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ハーレムコンプライアンス  作者: 日曜
一章 大氾濫
9/17

九話

 遊牧民とは文字通り、遊牧を生業とする民族である。

 遊牧とはつまり、放牧であり、畜産だ。彼等は家畜から、肉、乳製品、毛皮、革などを得て生活している。また労働力としての家畜――――ノノや馬なども、遊牧民たちの特産である。

 普段は親族など、数人から十数人のコミュニティで分散して家畜を育てていて、一族は広範囲に分散している。だが、一族のまとめ役である族長の一声で、瞬く間に集合して撤退と攻勢に移れるのは、戦士として普段から積み重ねてきた、訓練の成果である。

 地球でもそうであったように、遊牧民という民族には、ある一つの特性が存在する。


 すなわち、戦争に強い事。


 農耕民族は、一ヶ所に定住し、そこで作物を育てて生きる者たちだ。彼等の生活は比較的安定し、多くの民を養える。だが、それゆえに、農耕民族は軽々に住む場所を変えられない。おまけに、たとえ戦になろうと、住民すべてを戦士として徴用する事などできない。作物を作る者たちがいなくなれば、彼等は飢えてしまうのだから。

 しかし、遊牧民というものは、一つの場所にこだわる必要がないので、拠点を攻撃されるというリスクが小さい。おまけに、一度ひとたび戦となれば、ほぼ全ての成人男性が戦士として戦う事ができ、なおかつその全員が騎兵である。さらに、後方支援要員としてなら、女や老人までもが参戦できる。皆が皆、当たり前のように馬に乗れるので、移動も早い。

 騎兵の展開力と突破力、そして威圧感は、徴兵されたの民たちの士気を挫き、洗練された馬術による整列射撃と後退射撃は、追い縋る騎士たちを容赦なく射抜いた。また、正々堂々とは程遠い、狡猾で洗練された兵法も用いる遊牧民たち。

 平原での戦いにおいて、遊牧民たちは絶対の強さを誇っていた。


 ●○●


 平原の遊牧民。

 王国貴族にとって、この言葉が意味するものは恐怖と同義だ。王国と帝国の、ちょうど(さかい)に存在する平原。良馬の産地であり、肥沃で、また気候にも恵まれたその平原は、王国と帝国双方の垂涎の的だった。


 しかし、両国ともこの平原を、その支配下に置いた事は、歴史上ただの一度もない。


 何度も併呑を目論む軍が差し向けられたが、その(ことごと)くを平原の遊牧民は撃退した。

 残っている歴史では、侵攻した軍のほとんどは討ち取られ、敗残兵が三桁を上回る事はなかったという。両国の民草には『誰一人として生きて戻らなかった』などと誇張して広まっている程だ。さらに民衆は、平原の遊牧民に対して、恐怖とも畏敬ともつかない感情を抱いており、『平原に手を出すは、暗愚の証左』とまで、まことしやかに囁かれる程だった。


 変化が訪れたのは、十四年前。禁忌とされた平原への侵攻が、王命の元行われたのだ。しかも、王国と帝国が密約を交わし、併呑の暁には平原を半分ずつ統治するという、恐らくは十年も待たずに破綻するであろう条件の元。とはいえその後、そんな大方の心配は無用となった。

 王国軍十万。帝国軍十万。両軍合わせて二十万の軍勢が、平原の東西から攻め入った。対する平原の遊牧民は、老若男女合わせても五万人と目されており、誰もが二十万の軍勢の挟撃により、建国以来両国を悩ませてきた遊牧民の根絶を疑わなかった。

 そして、両国は歴史的快挙を成し遂げる。


 なんと、あの平原から七千もの兵を、撤退させる事に成功したのである。


 三桁に届かないと言われた生存者を、一気に四桁に引き上げた事と同時に、紛う事なき暗君として、両国の王と皇帝の名は歴史に刻まれたのだった。

 結果として、国王は四十半ばにして老齢を理由に退位、第二王子が即位し、在位期間四年という早さで隠居する運びとなった。当時の王太子もほぼ廃嫡同然の身であり、今や彼等二人に、発言力は皆無といっていい。

 平原の遊牧民とは対等な講和を結ぶに至り、王国は軍の再編と民からの信用回復に血眼になっている、というわけだ。領主不在となった子爵領を、半ば押し付けられるような形でベルク子爵が統治する事になり、今に至る。

