第1節「私と広島東洋カープ」
∀・)スポ魂なろうフェスの特別掲載枠としてエッセイ作品を書きました。本日21時まで予約更新の計6話になります。バカープという言葉がなぜ生まれたのか?僕がいきついた答えのその先まで、どうかお付き合いください。
私が広島東洋カープを知ったのは父親からだ。父は幼き少年時代に75年の初優勝を目にしてカープファンとなった。それまでは巨人ファンだったらしいが、実はそのエピソードをあまり深く知ってないので割愛する。
私が小学生だった頃、野球中継は生活の身近にあったものだ。夕食を食べるとカープの試合を見ている父。父はカープのこととなると気性が荒く、あまりにも酷い試合結果を耳にしてラジオをぶっ壊した事もある(1度だけだが)。
父は本当に熱烈なカープファンだった。そんな父からカープの歴史から野球のことまで細々と教えられるのは自然の摂理だったようにすら思う。
広島という地域は住んでみれば分かると思うが、「広島東洋カープ」という野球チームというか文化が深く根付いている地だと思う。
文房具屋に行けば赤の背景に白で描かれたC文字の、もしくはカープの選手をもじったグッズが自然と売られていた。夕方、深夜、場合によって朝から地元テレビ局はカープの選手や監督を取材した番組を放送していた。学校や会社、町に10店舗近くもあるお好み焼き屋の店主にタクシーの運転手、どこにいる子供も大人も「昨日のカープはどうだった?」って話題で持ち切りになる。無論野球どころかスポーツに興味のない人もいるにはいるが、そういう人でも人付き合いの為に、ある程度は情報収集するなんてことも珍しくない。
こんな光景を子供の頃から30代の今に至るまで生活の一部としてみてきた。
だから「広島で生まれたからカープファンだよ」って人の気持ちが私には凄くよく分かる。それだけ生活の中に自然とその文化が溶けこんでいるのだ。
カープのことで感情的になる人達の気持ちもよく分かる。だけどそれがあの「四半世紀に渡る夢」の3連覇から風潮として良くも悪くも変移してきたと私はSNSの野球談議、とりわけ観衆側がやっているものを見ていて感じている。
しかしそこで私は変な気持ちになる言葉を見つけた。
バカープ。
ん? どういう意味かな? と思ってよくみたら敵チームファンの発言だった。
なんだ、推し球団が負けたことに対する腹いせかよと呆れて試合速報をみたら結果はカープの負けだった。あれ? 何でそんなことを言ってくるのだろう?
そこで私は色んな現実を目のあたりにすることになる。
本エッセイはタイトルにあるように「なぜバカープという言葉が生まれたのか」というテーマで独自の調査結果を参考に、最後まで私の心と言葉で綴るものである。
カープファンもそうでない人も私の一意見として最後まで読んで欲しい――