一日女王
カードを使いすぎて、家賃が払えなくなっちゃったので、ヒロシの紹介で、単発のアルバイトをすることにした。
ヒロシが働いてる細長い雑居ビルの1室の、手が汚れそうなざらざらのペンキが塗られた鉄のドアを押して入ると、 ドアの内側には、学校から盗んできたような、焼けた黒い遮光カーテンが吊るされていた。
髪が引っかからないようにうんしょと押しのけてカーテンをくぐると、薄暗い部屋の中はコの字型にロココ調のソファが並べられ、 真ん中に、やっぱり学校から盗んできたみたいな、パイプと木で出来た椅子がぽつんと置かれていた。
奥の壁にはいくつかのハンガーがあって、気持ちの悪いマスクやら、へんな形をした金物やらが掛けられている。
そして、それを美化するかのように派手な羽飾りや、豪華なレースのベールや、アンティックドールが飾られ、ますます異様な雰囲気をかもし出している。
何やらわけのわからない物は、壁の前の台にもたくさん並べられ、それに混じって、うちにもあるような日用品も何種類か置かれている。
部屋の空気は、生暖かくて何だかねっとりしていて、まるで、手のひらに付いた溶けたソフトクリームみたいだった。ここにお客がやってきたなら、このねっとりに、じっとりやらどんよりやらが加わって、沼みたいになるのかしら。
「いらっしゃい。」と声がして、控え室みたいなところから中年の男が出てきた。
「あの・・・、バイト紹介してもらったんですけど・・・。」
ちょっと後悔しながら小さい声で言うと、その小太りの男は、スネ夫のような高い声で、嬉しそうに言った。
「あ~、君なの。店長の尾崎です。イヤァ、かわいい子だって聞いてたけど、いいよーキミ、サイコーサイコー。」
「えっとぉ~、キミはこの仕事はじめて?ステージとか見たことは?え?ないのぉ。まあいいやぁ、何とかなるから。」
店長と控え室に入ると、ひとつだけある灰色の事務デスクに、若い男の子が座っていた。
銀縁の眼鏡をかけて、ジーンズにチェックのシャツという、この店にはてんで不似合いな彼は、こちらをチラッと見ただけで、黙々とノートパソコンで何かの仕事をしている。
店長は、部屋の隅っこのカーテンで仕切った更衣室にあたしを連れて行き、明るい蛍光灯の下であたしをじろじろ見ながら、早口で喋り続けている。
「彼氏とこういう事して遊んだりは?あらぁ、それも無いのぉ。まったく初体験なわけねぇ。わかった。心配しないで。相手役がうまくリードするから。」
「脱がないって聞いてるけど?そう、残念だけど初めてだものね。じゃ、衣装はそれね。着方がわかんなかったら手伝ってあげるから呼んで。」
店長は口元だけでにこりと笑った。
喋り続けていた彼の口が静止して、一瞬部屋に音がなくなり、あたしはその時になって初めて寒気を感じた。
店長がカーテンを閉めると、あたしは聞こえないようにそっとため息をついた。
目の前で、赤いレザーの衣装とブーツが、あたしを待っている。
引き裂いたみたいなデザインの衣装は、とても着けにくく、鏡を見ながら慎重に体の線にあわせていく。
いったい、何処の誰がこんなデザインを思いつくんだ?まるでウルトラマンの柄の部分だけ取り出したみたいじゃん。
伸縮性のないレザーは重く、肌に食い込むと痛かったけど、あたしは着崩れるのが心配で、体を動かして確認しては、そのたびに紐をぐいぐい引き締め直した。
「どう?着れた?」
「いちおう・・・。でも紐がなかなか締めにくくて・・・。」
あたしが返事をすると、店長は勢いよくカーテンを開け、あたしの衣装の点検をするように、ざあっと眺め、紐をくいくいと引いて結びなおし、髪飾りを付けてくれた。
覚悟してきたとはいえ、やっぱり思いっきり恥ずかしい。
だけど、店長も銀縁君も、あたしを見ても顔色ひとつ変えず、簡単に打ち合わせをしてから手際よく開店の準備を続けていく。
この人達って、もう見慣れちゃってるのね。
そう思うとなんだか拍子抜けして、少しガッカリしたけれど、頭が冷めたおかげで、持って来たメイク道具で化粧を直すことを思いついた。
店の方では、そろそろお客が入り始めたらしく、ぼそぼそと話す声や靴音が聞こえてくる。
店長たちは、いつの間にか店の方に出たらしい。
一人残されて、緊張と退屈の混ざり合った気持ちで立ったり座ったり、控え室の中で動き回っているうちに、あたしは気が付いた。
この衣装は、胸を張って仁王立ちしたときが一番カッコイイ。
さすが女王様ね。
あたしは妙に感心した。
しかし、もうすぐ開演だというのに、相手役らしい男の姿が見えない。
いったい誰なんだろ?もしかして、銀縁君?ふふん。マジメそうな顔をしてたくせに。
店に流れていた音楽が変わり、控え室のドアがノックされた。
始まる。
あたしは部屋を出て薄暗い袖に立ち、部屋の真ん中のライトで照らされた所をを見た。
あそこであたし、何をすればいいんだろう。
ショーが始まった。マイクを握っているのは銀縁君だ。あれ?あれ?
