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猫からのメッセージ

作者: ひょおすけ

「猫には9つの命があるのよ」

 母は言った。

 そして私は、この生をこれから8回繰り返すことを知った。

 それがどんなことか、当時の幼い私はまだわからなかったけれど。それを聞いた私は、幸せではない人生を繰り返すことに、決して喜ばなかったことだけ覚えている。


 今日も私は怯えながら暮らしていた。いや、恐怖を感じない日などあっただろうか。

 今朝は、ヒトが使う「くるま」の下で、体の芯まで凍ってしまいそうな寒さに目が覚めた。潜り込んだときには、ほんの少し暖かかったが、今はその名残もない。もう少しすれば、この「くるま」は大きな音をたてて動き出すので、潜り込んだままでいれば押し潰されていたかもしれない。

 母に連れられて食事を探すが、十分な量が手に入るわけではない。今日は、母が捕まえてくれた小さな獲物を私に食べさせてくれた。自分はほんの少ししか食べていないのに。

 食べ終わる頃、視界の端にヒトと犬がこちらへ向かってくるのが見えた。私たちはそれに気付くとその場から離れて極力近づかないようにする。なんの拍子に大きな声で追い立てられるかわからない。そのために常に神経をすり減らすのだ。

 これが私の日常で、やっと幸せを感じることができるのは、母と過ごすことができることだけだった。


 幸せになりたい、どうしたらなれるのか、と母に何度尋ねただろうか。

 そのとき、決まって返ってくるのはこの回答だった。

「あなたがこれから幸せになるのに、一番素敵な方法は、ヒトに感謝を伝えることなの」

 母の話は、過程がなくて結論だけで、私が理解するのは大変だ。そもそも、生まれてこのかたヒトと関わっておらず、想像すらできない。ヒトとは、私たちを追いやる存在ではないのか。

 私は、わからないよ、とだけ答えると、それは当然だと答えられた。

「例えば、今ヒトに感謝を伝えても幸せになれないわ。ヒトと一緒に暮らすことで絆を感じて、初めて、感謝を伝えて幸せになれるのよ」

 どうやら、一番の方法をとるためには、手順があるらしい。でも、ヒトと一緒に暮らす幸せというのも、まだよくわからない。

 私はさらに、お母さんがいるから十分だ、と答えると、それは違うと母が言った。

「ヒトと絆を深める幸せは、ヒトから安心を貰って、その後に感じることができるの。ヒトは、今あなたが感じている、食べ物の心配や襲われる不安から守ってくれる。このことなら理解できるでしょう」

 もし、本当にそうならば願ってもないことだ。ただ、あのヒトというものは得体が知れない。一緒に暮らして、その上で絆を感じることなど本当にできるのだろうか。

 私は母に、勇気を出してヒトと寄り添ってみる、とだけ答えたら、母は満足そうに頷いた。


◆◆◆


 数ヶ月が経ったある日、そう言っていた母は、出かけてから帰ってこなかった。あの母だから、私を捨てて行くはずがない。外で何かがあったのだろう。

 耐えようのない辛さが心を襲う。いつかそんな日が来るかもしれないと考えたこともあったが、こんなに早いとは露にも思わず、実際に起きてみると想像していたものとは全然違った。

 自分の感情が制御できず、なにもできない状態で、必ず帰ってくると希望を持ちながら数日間待ち続けたが母が帰ってくることはなかった。


 それから、ようやく自分が何をすべきか考えることができるようになった。

 平静を取り戻したわけではない。単純に空腹に耐えられなくなり、行動を起こさなければなくなっただけだ。


 今後の身の振り方を考えたとき、やはり母の教えに従おうと思った。母の言った「幸せになる一番素敵な方法」は知りたいと思ったからだ。


 それから、私は初めてヒトに自分から接触しようと、町を歩いて回った。そして、優しそうなヒトがいる家に近付いた。

 その住人が表に出てきたとき、追い立てられるかもしれない恐怖が私にはあったが、ゆっくりと距離を詰める。追い払われないことがわかると、そのヒトの脚に、私の体を擦り付け、親しくなりたいことを伝えた。

 幸運だったのは、優しそうだった人が本当に優しかったことと、私の痩せこけた姿が見るに耐えないものだったことだ。

 私を見たそのヒトは、すぐに私を家族にすることを決めた。


◆◆◆


 そうして、私のヒトとの暮らしは続いた。母の言っていた通り、生活の中の不安や恐怖は無くなった。食事は決まった時間に出てくるし、寝床も暖かい。他の生き物から襲われることもない。

 ヒトと一緒に生活をする中で難しかったのは、お互いのルールが違うことだ。例えば、理解するのに時間がかかったこととして、自分で狩りをしてはいけないということがある。庭でネズミを捕まえたので、誉めてもらおうと家族のところへ持っていくと怒られたし、その理由がしばらくわからなかった。


