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ハーレムコンプライアンス  作者: 日曜
一章 大氾濫
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二話

「そして突如、我等が平原を狙って王国と帝国は、軍を差し向けました。野蛮なる侵略者どもは黒い波となって押し寄せ、我等遊牧民は存亡の危機に立たされました」

「え? 帝国も? それって……」

「はい。平原の東西、双方からです」

「挟撃じゃん」

「はい」


 ベルク子爵の館をあとにした仙太郎とエルミスの二人は、平原へととんぼ返りする道すがら、雑談に興じていた。主に、ベルク子爵の態度の理由である。


 エルミスの語る昔話の冒頭は、絶体絶命の危機だった。大義名分もなく、宣戦の布告もなく、欲望のままに攻めよせる王国帝国連合軍。三大大国の内の二つと、こんな地方都市みたいな平原一つで相対し、おまけに、平原の東西から挟撃されるという劣勢。もはや、遊牧民の存続すら危ぶまれるような、絶望的な危機だった。

 アロゾ平原は、絶海の孤島にあるわけではない。平原から見て東はズィクタトリア帝国、西はスリアンヴォス王国、北部は周辺一帯で最大の魔物の領域であるトゥレラ大森林と、小国であるドゥカス公国、南部はグリ大山脈と接している。

 王国と帝国に挟まれた、気候に恵まれた、肥沃な平野。水源も豊富で、良馬の産地でもあるアロゾ平原。よくもまぁ、未だそんな場所に所属国も決まっていない状態で存続しているものだと、仙太郎は逆に感心する。


「我等遊牧民の総力を結集しても、兵力は一万。しかし、王国と帝国は合わせて十万以上の軍勢でした」


 王国と帝国は、大陸を三分する三勢力のうちの二つだ。十万人程度の兵力は、ほとんど小手調べみたいなものだろう。それでも遊牧民たちの十倍なのだ。その点だけ見ても、この昔話の先行きは暗いといえる。現実的に見れば、よくて激戦、悪ければあっさり遊牧民は滅亡するか、どちらかの国に隷属する可能性が高い。まぁ、今現在そうはなっていないので、その心配はないのだが。

 仙太郎も、以前の戦争で遊牧民の数が激減したという事は聞いていたので、エルミスの昔話が、それに繋がっていたのかと得心した。


「で、あの子爵の態度から見るに、遊牧民は善戦してその実力を示し、王国と講和したって事? 帝国とはどうなったん?」

「いえ、撃退しました」

「は?」

「ですから、撃退しました。十万を超える王国帝国の軍勢の、悉くを」

「…………」


 いや、それはないだろうと、頭の中で眉に唾を付ける仙太郎。彼の両手が塞がっていなければ、実際にやっていたかもしれない。例え、その動作にどんな意味があるのか、知らずとも。


「……エルミス、それって本当?」

「ええ。実際、未だに平原は、王国帝国双方に属していませんし、勿論公国のものでもありません。平原は平原のまま、独立しています」

「まぁ、たしかにそうなんだけど……」


 それにしても、いくらなんでもあり得ないだろうと、仙太郎は身を揺らしながら空を見る。群青と茜の混じり合った幻想的な雲が、遥か高くの天空から見下ろしていた。

 国力差を考えれば、十万人という人数は、遊牧民なら全人口を動員しても届かない数だが、二国からすれば一都市の人口にも届かない程度だ。もし仮に、その十万人の兵士が全滅したとしても、『じゃあ』とか言って二十万人の兵士が投入されても、全然おかしくはないだろう。

 そんな二国と戦争して、勝利した? この大陸を三分する、王国、帝国、小国群のうち、二つを敵に回して? 大陸全体からすれば猫の額もいいところな、こんな平原が?

 再度、あり得ないと、口に出さず思う仙太郎。


「エルミス、その戦争って何年前の話だっけ?」

「十四年前の事です」

「一年以内に終わったの?」

「はい」

「なるほど……」


 時代としては、一昔という言葉すら当てはまらないような、つい最近の出来事だ。しかし、エルミスはまだ若々しい十九の女性である。つまり、当時五歳だ。


「旦那様?」


 首を傾げるエルミスに対し、仙太郎は首を振る。


「いや、なんでもないよ」


 幼少期に、故郷を狙って異邦人が押し寄せてくる恐怖。それに対抗する、一族の戦士たち。実際に戦って、平和を勝ち取った彼等に対して、エルミスが感じた頼もしさと安心感。それは、平和な日本でなに不自由なく育った仙太郎には、微塵も理解できない人生経験だ。

