らを広島の魅力でおもてなしして欲しい。そんなツアーを設けたっていいではないか?「カープに負けてしまっても、広島の人たちは温かった」と言って貰える広島であって欲しいと切に思ってしまうものなのだ。
壊すべきは相手チームのメンタルではない。
壊すべきは互いに持つ偏見という壁なのである。
もしこの私の無理染みた夢が叶うのであれば、カープの優勝以上に嬉しい事になるかもしれない。私はカープという野球チームが大好きだが、それが広島という地域となれば愛してやまない地になるから。
そろそろ鯉の季節も終わる。私が少年だった頃「鯉のぼりが下りると弱くなるカープ」というのがカープ中継の風物詩だった。今年のカープは鯉のぼりが昇る前から何だか強くない印象があるが、ここから逞しく強いカープをみせて欲しいものである。そして誰しもに愛着を持たれる広島の発展も併せて期待したい。
フラワーフェスティバルも2年連続で充分に開催されてない。これまでそこにあった日常が懐かしく思うようにまでなった。この息苦しい世の中が変わった時、その時に「バカープ」という言葉を私の口から笑顔で言えるようになったならば、きっと私はすごく幸せなのだろう。
読売ジャイアンツのファンの皆様。
阪神タイガースファンの皆様。
ヤクルト・スワローズファンの皆様。
横浜ベイスターズファンの皆様。
中日ドラゴンズファンの皆様。
ともどもに愛するチームを応援しよう。そして日々カープと闘ってくれる事に心から感謝を述べ本エッセイを締めたい。
∀・)読了ありがとうございました。一度プロ野球に関するエッセイを書きたかったので書きました。はい、御察しのとおり「ビジパフォ問題」に関しては反カープです(笑)こうした意見をダラダラと書いた作品になりますけども、何か読んで思って貰えたのであれば至極光栄です。☆彡