 無論、遊牧民にも甚大な被害があったようだが、小国群とも隣接する王国と帝国には、これ以上の兵力の損耗は許容できず、追撃は不可能だった。少なくとも、あと三代は平原に手を出さないものと、王国内では言われている。

 とはいえ、帝国に比べれば、王国内の政変は穏当極まると言ってもいい。皇帝の専制であった帝国では、皇帝と貴族との間で対立が深まり、粛清と内乱の嵐が吹き荒れているという。そのせいで、小国群は虎視眈々と国境付近に兵力を集めており、王国としても対処に苦慮している。


 ただ、それは王国南部での事であり、ベルク子爵にとっては、その遊牧民たちのもってきた魔物の大氾濫の兆候の方が、喫緊の課題だった。


 ●○●


「クリストフ、執務は任せる。場合によっては、大事になるかもしれんから、準備は怠るなよ?」

「はい、旦那様」

「カチヤ、家を任せるぞ。ディルクはまだ幼い。いざとなれば、マール子爵のところへ逃せ。プルトナスとアリスもな」

「はい。お任せください、あなた。父上には申し訳有りませんが、孫の顔を見せるのは、まだしばらく先の事となると信じております。あなたも、どうかお気をつけてください」

「ああ」


 ベルク子爵の本妻であるカチヤが、父親であるマール子爵の元へ身を寄せるのは、夫の大きな借りとなるだろう。だからこそ、カチヤは毅然とした態度で言い放ち、こうべを垂れる。妻の覚悟を見て取って、ベルク子爵は静かに頷く。

 執政官と妻に指示をだしたベルク子爵は、護衛を伴い邸宅を後にする。


「さて、どうなる事やら」


 もう一度大きく息を吐き、気合いを入れ直すベルク子爵。もし領軍が間に合わなかったり、あるいは魔物を抑えられねば、被害は甚大なものとなるだろう。その阻止の為にも、ベルク子爵はできる事はすべてやる所存だった。

 そんな事を考えている子爵の元へ、大男が駆け寄る。それに対して、子爵の護衛は反応を見せない。彼がベルク子爵領の騎士団長であり、彼等の直属の上司であるのだから当然だ。


「閣下」

「ザウアー騎士団長、国軍の方は?」

「は。やはり七日前に、西部のミュラー侯爵領からハルトマン男爵領へと移動したらしく、今回の事態には間に合わないかと」

「そうか……」


 西方駐屯軍の協力が得られれば、今回の対処でも心強かっただけに、ベルク子爵の声には隠しようもなく失望の色が浮かんでいた。

 そもそも地方駐屯軍とは、こういった大災害に対処する為に設置された軍なのだが、十四年前の失態を取り戻すべく、王家直轄である国軍は民衆の人気取りに血道をあげていた。冒険者に任せてもいいような魔物被害にも首を突っ込み、あちこち動き回るせいで、本来の即応性がなくなっていたのだ。


「とはいえ、そもそも期待薄だったのだから、仕方がないな」

「は。仮に公爵領に戻っていても、間に合わない可能性の方が高かったかと」

「そうだな……。だから東方軍の再編を急げと、中央には何度も申請していたのだが……」


 本来、王国には中央軍、南方軍、西方軍、東方軍が存在した。各領には、魔物に対する抑止力として、ある程度の領軍を持つ事が許可されている。しかし、その規模は明確に法で定められており、規定以上の兵力を持つ事は、国家反逆罪に問われる可能性すらある重罪だ。

 ちなみに、王国北部は海に面しており、外敵に対しては海軍色の強い西方軍と、陸軍色の強い東方軍が力を合わせて防衛を担っていた。だが、この内東方軍は、今現在まったく機能していないといっていい。言わずもがな、十四年前に遊牧民から大打撃を被ったからだ。


「ザウアー騎士団長、これで魔物への対処は、我等領軍のみで行わなくてはならなくなったわけだが、なにか意見は?」

「少々心苦しいですね。国軍の連中は、あちこちにいい顔をする為汲々としているのに、我等ばかりがこのような檜舞台を独占してしまうなど」


 そう言って、騎士団長は皮肉気に笑う。それに対するベルク子爵も、同種の笑みで応える。


「ああ、そうだな。精々、国軍の連中を悔しがらせてみるとしよう」

「ハッ!」


 気合に満ちた騎士団長の応答に、ベルク子爵は先程よりも軽くなった足取りで、目的地へと向かう。

 魔物の数が数百程度の氾濫ならば、恐らくは領軍で事足りるだろう。だが、これがもし大氾濫であれば、ローデルの町共々、領軍は壊滅の危機に瀕するる事となる。そういった悲壮感を一切漂わせる事なく、軽口で返してくる騎士団長に頼もしさを感じたがゆえだ。


