お兄ちゃん
久しぶりの投稿です。
勢いとリハビリ目当てで投稿します。
今更そんなこと、絶対言わせてなんかあげない。
***
「けーちゃん、けーちゃん…圭ちゃんってば」
ソファーにだらしなく寝そべる5歳年上の幼馴染をガシガシ揺らした。
土曜のお昼寝、という至福の時間を邪魔されたにもかかわらず、彼は相変わらずに澄んだタレ目を優しく細めた。
30歳という男盛り、タレ目の優しげな顔立ち、頭も良い。
そんな圭ちゃんが、スウェットでだらしなく寝ている図なんて、彼の会社社員が見たらがっかりしそうだ。
寝ぼけ眼の彼を見てそんないらぬ心配をする。
ふぅ、とため息をつくと彼は「どうしたの美月」と呑気に私を見つめた。
「圭ちゃん、急で悪いんだけど、一緒にドレスを見に行こう」
圭ちゃん。
5歳年上の幼馴染。
生まれた時から隣にいた人。
なんでも知ってる人。
お兄ちゃんみたいな人。
優しい人。
私に甘い人。
私が、ずっと好きだった人。
私が、家族になりたかった、人。
***
目の前の真白なドレス達に圧倒される。
幸せを布に織り込んで、キラキラと輝いている。
「どれがいいかなあ」
いくつもあるドレスは、一つ一つ形も手触りも違っていて、この中から一つ自分が似合うものを選ぶことは途方も無いことに思えた。
そんな迷いに迷う私を尻目に彼は少し億劫そうに一つを取り上げた。
「これは?」
彼の手には、Aラインのウエディングドレス。
シンプルな、それでいて美しい刺繍デザインが胸からウエストにかけて広がり、高い位置で絞られたウエスト部分の下は幾重にも白いレース生地が重ねられている。
絞られたウエスト周りに付いているパール付きの刺繍も可愛い。
「こんなに可愛いの、似合うかなあ」
予想以上に真面目な顔をして選ぶ彼に苦笑してそう返答すれば、彼はますます真剣な瞳をした。
「似合うよ」
美月には絶対、これが似合う。
「俺が言うんだから間違いないよ」
そう言い切る圭ちゃんは、さっきまでの緊張感を捨てて、少し困ったようにタレた目尻をさらに下げた。
試着しようかな、と言うと彼はただ「そうしなよ」と頷いた。
係りの人が「お似合いですよ」と笑顔を見せた。
試着室の鏡に映る自分。
確かに、圭ちゃんが選んだドレスがよく似合っていると思う。
結婚が決まって、ダイエットをしてよかった、なんてちょっと自分を褒めてあげたくなった。
「旦那様がお選びになりましたものね、きっとお喜びになりますよ」
「ありがとうございます、でも違うんです。彼は幼馴染で、旦那ではないんです」
そう返すと、今度は素敵な幼馴染さんがいて羨ましいです、と100点満点の言葉をもらった。
結婚する彼は、一緒にドレスを選びたがった。
それを断ったのは私だ。
驚かせたいの、絶対似合うものを選ぶから、当日楽しみにしてて。
そう言うと彼は渋々引き下がってくれた。
いい人だ。
同じ会社の一つ先輩。
私のことを愛してる言ってくれる人。
私のことを大切にしてくれる人。
真面目な人。
芯の通った人。
優しい人。
猫のように少しつり上がった目をした人。
私を、好きな人。
私と、家族になる、人。
なのに私は最初から、ドレスを選ぶのは圭ちゃんと一緒にしようと決めていた。
試着室のカーテンを開ければ、彼の驚いたような瞳とかち合った。
「どう?似合ってる?」
そう自信ありげに微笑めば、彼は少し泣きそうに瞳を歪めて口角を上げた。
「綺麗だよ」
綺麗だよ、その一言が聞きたかった。
「ねえ、写真撮ってもらおうよ。お母さん達に送りたいの。圭ちゃん新郎役ね」
