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ハーレムコンプライアンス  作者: 日曜
一章 大氾濫
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五話

「仙太郎!」


 エルミスの鋭い声に、思考に埋没していた意識を戻す仙太郎。辛うじて確認できるエルミスの表情には、真剣さが窺えた。


「ああ、盗賊かな?」


 街道の脇にある林の中に、仙太郎たちに並走する複数の気配を感じ取った仙太郎は、そう呟く。


「はい。恐らくは」

「背後に、さらに複数の気配があるな」

「なるほど、こちらは先遣隊ですか」

「たぶんね」


 林の奥には、さらに二十以上の人と馬の気配があった。

 街道を走る仙太郎やエルミスと違い、この並走者たちは林の中を走っている。それでなお、忠吉やペリコクラダについてこれる技術は、卓越しているといえる。


「だが、だからといって、お世辞にも上手い尾行とはいえないな」

「こんな距離から気取られていますからね」

「盗賊以外の可能性は?」

「こんな時間に、わざわざ林の中を並走するようなおかしな輩と、旦那様の付き合いがないようならば、盗賊で間違いないかと」

「そりゃそうか」


 仙太郎が頷くと、腰の短弓を手に取ったエルミスが微笑む。

 夜ともなれば、それは悪しき者どもが跳梁跋扈する時間帯だ。闇夜に紛れねばならぬ、文字通りお天道様に顔向けできないような輩が、こうして旅人から金や物や女を略奪しようとする、忌まわしきとき。おまけに、魔物とて活発に動き出す時間ともなれば、普通は見晴らしのいい場所に陣取って野営をする。

 だからこそ、女連れで夜に二人で走る仙太郎は、盗賊にとってはいいカモに見えたのだろう。あるいは、周囲がまだ明るければ、仙太郎とエルミスが身に纏う民族衣装から、彼等が平原の遊牧民であると予想できたのかもしれないが、お互いにとって運の悪い事に、既に衣服の差異が見分けられるような明るさは、地平線の向こう、王国の先の海原へと沈んでいた。


 走るペリコクラダの馬上で、体を起こすエルミス。胸を張るようにその短弓を構えると、背の矢筒から矢を一つ抜き出し、つがえる。


「馬術の腕はなかなかですが、次からは適切な距離を取る事をお勧めします。まぁ、次はないのですが」


 そう呟いたエルミスの弓からは、ぴょうと矢が放たれ、林の中へと消えていった。直後「ぎゃあ」というありきたりな叫び声が聞こえ、林の中の気配が右往左往を始める。


「なんだ? たかが一人射られたくらいで、なにを慌ててんだ、盗賊風情が?」

「もしかして、反撃された経験がないのでは?」


 エルミスにそう言われて、「ああ、なるほど」と頷く仙太郎。


「普通、盗賊が馬を持つ利点というのは、多くありません。彼等は森に紛れなければ、冒険者や見回りの兵に殺されてしまう、社会的弱者ですから」

「だが、馬と森というのは、とことん相性が悪い」


 馬特有の機動性が殺され、大きな図体はいい的だ。小回りも利かず、攻撃方法も限られる。相当に卓抜した技術があってしても、山林の中での騎馬戦闘というものは忌避したい代物だろう。しかも、馬は維持するために、結構なまぐさと手間がかかる。その日暮らしに近い盗賊たちが、当然のように持っている事の方が不自然なのだ。

 では、なぜ森との相性が悪い馬を、今仙太郎たちに襲いかかってきた盗賊たちが持っていたのか。

 それは、効率的な狩りの手法として、獲物に逃亡を諦めさせるという策を用いていると、仙太郎は推測する。

 誰しも、これ見よがしに林の中を追跡する馬影があれば、その馬術の冴えに目を瞠り、逃亡よりも直接的な戦闘による保身を図るだろう。街道を使う旅人は、たいていの場合は徒歩か馬車だ。誰だって、騎馬と徒歩、あるいは単騎と馬車のどちらが速いかを間違ったりはしないだろう。

 たしかに森の中では身動きが取れず、形勢不利な騎馬であるが、しかし、街道という拓けた場所における突進力と機動力は、文字通り人後に落ちない。まして、並走する連中の背後には、さらに多くの騎兵の気配まであるのだ。それ等が一気に突っ込んでくれば、大抵の冒険者や商人の護衛程度では、ひとたまりもないだろう。

