カーバンクルを添えて
見上げれば雲一つない夜空。人工の光がなく、新月の夜ということもあり絶景が広がっていた。数えきれないほどの星が視界いっぱいに広がり、カーテンのように揺らめくオーロラは様々な色に変化して見る者たちを楽しませるだろう。
これが数年前の神罰によって起きている現象だと知らなければの話だが。
まず、雲一つない夜空など珍しくない。雲がある日の方が幸運だといわれている。この地で最後に雲が見れたのは23日前、雨が降ったのは76日も前である。神罰の日以前からそうだったというわけではない。昔は雨が程よく振り、大陸有数の穀倉地帯として栄えていた。この地を巡って何度も戦争があったほどだ。だが神罰によって田畑は壊滅的な被害を受け、雨がめったに降らない土地となってしまい作物が育つことがないと言われている。地面を掘って地下水を使えれば作物を育てることはできるかもしれないが、それを行う人間がいなくなってしまったので無理な話である。
そしてカーテンのように揺らめくオーロラも昔から見れたものではない。そもそもこの地域は中緯度に位置しており本来オーロラ見えることなどあり得ない話なのである。これも神罰の日を境に見れるようになったものだ。
どういった原理で天候が激変したのか。それは文字通り神の領域なので知ることはできない。
次に大地を見下ろすとクレーターがいくつも形成されていた。神罰の日に降り注いだ流星群によって作られたものであり。神罰の日に人類が亡くなった死因の大多数を占めている。大地に降り注いだ流星群はあらゆるものを一瞬で破壊した。人々は蒸発し、建物は跡形もなく消し去り、山脈は崩れた。
そして流星群が降り注がなかった地域であり、あらゆる要因が重なって幸運にも、本人的には不運にも生き延びたリリィはクレーターの縁をゆっくりと歩いていた。神罰の日以前と変わらずメイド服を身に纏い、風よけのためのマントを羽織っている。背には身の丈ほどある大きな剣があり柄には三日月と鈴蘭が彫られていて、リリィの故郷に由来しているものだと窺える。肩掛けの鞄には物が殆ど入っていないのか潰れてしまっている。リリィの表情は暗く、苦しそうに見える。
その周りを小動物がテチテチとついていく。小動物はリスのような見た目でフサフサの緑色の毛が生え、額には赤い宝石が付いていてる。カーバンクルと呼ばれる獣で額についた宝石を手に入れると富や幸運が舞い込んでくると噂されている。ゆっくりと歩くリリィを心配そうに見つめては先へ行き、振り返りリリィが追い越すのを待ってから追いかけたりととても愛くるしい行動をしている。
一人と一匹の足跡は遥か彼方から続いておりその方向には何も見えない。ただ地平線が広がっているだけである。一体どれほどの距離を、どれ程の時間をかけて旅しているのか想像することができない。
リリィは両手をお皿にして僅かに残っている舌へ魔力を集中させた。
「言霊魔法、水」
しかし、何も起きなかった。
「ハハハ、水も出なくなっちゃったよ」
リリィはクレーターの縁に腰をかけると背負っていた剣と鞄を脇に置く。カーバンクルはリリィの肩に乗ると励ますように頬をペロリと舐める。リリィも大丈夫だと返事代わりにそっと撫でる。
脇に置いてあった鞄を開けて逆さにすると空になった水袋、燃料が無くなったランタン、レーションの空箱が何十箱、魔力を回復するポーションの空瓶が数本、六分儀、石が数個、神罰の日以前の地図、そして作成途中の現代の地図が出てきた。明らかに鞄の容量を超えていることからその鞄がマジックバックと呼ばれる魔法道具であることが分かる。
「ラルは元気だね」
肩に乗ったカーバンクルを膝上に持ってきてラルと呼びかける
「もしも私が死んだら拠点に戻りなさいよ。私の死体を食べてでも……ブヘボ」
カーバンクルの容赦ないパンチがリリィを襲う。
「ハハハ、そもそも肉食じゃなかったか」
そういう問題じゃないと言いたげにリリィをテシテシと叩く。
「まだ喋れる元気があるから良いけど、時間の問題ね」
