5.黒猫の剣士
ヘルツシュタインは、百軒ほど建物が集まった、賑やかな町だった。
ハルトは、日本ではコンビニにちょっと出かけるだけだったので、おしゃれな服ではなく、地味な色の服を適当に組み合わせたのだが、こちらの異世界では非常に人目を引く、まずい服らしい。
なので、オルテンシアの発案で、町の中へは入らず、町外れの太い木の陰に隠れていることになった。その間に、彼女たちが店へ服を買いに行くという算段だ。
町の方角から見ても、近くの道路から見ても見えない位置に立ったハルトは、暇で仕方ないので、辺りをキョロキョロしていると、想定外の方向から、真っ黒い人物が歩いてくるのが見えた。
耳が立っているので、猫に見える。でも、二本足で歩いていて、腰の付近で長い尻尾が揺れている。上半身は裸だが、焦げ茶色のズボンを穿いている。
猫族の獣人かも知れないが、ハルトがドキドキしているのは、そいつが腰ベルトに長い剣の鞘を差していることだ。
ハルトは、さりげなさを装って、足首を器用に動かしながら、体全体を幹に沿って反時計回りに移動した。
そして、近くの別の木へ、これまた、さりげなさを装って走り出した。
その刹那、彼は黒い壁に阻まれた。
硬い筋肉のようなものに、しこたま鼻を打ったハルトは、その壁を見上げる。
さっきの猫族の獣人だ。走る音がしなかったのに、いつの間にここへ到着したのか。
(何、こいつ! やべーのに捕まった!)
背丈は2メートル近くあって、ハルトのおよそ頭一つ背が高い。
ハルトの鼓動が急速に高まったが、拳を握って心を落ち着かせ、先手必勝で問い詰めた。
「何しているんですか?」
「それはこちらの台詞だ。坊主、ここで何をしている!?」
威圧的な太い声が降ってきた。
ターコイズブルーの猫の目が、不審者を見るような視線でハルトをなめ回す。
「そこをどいてください」
「なぜだ?」
「人を待っているんですが」
「なら、なぜ逃げる真似をする?」
「それは――」
「あら? ハルト? それに、シュヴァルツ。二人はお知り合い?」
「「初対面!」」
ハルトと、シュヴァルツと呼ばれた男が、近づいてきたオルテンシアの方を向いてハモった。
「あらあら。じゃ、紹介いたしますわ。シュヴァルツ。こちらはサイジョウ・ハルト。私たちみたいに、異世界から来て、妹のカエデさんを捜していらっしゃるの」
「これは、オルテンシア様のお知り合いとは知らず、とんだ失礼をした。俺は、シュヴァルツ・フリーデマン。この格好では猫族に見えるかも知れないが、実は、ルクス族出身。一応、剣士だ。よろしくな」
「お、おお。よろしく。ハルトでいいぞ。で、猫族とルクス族の違いがわからないんだけど」
「じゃ、坊主、違いを見せてやろう。この世界の猫族は、猫の顔をしていて、一生、二本足。ルクス族は――」
と、その時、シュヴァルツが黒い煙に包まれた。
森の中で遭遇した狂心精霊を思い出したハルトは、全身が身震いした。
だが、煙が消えて現れたのは、宙に浮く普通の大きさの黒猫。それが、引力に逆らわず、スッと地面に着地し、すまし顔を見学者へ向ける。
ズボンを穿いていない。剣も持っていない。
「どうだ。こういうことだ。つまり、ルクス族は二本足の猫族にもなるし、四つ足の猫にもなる」
「すっげー。猫がしゃべった! これぞ、ファンタスティックな夢と魔法の国! ズボンは? 剣は?」
「変身とともに消え、変身とともに現れる」
「超便利だな」
「おう。さらに、腹が減ったときは、小さくなればいい」
「なるほど」
「嘘に決まってるだろ! ハハハハハッ! 考えても見ろ。腹が減ったまま小さくなるのだぞ」
「俺、なんか、シュヴァルツと気が合いそうだ」
「おう。俺も、坊主と気が合いそうだな」
「キャラがかぶるところは、何とかしたいけど。ボケとツッコミ、どっちがいい?」
「なんだ、それは?」
「説明はめんどいから、後で。じゃあ――」
「坊主と呼ぶか呼ばないかでどうだ」
「そんな気がしてたんだよなぁ……」
「ま、いいではないか。坊主、オルテンシア様の宿まで行こう。俺は、そこで飼われている黒猫という設定だ」
「自分で、『設定』言うか」
「じゃあな。先に行っているぞ」
黒猫シュヴァルツは、飛び跳ねるように町の方へ走っていった。
「オルテンシア。シュヴァルツは、この異世界の黒猫?」
ハルトの質問に、オルテンシアは首を横へ振った。
「いいえ。彼もわたくしと同じ異世界からここへ来ましたの。しかも――」
彼女は急に遠い目になった。
「彼も、生まれてから半年前までの記憶がありませんの」
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