「ところで閣下、遊牧民の来客があったという話は、誠なのでしょうか?」

「ん? ああ、そうだ。今回の件も、その遊牧民たちがもたらした情報だぞ」

「武人としては、是非その武勇をお聞きたいのですが、面会の機会はあるのでしょうか?」

「残念だったな。彼等は既に町を発ったぞ。まだ一族に危機を知らせてないから、とな」

「なんと、それは残念。彼の遊牧民は、全員が弓の名手として有名ですから。一度、その技の冴え、この目に入れたかったのですが……」

「まったく、武術バカめ」

「申し訳ありません」


 呆れる子爵に、悪びれる事なく頭を下げる騎士団長。

 そういえばと、子爵は件の客人たちへの対応にも頭を働かせ始める。


 遊牧民の使者が来た事は、当然ながら王城へと使いを出して知らせねばならない。また、こうして危機を知らせてくれた以上は、その礼にも赴かねばならず、それは主に平原と隣接するベルク子爵の仕事だった。俄かに忙しくなってきた事に辟易としつつも、ベルク子爵は領軍に指示を出しつつ考える。

 その容姿が示す通り、ベルク子爵は軍閥の出であり、本人も一門の武人を自負している。だからというわけではないが、書類仕事よりも槍働きの方を得意としていた。面倒な政務よりも、眼前の危機に立ち向かい、単純に戦うだけの方が、やり甲斐を覚えるタイプの人間だった。

 無論、堅実な政務があってこそ、平穏は維持されるという事は重々承知していたが。


「しかし、あの遊牧民に客人とは……」


 一応は一段落し、あとは準備が整い次第出撃する段階となり、ベルク子爵は束の間の休息をとる傍ら、不思議な雰囲気を漂わせていた青年を思い出す。


 子爵の知る限り、平原の遊牧民は排他的だ。最低限の商売相手として、王国帝国双方の商人と付き合いはあるものの、民族意識が強く、他民族との婚姻が成立したという記録は、王国にはない。政略結婚が成っていれば、無理に侵攻という愚を犯す事もなかったはずなので、おそらくは帝国にだってそんな記録はなかったのだろう。

 そんな遊牧民の客人にして、族長の娘の伴侶。否が応でも、意識せざるを得ない。

 遊牧民が彼を取り込もうとしたのであれば、婿に入れるはずだ。しかし、実際は娘を嫁に入れるという対応をしている。


「あるいは、娘を嫁がせる事も……」


 遊牧民との関係強化という点で、あの仙太郎という人物は有用に思えた。婚姻による派閥の拡大や維持は、この大陸においては一般的な政治手法だ。彼の第二夫人に娘を入れる事に成功したとなれば、帝国に一歩先んじて遊牧民との(よしみ)を深められる。また、王国東部の平原との恒久的な和議がなれば、南部の小国群に注力できる。


 ベルク子爵はたしかに武人ではあるが、だからといって政治が苦手という事もない有能な人物であった。だからこそ、このような面倒臭い領地を任されたのだが、当の本人はその仕事に生き甲斐を感じているようだ。


「閣下」

「準備ができたか?」

「は」


 騎士団長の言葉に、それまでの面倒事を頭の隅にとどめつつ、ベルク子爵は立ち上がる。

 今はまず、目の前の危機に対処せねばな……。先々の事を考えても、始まらない。

 そう独白した子爵は、兵士たちの元へと足を向けた。


 ●○●


「閣下、これで最後のようです」

「うむ」


 領軍騎士団に属す、騎士団長の声に鷹揚に頷いたベルク子爵は、人知れずため息を吐く。


 ローデルへと軍を向けていたベルク子爵は、予想外の足止めにあっていた。

 なんでも、ここ数ヶ月街道を悩ませてきた盗賊団が、なぜかその街道のど真ん中で全滅していたというのだ。騎馬を主とした彼等盗賊団は、その巧みな馬術と戦術により、襲われれば生き残りはいないとまで言われていた。