リリィは散らかした荷物から六分儀を手に取ると位置の測定を開始する。六分儀とは月とか北極星とか使って居場所を割り出す……簡単に言うと天体とかから自分の位置を割り出す道具である。
ラルはそれを見るとリリィから離れていく。場所を測定している間リリィが構ってくれないから勝手に探索するのだ。呼び掛ければ戻ってくるのでリリィも「どっか行った」程度に思いながら測定に集中する。
「座標的にはこの辺りなんだけどな。見つけた人も手動だったしズレちゃっているのかな?」
古い地図と新しい地図を交互に見て六分儀で星を測定する。
「まさか気付いていないだけで星辰がずれているわけじゃないよね」
星辰ーー星の位置がズレるなどあり得ないことだが神罰の日の影響で色々なものが狂っているため否定はできない。流星群のせいで目印となる山や建造物、場所によっては海も消えてしまっているのだ。目印となるもので位置を修正することは難しい。
リリィはメイド服のポケットからメモ用紙を取り出すとそこに書かれた内容を読み返す。
・かつての穀倉地帯の東部に人々が集う街がある。
・食料も豊富で住民たちは飢えに苦しんでいない。
・旅人にも優しく接してくれて居心地が良い
・住民たちはここを聖都市と呼ぶ
・この内容を伝えたものは聖都市からの定期連絡を最後に行方不明となっている
・聖都市の実態と行方不明となった仲間の捜索をお願い
「ごめんなさい、その前に死にそうです」
貴重な食料を沢山持ち、拠点を出発したのが1月半前。転移魔法と徒歩を繰り返し大陸を横断してきた。予定では食料が半分になったら帰還するつもりで目的地までは保つはずだったが。
「まさか食料を横流しされて空箱を渡されていたとわね」
リリィが持ってきたレーションの箱の3分の2が石や砂で重さを誤魔化したゴミだったのだ。
それに気付いた時はすでに引き返せないところまで来ていた。戻ることが不可能なら行けるところまで行ってみようと決めてひたすら歩き続けたのだが食料も尽き、魔法で食料生成するがその魔力すら尽きて今の状態に陥っている。
ーー帰ったら問い詰めてやる。
リリィは荷物を纏めると指笛を吹いた。
いつの間にかクレーターの反対側まで行っていたラルが跳ねるように戻ってきてリリィの肩へと登る。それを確認してから再び歩み始める。だがラルが何かを伝えるかのようにテシテシとリリィの頬を叩く。
「どうしたの?」
ラルがリリィから降りると進行方向に対して右に走っていき振り返る。まるで付いて来いと言っているかのように見える。
「まさか」
リリィは明らかに早くなった足取りでラルの方へ向かっていく。ラルも先導していきクレーターの反対側に着くと止まった。リリィがラルがいる所にたどり着き、息を整えてから顔を上げるとそこには信じられない光景が広がっていた。
天にまで届きそうな白亜の塔がいくつも立ち並びその下にも小さくない建造物が何層にも重なっている。ここから見える通りに酒場がいくつあり酔っ払いたちが楽しそうにお酒のような物を飲み交わしている。
お酒など神罰の日以来、リリィは片手で数えるほどしか見たことがない。そしてリリィが買えるようなものではない。それほど貴重なのだ。それを浴びるように飲んでいる。
通りから少し目を離すと大きな建物がある。広い庭のようなものが併設されていて学校のように見える。かつてリリィが住んでいた王国の王都にあった学園よりも大きな学校だ。そして異様な存在感を放つ白亜の塔は数えてみると5つある。
ここは流星群が降り注いだ地である。山が跡形もなく崩れ去ったというのに都市が残るわけがない。
つまり
神罰の日以後に造られた街である。
ただ街を造るだけでなく天にまで届きそうな塔を五つも造るということはそれを設計できるものがいて、その設計を形にするものがいて、それを建設する人手と物資があるということだ。
「これが聖都市」
神罰の日を生き延びた人々が集う最後の楽園、そしてリリィの目的地でもある。
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