 年を跨がず、一年の内に決着したというのなら、激動という言葉すら生易しい程に、目まぐるしく状況は変化しただろう。それを、当時子供だったエルミスが逐一把握していたとも思えない。大人というのは、得てして深刻な事情というものを子供に教えないものだ。教えず、見せず、隠すものだ。

 結果として、どのような経緯があったとしても、平原は未だ独立を保っている。子爵の態度から察するに、たしかに戦いそのものには遊牧民たちが勝利したのだろう。当時の戦況がどのように変化し、どんな理由で王国帝国双方が兵を退いたのかはわからないが、結果として戦争は終わっている。

 当時平原の為に戦った戦士たちは、幼少期のエルミスにとってのヒーローであり、それにケチをつけるつもりは仙太郎にはない。仙太郎とて、ミスターを悪し様に罵られれば、おそらく一生許さないだろう。


 エルミスが朗々と語る、遊牧民たちの武勇伝。その中から、事実だと思われる部分を抽出しつつ、優しい目でエルミスを見つめる仙太郎。そんな夫の姿に、怪訝な表情を浮かべるエルミス。


「旦那様?」

「なんでもないったら」


 仙太郎は誤魔化すように忠吉を促す。駈足かけあしから襲歩しゅうほへと速度を変えた忠吉は、相棒の姿に「仕方ない」とでも言いたげにブルルと嘶く。

 仙太郎とエルミスの二人は、馬を駆りながら雑談に花を咲かせていた。時刻は既に夜に近く、傾きかけた日が、ひたひたと忍び寄る夜闇に追い出されようとしている。そんな、夜という絶対的な存在を前にしても、二人の夫婦には気負ったところは見受けられない。どころか、舌を噛みかねないような揺れをものともせず、喋々喃々と話し合う二人に、追い越されていく旅人たちは、野営の準備に勤しむ傍らその背に奇異な視線を送るのだった。


「旦那様! いくら忠吉が優秀でも、無理は禁物ですよ!」

「わ、わかってるよ……」


 バツの悪そうな表情を浮かべる仙太郎。駈足に戻った忠吉、それに追いついたエルミスと、その愛馬ペリコクラダ。彼等は今日だけでも、かなりの距離を踏破した。ほとんど走り続けのような状態であり、いくら持久力に定評があり、軍馬として人気の高い平原の名馬とはいえ、流石にオーバーワーク気味だった。

 謝るように忠吉の首を撫でる仙太郎に、忠吉は「気にするな」とばかりに息を吐く。


「旦那様?」

「……なに?」


 なにかを言いたげに自分を呼ぶエルミスに、仙太郎はその意味をほとんど確信しつつ問い返す。


「その戦によって、我等が遊牧民の戦士たちも多く斃れました。五つあった部族は、今や三つまで減り、子を成せる男の数も遊牧民全体で一握りにまで減少しています。今は多くの種を蒔き、子を生み育てねばなりません。存亡の危機は、未だ続いているのです。ですので旦那様、エルミスも早くややが欲しいのですが?」

「…………」


 結婚以降、何度も繰り返されたやり取り。子作り。

 話の流れから、こうなる事は予想できていた仙太郎。無論、仙太郎もエルミスとの婚姻を了承した以上、そういった行為や子供の誕生も意識しなかったわけではない。だがそれは、まだまだ先の話だと、日本にいた頃の感覚でタカを括っていたのだ。

 だが大陸の常識では、結婚は子供を作る為にするものであり、この場合は仙太郎の方が間違っている。〝家〟というコミュニティの持つ意味を、現代日本感覚で所持していれば、仕方のない事ともいえるが。


「……エルミス、まだ十九じゃん。そんなに急がなくても……」

「十九ともなれば、子の一人もいねばむしろおかしいのです! 仙太郎も知っているでしょう? 私と同い年の女は、皆既に母親です! 仙太郎こそもう十七なのですから、いい加減父親となる覚悟をしてエルミスを抱きなさい!」


 久しぶりに、『旦那様』ではなく『仙太郎』と呼ばれた事に一抹の懐かしさを感じつつも、やはり居心地の悪さは拭えない仙太郎。


 この世界の人々の結婚観というものは、自分のものとはどうしようもなく乖離している。


 それはこの二年で理解しているつもりだったのだが、だからといって本当に結婚してしまった自分は、やはり迂闊すぎたのだろう。

 たしかに仙太郎とエルミスは夫婦となった。仙太郎自身、エルミスを憎からず思っている事も事実だ。だが、その関係性に〝恋愛〟という状態が存在した事は、ただの一度もない。