 ならばなぜそのような噂が流れたのだろうと、ベルク子爵は益体も無い事を考えたが、口にはしない。


 しかも、全員が矢による一撃で死んでいたという。弓矢という武器は、離れた場所から離れた場所への攻撃が可能な、優れた兵器である。しかし、その殺傷能力というのは、意外と低い。それこそ、急所にでも当たらなければ、矢に毒でも塗っていない限りは死なないし、なんなら急所に当たっても生き残る事は珍しくもない。

 しかし、盗賊たちは全員、一矢の元にその命を摘み取られていたという。しかも、馬術に長けていたはずの盗賊たちの近くには、馬の死体は一頭も残っていなかったという。ただ、馬に関しては近くの町で突然売りに出されたものがあり、出所を探ったところ、やはりこの近辺でたまたま見つけたものだという事だった。

 だが、そうなると盗賊団を倒した者は、馬上の盗賊たちだけを矢で射って倒したという事になる。しかも一撃でだ。これが奇妙に映らないはずがない。


 おかげで、民は盗賊団がいた頃よりも街道を嫌厭するようになり、ベルク子爵の軍が直々に、放置された死体の処理をする羽目になった。

 子爵本人からすれば、大方あたりはついている。


「しかし、見事と言う他ありませんな」


 盗賊たちの死体を片付けている部下を眺めながら、騎士団長は感嘆の念を込めて呟いた。


「ほとんどが魔物や野生動物に食い荒らされていましたが、林の奥百mまで死体が転がっていました。残っている蹄の跡から考えて、矢を放ったのは街道から。枝葉を避けて、林の奥にいる見えない敵を、こうも見事に射抜くとは……。いやはや、達人というのは、いるところにはいるものですね」

「まぁ、平原の遊牧民がやったと言えば、たいていの物事には納得してしまう。それが王国人だろう? もし、三百m先に矢が落ちていても驚かん」

「左様ですね。数日前に、閣下が会われたという客人が行われたと?」

「そうだ」


 頷きつつも、子爵は自分の肯定に懐疑的にならざるを得ない。

 いくら平原の遊牧民とはいえ、総勢二十余名の騎馬に跨った盗賊を相手に、二人で一方的に勝利せしめるという、現実味のない事実に疑問を禁じ得ない。


「そういえば閣下、あちらの馬蹄の痕は必見ですよ。あとで見に行かれる事をお勧めします」


 騎士団長が指差す先は、未だ疫病罹患のリスクから、子爵が赴けない場所だった。楽しそうな騎士団長の声音からは、余程愉快なものがあるのだろうと推測できたが、具体的なものについては、それなりに付き合いの長い子爵にも思いつかなかった。


「なにかあるのか?」

「いえ、ですから馬蹄の痕です」

「ふむ……」


 ただの馬蹄痕を見て、いったいなにが面白いのだろうと、子爵が首を傾げる。すると、決定的な言葉を、騎士団長がこぼす。


「遊牧民の整列後退射撃の馬蹄痕ともなれば、見逃す手はありません」


 そう言われて、子爵はまるで雷に打たれたような衝撃を受ける。

 整列後退射撃。

 相当な馬術と弓術の練度を用いて行われる、一糸乱れぬ蛇行後退及び騎射。誰一人手綱を握らず矢を番え、しかし人馬一体の言葉通りに足並みは乱れず、突出する敵から矢の雨を浴びせていく、遊牧民たちの特徴的な戦術。

 この戦術によって、何人もの王国騎士たちが死んでいる。突出したものから死んでいくのだから、騎兵など一番標的にされやすい兵科だ。一度ならず、王国ではこの戦術を取り入れようとしたが、落馬や誤射が相次いで断念されている。

 だが、まだ不可能と決まったわけではない。こうしてその馬蹄痕が残っているのなら、それは確認しておくべきだ。


 そこまで考えて、子爵ははたと気付く。


 待て……。

 二人での、整列後退射撃だと……? 一人はエルミス殿で間違いないが、もう一人はトージョー殿か? という事は、トージョー殿は整列後退射撃を会得したという事じゃないかッ!


「騎士団長!」

「ハッ!」


 子爵の鋭い声に、騎士団長は背筋を伸ばして拝命の姿勢を整える。


「本当に、馬蹄痕は二つだったのだな?」

「ハ、ハッ、その通りです!」


 だが、声音とは裏腹にただの確認である子爵の言葉を訝しみながらも、騎士団長は肯定する。騎士団長の疑問の眼差しは感じていたが、子爵は思索の方を優先する。

 その考えの中で、仙太郎の立ち位置がさらに儘ならぬものへと変わっていくのは、果たして誰の采配によるものだろうか。

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