 あと、最後まで苦手だったことは、家族以外のヒトと会うことだった。

 家族になったヒトの家では、よく、近所のヒトや親戚が集まっていた。

 その原因は、この「てれび」というものらしい。箱の中で白と黒で動くものが写し出されるものだ。これは、この近所でも数えるほどしか置いていない珍しいもので、皆が見るために集まっていたようだ。

 他人が集まるなんて私にとっては迷惑な話であるが、止めて欲しいと言えるものでもない。賑やかな間は、少し離れて過ごした。

 おそらく、「せんそう」というものが終わって安心しているのだろう。その喜びを皆で集まることで分かち合っているのではないだろうか。


 私はここで、ヒトから安心をもらえるということを知ることができた。


◆◆◆


 私は生を繰り返し、5回目の命を生きていた。


 これまでの生で、私はヒトと暮らす安心を知ることができた。

 不安や恐怖に駆られずに生きていくことができるのは、本当に幸せなことだ。

 例えば、仲良くなった野良猫と話してみると、彼らは数年生きただけで寿命を迎えてしまうことが多いと教えてくれた。もちろん危険が溢れているとも言えるが、それに備える心が消耗してしまうのであろう。過去の私がそうだったように。

 それに対して、ヒトと暮らしたときは十数年は生きることができる。長生きすることは幸せなことだが、それ以上に、幸せについてより深く考えたり、ヒトについて理解する時間が増えたのは良いことだった思う。

 私は、多くの時間をヒトと過ごしてきたので、ヒトの使う言葉というものでさえ、最近少しずつわかってきた気がするのだ。気のせいかもしれないが。

 また、それだけではなく、ヒトの生活の様子まで観察する余裕ができてきた。


 ヒトの暮らしは変化する。

 私が1回目の命を生きてきたときと比べて、建物は大きくなり、住処は高くなり、「くるま」の数が増えた。それも、比較にならないくらい。

 部屋の中では、「てれび」は大きくなった。家族のヒトは、手のひらサイズの「すまほ」をずっと指で触っている。

 最近の私のマイブームは、決まった時間に動き出す「そうじき」だ。これは、動き出したものに乗れば、自分が動かずに部屋の中を移動できるアトラクションなのだ。


 ヒトの暮らしは変わったけど、ヒトの私に対する愛情は変わらなかった。

 いつも、私を見る度に喜んでくれて、声をかけてくれることは嬉しく思う。じっと目を合わせて見つめあって見たり、毛並みに合わせて撫でてもらうことは、満たされた気持ちになる瞬間なのだ。私が寒い日に家族の膝に乗りにいくのも、ただ、暖かいと言う理由だけではなく、一緒にいたいと思っているのは伝わっているのだろうか。


 最初の母が言っていた、安心できる以上の「絆を感じることの幸せ」とは、間違いなくこのことだったのであろう。


 私は、ヒトと暮らして幸せを感じている。


◆◆◆


 そして、とうとう9回目の命を生きることとなった。

 

 最後の生となってしまった。

 もっと生きたい、生を繰り返したいと思うと予想していたら、意外とそんなことはなかった。これも、ただ生きていただけでは味わえない幸せを感じることができた実感があるからだろう。

 そう思えるのは、最初の母が教えてくれた「幸せになる方法」のおかげだ。


 この命を生きている現在、時代は進み、技術はさらに進歩した。

 「てれび」の画面は、宙を浮くようになった。家族になったヒトとは、「すまほ」と連動したこの機械で、家の外のどこにいても声を聞くことができる。すべての「くるま」は、音をたてずに走るようになり、私が外を歩いていても間近に来るまで気づかないようになってしまった。


 そして、私にとってありがたかったものは、この「猫の声をヒトの言葉に翻訳する」機械だ。ヒトに感謝を伝えるために色々な方法を試してみたが、自分の気持ちを直接伝えることができるのは、理想的な手段だった。


 この機械を通して、私の想いを伝えたい。


 私は、この長い時間を繰り返し、ヒトと共に過ごしてきた。その中でたくさんの幸せを感じてきた。私の家族となったすべてのヒトたちには、どれだけ感謝をしても足りない。


 今でも振り返ることがある。

 これまでで、一番幸せをくれたのは誰だっただろうかと。


 そのとき私はいつも、最初の母と、この文章を読んでいるあなたを思い浮かべる。


 私の長く生きた時間の中で、あなたは私と共に過ごし、お互いに気持ちを通じ合わせて、私に大きな愛を与えてくれた。この輝くひとときを貰ったことは、ひとときも忘れたことはなかった。


 心から感謝している。どうもありがとう。


 あなたは、今、私と出会っていないと言うかもしれない。

 それは当然のことだ。


 私とあなたは、これから出逢うのだから。


 願わくば時を越えて、このメッセージがあなたに届きますように。


初めて小説なるものを書いてみました。

つたない文章を読んでいただいて、どうもありがとうございます。

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