 そうして、効率のいい兵科の運用によって、この盗賊たちは旅人たちから、身包みを剥いできたのだろう。


 だが、今度ばかりは運の尽き。


 よりにもよって、馬術においては天下無双を謳う、悪名高き平原の遊牧民に喧嘩を吹っかけたのだから。

 林の中から、ひょろひょろと矢が飛んでくるが、当然そんな物が当たるはずもない。お返しとばかりにエルミスが射る矢は、疾く、鋭い風切り音を残して林の中へと飛び込み、のちの悲鳴へと繋がる。

 これはなにも、盗賊たちの腕が未熟という事ではない。普通、馬弓まゆみや騎射と呼ばれる行為は、馬術における最高難度のものといっても過言ではない。馬を走らせながら矢を射って、必中の精度を誇るエルミスの方が、この場合はおかしいのだ。


 日本には、古来から流鏑馬やぶさめという伝統の文化がある。その起こりは、平安末から鎌倉にかけてと目されており、度々神社などで奉納される。しかしこの流鏑馬においても、止まっている的に射る事すら難事を極めるのが、騎射なのだ。とはいえ、あれは馬の速度と長弓である事も難易度を上げている理由だろうが。


 仙太郎の目の前にいるこの嫁は、駈足のような揺れの激しい状態ですら、ほぼ必中の矢を放つ事ができる女傑である。無論、平原の遊牧民の戦士たちは、ほとんどがこれをできる。ついでにいえば、仙太郎もこの二年でできるようになっていた。


「おや? 連中、逃げ腰ですね」

「うわ、マジだ……」


 エルミスの声に、仙太郎はげんなりとした声を上げる。

 並走していた連中は、算を乱して――という程残ってもいないが――てんで統率のとれていない動きで逃げ惑っているし、後詰の連中まで及び腰だ。


 盗賊というものは、基本的に生死不問で排除が推奨されている。遭遇したならば、できうる限りにおいて捕縛、殺害しておく事が他の街道利用者へのマナーであり、相互扶助であろう。自分が盗賊を排除したから、誰かが安全に街道を利用でき、誰かが盗賊を排除したから、自分も煩わされる事なく街道を利用できる。いわば、ゴミ拾いに近い。

 このまま見逃しても、どこかからお咎めがくる事はないだろう。だがそれは、誰にも見られなければポイ捨てしてもいいという、自分勝手な物言いだ。

 仙太郎はどこからともなくそれを取り出すと、エルミスと同じく矢を番る。

 引き絞られたつるが耳元であげる、キリキリという耳心地のいい音。忠吉と息を合わせると、その呼吸を止める。集中力は世界をゆっくりと回し、音を遠ざける。

 狙う先は林の中。見えぬ先。気配だけで狙いを付け、仙太郎は矢を放った。

 緩やかな放物線を描く矢は、林の木々の枝を縫い、ただただまっすぐ目標へと迫り――――命中する。


 ●○●


 盗賊の頚椎を貫通した鏃は、暫時その場に沈黙をもたらした。

 恐怖とともに林の奥、街道方面へと視線を向ける盗賊たち。彼等は、先遣の連中ならともかく、後ろに控えている自分たちは安全だろうとタカを括っていた。しかし、こうして実際に仲間が殺されれば、その見通しが間違っていた事は明白だった。

 しかも、馬というものは、意外と転進というものが難しい。それが集団行動ともなれば、余計に難易度が高くなる。

 当たり前ながら、自分たちは街道方面に馬首を向けてしまっている。これから向きを変え、逃げている間に、どれだけの矢が降り注ぐ事だろう。そして、それは自分に当たるかもしれない。

 盗賊たちは迷う。

 今夜の獲物は、馬上からこちらを射る技術は飛び抜けている。だが、もし奴等の戦闘技術が、弓術にのみ長けているのなら、まだ挽回の余地はある。得てして、弓兵というものは近接戦闘に弱いのだ。このまままっすぐ、連中に突っ込んで近接戦闘に持ち込めば、あるいは生き残れるかもしれない。

 そう判断した盗賊たちは、恐怖を押し殺し、損害を厭わず前進を開始した。

 何人もの仲間が、正確な矢の一撃に落馬していった。まるで千里もの距離に思えた道程は、しかして終わりを迎える。林を抜け、拓けた街道に出た盗賊たちは、勝利を確信する。

 馬上で弓を構える男。その身長に迫ろうかという長弓を構える男には、その他の武装は見受けられない。つまり、典型的な弓術士だ。


「見ろ! 奴は弓だけだ!」


 あまりの喜びに、一人の盗賊は快哉をあげる。その直後、喉に矢をもらって落馬するが、残った数人の盗賊たちは構わず駆ける。

 あと少し。あと少し!


