35.合い言葉
小走りに道を急ぐハルトは、冒険者に追いついた。
「わりぃ。道に迷った。出口を教えてくれ」
これは嘘である。ここは第1階層であることくらいしかわからないための苦肉の策だ。
「第2階層まで行けたんだろ? だったら、迷うことはないだろ?」
髭面の男が不思議そうな顔をする。
「いや、この道は通っていない」
「そんな馬鹿な。出入り口から来れば、必ずここを通るぞ」
ハルトは、偽のシュヴァルツに誘導された道のことを話そうとしたが、やめた。その道は、冒険者たちが知らない秘密の道で、普段は通れないようになっている可能性があるからだ。
彼は、周囲も天井も見渡して、さも思い出したように言う。
「……ああ、通ったかも知れないな。出入り口はこっちだっけ?」
「反対だよ。しっかりしてくれよ。水の中に入って記憶が飛んだか?」
「そうかも知れない」
頭をかくハルトは、大笑いする冒険者を見送った後、彼らと反対方向へ向かった。
「坊主。帰るのか?」
「いいや。休憩だ」
「休憩?」
「剣が汗をかいている」
オルテンシアの剣の切っ先から柄まで目で追ったシュヴァルツは、首を傾げる。だが、ハルトがずんずんと出入り口へ向かうので、慌てて後を追った。
しばらく歩くと、本当に出入り口があった。
ハルトは懐かしい空間を見渡し、天井まで見上げて両手を広げ、大きく息を吸った。
そして、「くっせ!」と鼻をつまんで、大いにむせた。
周囲にシュヴァルツ以外いないことを確認した後、カメリアの剣に「もういいぜ」と声をかけ、ソッと地面に剣を置いた。
すると、カメリアの剣は目映い光を発してカメリアの姿に戻った。シュヴァルツもハルトを見習って剣を置くと、同様に光の中からオルテンシアが現れた。
彼女たちは、両足を伸ばして仰向けに横たわった状態から、腰の横に両手をついて上半身を起こした。
「お前らには、ホント、助かった。恩に着る」
ハルトがしゃがんで膝をつき、頭を下げた。
「当然のことをしたまでですわ」
「そうしないと、こっちまで危なかったから」
オルテンシアもカメリアも、そう言って微笑む。
「休憩してから、ダンジョンに潜るけどいいよな?」
「よろしいですわ」
「お腹空いた」
カメリアが指をくわえて、チラッとハルトを見る。
「そうだな。俺も腹が減った。
おい、シュヴァルツ。町までひとっ走りして、なんか買ってこい」
「お、俺がか!?」
「体に染みついた池の水の臭いが気持ち悪いから、魚は無しな」
「なんで俺が?」
「敵につかまった罰だ」
「あれは、不可抗力――」
「いいから、弁当買ってこい!」
ハルトに睨まれた彼はもう少し抵抗しようと思ったが、肩をすくめて外へ出ていった。
しばらくして、シュヴァルツが袋を抱えて戻ってきた。
「はい。変身して」
「変身? ……ああ、そういうことか」
地面に袋を置いたシュヴァルツは、黒猫に変身する。
「はい。認証完了」
「いちいち面倒くさいな」
そう言いながらシュヴァルツは、元の巨体に戻った。
「そうでもしないと、また偽者をつかまされるからな」
シュヴァルツが袋から丸パンとチーズの塊を取り出し、三人に配りながら提案する。
「今度は合い言葉を決めよう。その方がいい」
さっそくパンをパクついたハルトが「わいことわ?」と言って何やら考え始めた。
「じゃあ、『ひとよひとよに』と言ったら『おごれや』と答える。で、どうだ?」
「それはどういう意味だ」
「毎晩酒をおごれって言う意味だ。数学の教師がルート2とかを『ひとよひとよにおごれや』で覚えろと言っていた」
大いなる勘違いをしているハルトだが、異世界の住人は誰も訂正できなかった。
「じゃあ、決まりだな」
しかし、ここでカメリアが異論を挟んだ。
「意味がわからないから覚えにくい。却下」
「せっかくいいアイデアだったのにぃ……。
じゃあ、カメリアは何か案でもあるのか?」
「『クリザンテーモ』と言ったら『カエデ』って答えるのはどう?」
少しの間があってから、ハルトは手を打った。
「それで決まりだ。互いに探している人物だから覚えやすいしな。
ナイスアイデアだ、カメリア」
ハルトに褒められて、カメリアは頬を染めた。