圭ちゃんの腕をとって、携帯を係りの人に渡す。
圭ちゃんは意外にもあっさり私の隣に収まった。
撮りますよ、笑ってください、と掛け声がかかる。
私は笑う。
にっこり笑う。幸せを塗りたくったような顔で、笑う。
彼は笑っているのだろうか、どうだろう、嗚呼、後で写真で確認しよう。
***
「圭ちゃん、好き」
なけなしの勇気を振り絞って告白をしたのは大学に入ってすぐだった。
圭ちゃんをいつから好きなのかと聞かれると、よくわからない。
気づいたら好きだった。
お兄ちゃん、と呼ぶにはあまりに優しくて、私の頭を撫でるその手が大切で仕方なかった。
5歳上という距離感もあったのだと思う。
その差故に、いつもべったりという距離感にいなかったわたし達。
お兄ちゃんと呼ぶには距離があって、でも他のどんな異性よりも近いその距離感。
それがきっと、私に彼を好きにさせた。
高校を卒業して、嗚呼きっとこれから大人に仲間入りしていくんだなという漠然とした期待感があった。
大人な圭ちゃんと同じ土俵に立てる時期になるんだな、と。
だから、つい言葉が溢れた。
ずっとずっと積もり積もって、でも子供だから言えなかった言葉が、つい。
大学に入って初めて圭ちゃんの家に遊びに行った時だった。
桜が散っていくのを、圭ちゃんの家の窓からぼんやり見ていたことを覚えている。
好き、と言った後、1秒が長かった。
まるで死刑台に立っているかのように背中が嫌な緊張で冷えていた。
「どうした美月、急に改まって。俺も美月のこと好きだよ。そんな改まって言われると照れるな」
嗚呼。
「妹に面と向かってこんなこと言われるとほんと照れるなあ」
妹。
「…大学入試、色々手伝ってもらったから、そのお礼!こんな可愛い妹に言ってもらえて嬉しいでしょ」
自分で言うな、なんて彼が笑って。
でも本当に嬉しい、なんて瞳を優しく細めて。
そして私も、笑った。
人生で初めての恋、初めての告白。
初恋は叶わない、なんてよく言うけれど、私は叶う叶わない以前の問題だった。
その判定のスタートにさえ立たせてもらえなかった。
苦しい、苦しい、苦しくて、悲しい。
ぼんやり窓に視線をやれば、私の黒い目が呼吸を止められたように苦しげに映った。
私はね、圭ちゃん。
圭ちゃんのこと、お兄ちゃんだなんて振り切れなかったよ。
だって、お兄ちゃんにしては少し遠くて、お兄ちゃんにしてはあんまりにも優しかったから。
ダメだよ圭ちゃん。
こんなひどいことするなら、そんなに優しくしちゃダメだよ。
そうして私は圭ちゃんの「妹」であることを受け入れた。
***
「今日は付き合ってくれてありがとう!親も仕事だったし、彼も仕事で…圭ちゃんがいてよかった」
帰り道、秋の夕方は少し肌寒い。
圭ちゃんは無言で、私ばかりが話しては、それに相槌をするように時々微笑む。
「…私が結婚するって言った時どう思った?」
「……あの小さかった美月がお嫁さんになるんだあって感慨深かった」
彼らしい答えだった。
困ったようにタレ目を揺らして、私を少し見て微笑んだ。
その笑顔は悲しそうにも、照れているようにも、喜んでいるようにも見えた。
足元に散らばる色とりどりの落ち葉のように、彼の表情にはいくつもの感情が散らばっていた。
「美月はもう、大人なんだな」
彼はそんな当然のことを、ようやく気づいたらしい。
「…当たり前じゃん。もう、25歳なんだよ」
そう切り返すと、彼はいよいよ困り果てたようだった。
その表情に、私は仄暗い優越感を抱く。
***
結婚式当日。