銀縁君があたしの名前を叫ぶと、ライトがさっとあたしに当たった。まぶしい。
拍手に押されて、あたしは部屋の真ん中に進んだ。
台詞は特にないらしい。でも、何でも言っていいらしい。普通にやってということだった。
開き直って顔をあげて客の顔をぐるりと見回すと、あたしを見つめる視線の端っこに、にやけた顔のヒロシをみつけた。
くそっ。あいつめ。来るなよっ。
あたしと目が合って、ヒロシは笑って手をあげた。
すると、隣の女の子がヒロシの耳元に顔を寄せて、横目であたしを見ながら何か囁いた。
どうもヒロシの新しいオンナらしい。肩なんか抱いちゃって、うれしそうだ。
薄暗くてこちらからはよく見えないけれど、濃い化粧がいかにもヒロシの好みっぽい。
だけどどう見てもありゃ高校生くらいじゃないのか?
ヒロシに気を取られて仁王立ちのままぼっとしていると、いきなり背後から誰かに抱きつかれた。
突然でびっくりしたというよりも、その指が、弱い所をあまりに正確にヒットしたので、あたしは思わず悲鳴を上げた。
あたしの声に飛び退いた相手を確かめようと振り向くと、ひれ伏しているのは黒いビキニパンツに黒いビジネスソックスの男。
客の目の前で、その上ヒロシまでいるのに、あんな声を発してしまったことが恥かしくって、あたしは照れ隠しに叫んだ。
「何すんのよッ!」
黒ビキニは膝をついたまま上体を起こした。
へその下から、濃い体毛が帯状に生えていて、もやもやの帯はぶよぶよと弛んだ腹のぜい肉を乗り越えて、さらにその下の食い込んだ黒ビキニの中に続いている。
胸も、太腿も、腕も、うっすらと毛で覆われ、なんだかむさ苦しい。
「ご無礼致しました。申し訳ありません。お許しを・・・」
両手を組み、祈るように大袈裟に詫びながら、言葉とは裏腹ににじり寄ってくる男の迫力に、あたしはひるんだ。
き・・・、きもちわるい。
壁に向かって追い詰められるように、今度はあたしが後ずさりをはじめた。
気持ち悪いと思いながらも、目をそらしたらまた抱きつかれそうで、あたしは黒ビキニを睨み続けた。
やめて。来るな!店長!
あたしの背中が壁にぶつかった。黒ビキニの店長は両手を広げて許しを乞いながらじりじりと膝をついたまま詰め寄ってくる。
あたしはヒロシを恨んだ。
衣装着て立ってるだけって言ったくせに!このままじゃあたし・・・。
どうしていいかわからず、すがる思いでヒロシを見ると、ヒロシの野郎はステージなんかそっちのけで、オンナを膝に抱え、激しくキスをしている。
ええええっ?それって何っ?こんなときに何やってんのよぉッ!
そういえば、ヒロシって、ビデオ見ながらやるのが好きだっけ。
跪いたままの店長の毛むくじゃらの腕が、がしっとあたしの腰をつかんだ。
ふわぁっと力が抜けそうになる。
ダメだ!何とかしなきゃ!
手探りで壁に掛けてある物をつかむと、それは、定番小道具の鞭だった。
しめた。これなら使えるかも。
初めて手にする皮の鞭は、思ったよりも重く、だけど手にしっくりと馴染んだ。
何かで見た絵のように、あたしはそれを力いっぱい振り下ろしてみた。
「お下がりッ!」
鞭はきれいな円弧を描いて、店長の斜め後ろの床を打った。
ぴしぃっ!っと冴えた音がして、客がおおおっと喜びの声をあげた。
店長はあたしの腰を離すと床で一回転した。だけど嬉しそうに許しを請いつづける。
ヒロシも、客も、店長も、みんなイカレてる。
あたしはムラムラと湧いて来る怒りを、もう抑えようとは思わなかった。
こいつを生け贄にしてやる。
さっきまで気持ち悪くて仕方なかった店長が、やけにかわいく思えてくる。
自然と笑いがこみ上げてくる。
二発目のお仕置きをお見舞いすべく、あたしは胸を張り鞭を構えた。