 自らの生存本能に従い、必死で男へと迫る盗賊は――――しかし男の次の行動に絶句する。


 男の構えていた長弓が、どこへともなく消え失せたと思えば、今度は短弓がその手に現れたのだ。いったい、長弓はどこにいって、短弓はどこから出てきたのか。盗賊たちは、誰一人としてその答えを持っていなかった。

 男と女は、こちらに矢の雨を浴びせつつも、馬の歩調を合わせると、盗賊たちから見て斜め後方へと退却を開始する。

 やれ追撃と勇んだ連中には、鏃の報復が待っていた。

 男と女は、あろう事か後退しつつ並列し、半身のまま馬上からの射撃をやめないのだ。街道の端近くになれば、馬はすぐさま方向を変えて、蛇行するようにこちらへの騎射をやめないのだから始末に負えない。

 真後ろに矢を放つ事はできない。だからこそ、馬を斜め後方に向けて走らせ、半身となって弓を射る二人の男女。その息はぴったりと合い、嘘のように鏡写しのごとく同じ動きで駆けている。二人が手綱すら握っていない事を考えれば、異常な光景だった。


 そこでようやく、盗賊の一人は相手の正体に気付く。

 卓越した馬術と、馬上弓術。そして、整列後退しながらの騎射。そんなものは、あの平原からしか聞こえてこない。

 ドラゴンや魔族と同等に恐れられる、王国と帝国の悪夢。


「まさか……、平原の遊牧民……?」


 茫然自失となって呟いた言葉が、存外大きく響いた事を訝しんだその男は、周囲の状況を一瞥して息を呑む。生き残っていたのは、その男だけだった。恐ろしい事に一頭も死んでいない馬たちと、地面に横たわる盗賊仲間だった者たち。自分の他に息をしている人間は、眼前にいる二人だけだ。


「なんだって、こんなところに平原の遊牧民がいるんだよ……?」


 力無く呟かれた男の声に答えたのは、冷たい鉄の鏃だった。


 ●○●


「案外、拍子抜けだったな。特筆すべきは、森林内での馬術くらいか」

「旦那様、我等一族を基準にしては、彼等が哀れですよ」


 苦笑するエルミスに、そんなものかと仙太郎は納得する。

 さっきの一騎当千の武将がダース単位でいる英雄譚はともかく、事馬術において、遊牧民が他民族に遅れをとるわけにはいかないだろう。かくいう仙太郎も、馬術に関しては既にかなりのものだと自負している。エルミスと行った後退射撃も、なかなかの精度だった。とはいえ、まだまだ走る馬上で長弓を射れる程ではない。

 ゾル族の族長であり、エルミスの父であるパテラスなどは、馬を走らせながら長弓を射て、遠く離れた的を射抜く。仙太郎は、残念ながらまだあのレベルには達していない。


「それより、死体はこのままでいいのでしょうか?」

「流石に、片付けていく時間は惜しいと思うんだけど、どうなんだ?」

「そうですね。後続に旅人もいましたし、その方たちにお任せしましょう。我々は、万が一を考えて一族に大氾濫の兆候を伝えねばなりません」

「運が良ければ、後ろの連中は労せず馬を手に入れるだろう。それで許して欲しいもんだ」


 仙太郎がそう呟く頃には、盗賊たちの亡骸は見えなくなっており、死臭も遠ざかっていた。そこでふと、仙太郎は気付く。

 この世界に来た頃の自分は、盗賊といえど人の命を奪う事に、なんらかの葛藤を覚えていなかっただろうか、と。しかし、何度頭をひねってみても、思い出せない。

 いつから自分は、道端の空き缶を拾うのと同じ感覚で、盗賊たちを殺していたのだろうかと。

 サールベインの海賊退治のときだろうか? ハルデーニャの大盗賊団殲滅は、いつの頃だったか? はたまた、もっと前の、それこそこの世界にきたすぐ後くらいの事だっただろうか?


「どうしました、仙太郎?」


 心配そうな声音にそちらを見れば、エルミスが仙太郎の顔を見つめていた。その表情には、仙太郎に対する憂慮が、ありありと浮かんでいた。

 仙太郎は首を振ると「なんでもない」と返す。実際、なんでもない事だ。人は変わる。この世界に来た頃と、今の自分が変わっている事に、不思議などない。

 だが、仙太郎の胸には、言いようのない気持ち悪さがわだかまるのだった。

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