式自体はそんなに大きなものではないが、身内もスタッフの方もせわしなく動いていて慌ただしかった。
純白のドレスに着替えて化粧もヘアセットも完璧に施された自分は、まるで他人のようだった。
涙ぐむ父と母を横に、私はなんだか別の人間が結婚するような、そんな気持ちだった。
父と母が親戚に挨拶に行くと部屋を出た瞬間、入れ違いで圭ちゃんが入ってきた。
「美月おめでとう」
「圭ちゃん!ありがとう」
綺麗だよ、と微笑む圭ちゃんは、なんだか消えてしまいそうな儚さがあった。
「圭ちゃんがこのドレス選んでくれたおかげかな、なんか別人みたく綺麗じゃない?自画自賛かな?」
ふわふわとレースの裾を揺らす。
自分で言うなよ、とからかわれるかと思いきや、彼は至極真面目な顔で「美月は元から可愛いよ」と言った。
「圭ちゃん、本当に、今までありがとう」
ねえ圭ちゃん。
私、本当は気付いていたの。
「美月、」
圭ちゃんが私を「妹」という存在から外した瞬間に。
「私のお兄ちゃん、大好き」
圭ちゃんが私を、好きだということに。
***
「結婚することに、なりました」
そう報告したのは、去年の冬の始まりだった。
圭ちゃんの家に押しかけて、手土産に持っていたケーキを圭ちゃんと二人、美味しい美味しいって頬張っていた時。
圭ちゃんにそっと、左手の指輪を見せながら、報告した。
「どんな人なの?」
おめでとう、より先に彼から出た言葉。
彼はじっと真顔で私を見つめていた。
私も真剣にそれに答えた。
会社の一つ上の先輩。
真面目な人。
私を愛してると言ってくれる人。
優しい人。
芯の通った人。
少し猫目な顔が可愛い人。
私を好きな人。
私の家族になる人。
彼は全てを聞くと、静かに微笑んだ。
「…おめでとう、美月」
でも微笑んでいたのは口元だけで、彼の瞳はぐちゃぐちゃに歪んでいた。
泣いてるの?と聞けば「嬉しいんだよ」と言われた。
でも、圭ちゃん。
私そこまで鈍くないのよ。
圭ちゃんあの時、苦しいって瞳をしてたの。
わかるの、だって私が圭ちゃんに好きだと伝えたあの日、おんなじ瞳をしてたもの。
***
「……」
「なに、圭ちゃん急に黙っちゃって、あ、見惚れてるの?」
「美月、」
「圭ちゃん。私、幸せになるね」
「美月、俺」
「相手のことも、うんと幸せにする」
「……っ」
ねえ圭ちゃん。
言わないでね。
そんなこと、私絶対言わせてなんてあげないからね。
今更好きだなんて、言わせてあげないから。
私なりの、復讐だから。
圭ちゃんは優しげな顔を絶望に浸したようにくしゃりと歪めた。
泣き出す前の小さな子みたいだった。
「圭ちゃん。私、昔ね、圭ちゃんと家族になりたかったんだよ」
そう言うと、彼はいよいよ泣き出した。
幼い子にしては静かに、でも大人が泣くにしては激しく。
その姿が、どうしようもなく愛しくて、私はそっと頭を撫でた。
ワックスで固められた髪は、いつもの指通りがなくて、嗚呼満足に撫でられやしない。
「泣かないで、私のお兄ちゃんでしょう?」
そう笑う。
なんでだろう、圭ちゃんの姿が幾重にも重なってぼやけてしまう。
圭ちゃんがそっとハンカチで私の顔を拭った。
「バカ、泣くなよ。化粧落ちるぞ」
圭ちゃんだって泣いてるのにね。
自分の涙は気にも止めずに。
圭ちゃん。
私の5歳上の幼馴染。
生まれた時から一緒にいる人。
なんでも知ってる人。
優しい人。
私に甘い人。
タレ目の、優しい顔をした人。
私を妹と言った人。
私のことを好きな人。
私が家族になりたかった人。
私の、お兄ちゃん。