18.小人の老婆
ハルトが扉の中に入ると、正面に受付のような場所があった。そこに、オルテンシアとカメリアが立っていて、カウンター越しに奥の下の方を覗き込んでいるように見えた。
何をしているのだろうと、ハルトはカメリアの肩越しに覗いてみる。理由はわかった。そこに前屈みになって何かをしている人物がいたのだ。
「何をしているの?」
ハルトの問いかけに、カメリアがギョッとして振り向き、すぐに顔を赤らめた。なぜなら、彼の顔が間近にあったからだ。
「宿帳を床に落としたそうよ」
「バサバサって落ちましたわ」
「ふーん。拾ってあげよっか?」
「拾わなくていいよ!」
前屈みになっている人物が、床に向かって大声を上げた。しわがれた老婆のような声だった。
「大変っしょ?」
「大丈夫! 触られるとかえって困るよ!」
そういうものかなぁ、とハルトは思ったが、老婆がいつまでも屈んだままなので、手伝うためカウンターを飛び越えようとした。
と、その時、真っ赤で皺くちゃの顔がヒョイッと上を向いた。
「余計なこと、すんじゃないよ!」
糸のように細い目は、顔の皺に紛れるほど。普通の鼻の二倍はある大きな鷲鼻が、魔女を連想させる。そんな顔の口から下がカウンターに隠れて見えないほどの小人である。
親切心を怒りで返されたハルトは納得がいかなかった。そんな大事な宿帳なら、十分注意して扱えばいいのに、と思ったのだが、これから長い付き合いになるだろうから、ここはジッと我慢することにした。
「さあ、ここに名前を書いた、書いた!」
老婆が、宿帳ではなく紙一枚をカウンターの上にバンと置いた。だが、ハルトは彼女が後ろ手に隠している物を見逃さなかった。
「宿帳は、そっちじゃないの?」
「細かいこと言う男だね! 後で綴じとくから、さっさと書きな!」
怪しい裏帳簿か何かとハルトは思ったが、それ以上は詮索しなかった。実は、ハルトの推測は当たっていて、それは、ペスカとの取引の帳簿だったのだ。
オルテンシアとカメリアは、そばにあった羽根ペンでサラサラとサインをした。もちろん、ハルトには、イトミミズが這い回ったような文字で、サッパリ読めない。
それより、ハルトがいざ書こうとして、もっと困ったことに気づいた。日本語で書いて良いかなのだ。誰も見たことがない文字だろうから、どこのどいつだ、と怪しまれるのは確実だ。
その辺りをカメリアに目で訴えると、それを察した彼女がハルトの代わりにサインをした。彼は全く読めなかったが、文字の短さから察するに「ハルト」なのだろう。
それを見た老婆は、ハルトの方へ顔を向けた。
「お前さん、もしかして、字が書けないのかい? 読めないのかい?」
「あ、ああ……。学がなくていけねえ」
「そうかい、そうかい」
なぜか老婆が、安心したような表情をする。もちろん、彼女の表情は別の意味である。だが、それに気づかないハルトは、馬鹿にされたような気がして悔しい思いをした。
毎日の宿代を1ヶ月分前払いしたオルテンシアは、前の宿屋より高い、とこぼしていたが、カンナの近くにいたいハルトは「稼げばいいよ」と言って彼女をなだめた。
さっそく三人は二階へ続く階段に向かうと、踊り場で待ちわびていたカンナが手招きをしていた。
それが招き猫に見えたハルトは、「子猫ちゅわーん♪」と鼻の下を長くして駆け上がっていき、カメリアたちは呆れ顔で彼の背中を見送る。
そんな彼女たちの後ろ姿を見て、老婆――宿屋の女主人ピーノ――は、ほくそ笑んだ。




