電荷
当作品の理論は必ずしも現実の研究と一致するものではありません。……という但し書きをしておきます。いつも通り妙な理論が飛び出しますがそんな設定があるんだ、くらいで以下略。
「何ですかこの……黒塗りの文字だらけの画像」
「死んだ父のレポートさ。色々やってたようでね、結局ダンジョンで死んだんだけれど面白い機密情報を握っていたんだ」
「馬鹿っていうのはそれを読み解きたいって話のことですか?」
「いや、そこから先に進みたいという話。楽しくてね、ただ隠されている事全てを暴いて知って気持ちよくなりたい、その為に命を賭けている。馬鹿らしいだろう、今の能力をフルに使えば社会的に大成功することは間違いないのに全く興味がわかないんだ」
流石にそこまで社会は甘くないと思う、と言おうとしたがこの人は既に2回くらい起業して両方ともとんでもない値段で他所に売り払っていたんだった。ちらりとレポートの文字列を追ってみると訳の分からない虫食いの中に幾つか見覚えのある文章が視界に映る。『胎異転生』、虚重副太陽、字数的にも恐らくそう書かれているだろう部分が幾つかある。
それを伝えようとするとレイナさんはウインクをしながら手のひらを開く。一見ただのプラスチック棒に見えるそのケースには集音機らしきものがついていて、そこまで含めて策だったのか!?
「今回解読できた部分の一つに魔力の正体、がある。気になるかい?」
「聞いても理解でき無さそうだけど、一応お願いします」
そういうとご機嫌そうに紙に書いて説明してくる。これは確か鉄イオン、ってやつだよな?とFe²⁺と書かれた絵を見ながら思い出す。彼女はその横にe⁻と電子を書いた。確か物質が電気を帯びている時、こう書くんだった。
「さて、これは流石に学校でやったかな?鉄のイオンと電子。鉄の方は+2の電荷をもっていて電子は―1の電荷をもっているわけだ」
「はい、でこういう小さな原子やイオンが集まって物ができるんですよね」
「そうだ。では仮に電荷がこうだったらどうかな?」
Feの横に2i+、eの横にi-、と記号を書き足す。iってなんだと頭をひねっていると彼女は複素数と言うんだ、これは高校3年の範囲だねと言いながら説明を続けた。
「まずこのiから説明してみよう。博人君、9は何を二回かけたものかな?」
「え?3かける3で9だから3を二回かけたということですよね」
「正解だ。では16は?」
「4です」
「なら3」
「えーと、ルート3だから1.7くらいとかですか?」
「その通り。理論上完璧にその値は出せなくてもそれに限りなく近い値を出すことはできる。では―1は?」
そう言われて俺は固まってしまう。1を二回かけても1だしそもそもマイナスになんてならないのではないか。なんでそもそも急に数学が始まっているんだ、魔力の話じゃなかったのかと思う俺にレイナさんは答えを言った。
「当たり前だけど答えは普通の数字では表現できない。でもないとおかしいわけ」
「……それがここに書かれているiですか?」
「そう。i×i=-1、で表される、現実では見えないけれど存在しないといけない数。例えば3i×3i=-9って感じになる。そしてこんなありえない電荷をもつ物質が仮に存在したとしたら?」
「それが魔力ってわけですか?」
「正確にはそれの複合体を諸々作用させる、という形らしいね。これを虚重原子理論、ノテュヲノンの言っていた虚重副太陽と重なるところのある話だ」
あらためて書かれた式を見る。虚数の電気を帯びる物質、確かにそんなものが寄り集まって一つの構成体を作るのであればそれはさぞかし珍妙な動きをするのだろう。だが人間の意志や法則に従って発動するようには感じられない。それはあくまで魔力という物を無理やり科学、いや物理で測ったというだけの話でどうして魔術を発動させられるような不思議な性質を持つのか、という部分には踏み込んでいないというか、一先ずそれを先送りにしたというか。
「驚いてる驚いてる。今回の件で少し色々見えてきてさっきから上機嫌なのもそれが理由なんだ」
「……さっぱりわかりませんでした僕には」
「実は私もだ。ただ彼らには一貫性がある、何かを成し遂げる為に反目しあっている。そして私の知らない情報がそこに隠れているのが確定したのがたまらないんだ」
「そこであのに勢力を手玉にとれたから、と言わない辺り流石ですね」
「私の得意分野だからね、誇るにも慣れすぎた」
そう嘯く表情は笑顔そのもので。ああさっきの体云々もそこらへんが理由か、と察する。レイナさんは俺を動かしたい、裏切らないように、行動が読みやすいように。俺を縛り付けるためなら体くらい出してもいいか、それくらいの意思で。
尻軽、と罵倒するにはあまりにも彼女の覚悟は本気で。そもそも命を懸けている人間にとってその程度はささいなことなのかもしれない。そう思っているとレイナさんはさてはさては、とニヤリとした顔で問いかける。
「さては私が他の男に取られる妄想でもしたかな~?」
「考えていることを読むのやめてください、怖いです!」
「これはいい縛りになりそうだね、君が裏切ると追い詰められた私はそうなってしまうかもしれないぞ?協力する理由が増えたんじゃないかな?」
「鬼みたいなこと言うのやめてください、あと恋愛感情的なものはないです!」
凄まじく意地の悪い顔で、やっぱからかいが五割くらい入っているなぁと思う。だが言い換えるとそれだけの価値が俺にある、と提示しているということでもある。別に協力者の女の子をあてがうとか金を持たせて風俗に突っ込ませるとか、性という方向で攻めるのならばいくらでもやりようがある。にもかかわらず自分、というものを出しているのだ。
「ああ勿論この野望に協力してくれるのなら金は出すよ。1回仕事達成につき1億、どうだい」
「協力しましょう、命を懸けます」
どうでもよくなった。金がすべてだ。……というのは嘘だが、これでレイナさんが俺と本気で組みたいということもわかるし、また俺の側としても組む意味がでてくる。仮にどこかで辞めたくなったとしても現金があればどうにかなる。その前に対処される気しかしないけど、それは間違いなく暴力ではなく他の形での引き留めなのだろう。だよな、SATにまた通報して帰らざるを得ない状況を作るとかじゃないよな?
暗闇に染まる窓にモニターの『終電、東京駅です』という文字が反射する。レイナさんは食べ物のゴミを片付けながら言う。
「これで共犯だ。私は知恵と金を、博人君は暴力を。私の目的は隠された知識で君の目的は冒険者になること」
「目的が一致しているようには見えないですね、これだと」
「まあね。なので私は後1日、正確には月曜日の7時までに君の居場所を作る。君こそが27個目のダンジョンを破壊した勇気ある冒険者であり、国も手出しができない、そう皆が認めるように」
「できますか?」
「君が私の指示に従ってくれるのなら」
問いかけは始まりへ戻る。信用ではなく信頼できるか。運転手としてハンドルを任せ、車に徹することができるのか。これはそういう話だ。だから俺は今度こそ迷わず答えた。
「できます」