 この世界に連れてこられ、右も左もわからなかった仙太郎を助けてくれたのが、エルミスたち遊牧民のゾル族だった。彼等と仲良くして、持ちつ持たれつの関係性を維持していたら、あたり前のように『結婚しろ』とエルミスの父、族長のパテラスに勧められた。

 あれよあれよと、流されるままに状況に身をまかせていたら、あっという間に結婚してしまっていたというのが、仙太郎の認識だった。仙太郎にとってみたら、『お見合い』と言われて楽観していたら、こちらの世界の常識で『お見合い』を断る事は、場合によっては関係の決定的な決裂もありうるという結構な出来事だと、あとから知った。その時点で、ほとんど外堀を埋められるように選択肢を塞がれた状態だったのだが、流石にそう言ってしまうのはエルミスに失礼だと考えていた。

 なにより、仙太郎にはまだ一応は〝選択肢〟が与えられていたのだから、むしろ良心的だったといえる。なにせ、目の前のエルミスこそ、この結婚に際して一切の選択肢を与えられなかった人物なのだから。自分と結婚する事を父親に勝手に決められ、問答無用で仙太郎の妻にされたのがエルミスだ。


 無論、エルミスという妻に不満があるわけではない。異世界育ちでこちらの世界の常識に疎い仙太郎を、上手く導き、美人でスタイルもよく、気立てもいい。まさに姉さん女房の鑑のようなお嫁さんである。だが、結婚する前には恋愛があり、愛情があるからこそ結婚するという認識だった仙太郎の価値観は、パテラスがエルミスの意思すら考慮せず、事後承諾で勝手に結婚を決めてしまったときに大きく崩れてしまっていた。

 仙太郎は未だに、本当にエルミスに好かれているという自信がない。そのような相手と家庭を築き、子を成すという事に躊躇を覚えるのは、必ずしも仙太郎が臆病だという理由にはならないだろう。


「結局、俺ってこの世界の人間じゃないんだよな……」


 そう呟く仙太郎。

 遊牧民は基本的に、男も女も自由に生きている。一見女性の権利を認めているように思えるのだが、結婚や政治に関しては、完全な男尊女卑の世界だった。女性に結婚相手を選ぶ自由はなく、家長が決めた相手と結婚するのが当たり前で、一族の方針を決める会議に女性が口を出す権利は認められていなかった。

 仙太郎も、日本も昔はそうだったという事は知っていたのだが、こうして実際に目の当たりにすれば、それはひどい男女差別のように思えた。その被害者であるエルミスと、まさしく加害者の立場に立ってしまった仙太郎。しかも、こんな事に良心の呵責を覚えているのは仙太郎だけで、父親のパテラスを始め、当のエルミスすら、それに一切の問題を感じていないという現実。どころか、変な事に拘泥していると、パテラスもエルミスも、仙太郎の葛藤に首を傾げていた。

 それは、どうしようもなく仙太郎に、望郷の念を覚えさせるものだったのだ。


 勝手な理由で異世界に連れてこられ、夢を奪われた仙太郎。そんな彼の周りにいるのは、優しくも異文化に生きる他民族だ。仙太郎は孤独だった。

 多文化交流などと気軽にのたまう輩を、仙太郎はテレビで多く見てきたし、その感覚でこの世界の人間と交流を持ってもいた。だが、今では価値観が根底から違う人々と打ち解けるには、それなりの覚悟が必要である事を、仙太郎は痛切に実感していた。


「覚悟、ねぇ……」


 そう。覚悟である。

 実のところ、仙太郎が今一番必要としているのが、その覚悟なのだ。元の世界への帰還を諦め、こちらに家族を作る覚悟か、はたまたこちらの世界で家族を作っても、それを捨てて元の世界へと戻る外道へと身をやつす覚悟か……。

 懊悩する仙太郎は、未だ答えを出せずにいる。そして、そんな仙太郎を、その悩みの本質は理解できずとも、気遣わしげに見守るエルミス。また、背に乗る相棒の様子を心配するように、チラチラと視線を送る忠吉。我関せずとばかりに駆けるペリコクラダ。

 二人と二頭は、夕闇の街道を駆ける。


 ●○●


 東城仙太郎は、昨今流行(はやり)の草食男子だった。

 面倒な恋愛関係というものに煩わされるくらいならば、生涯独身貴族でも構わないと、生意気にも十五の若造でありながらのたまう愚か者である。その愚かさを重々承知の上で、しかし仙太郎は恋愛などにうつつを抜かしている暇などなかったのだ。

 彼には夢があった。

 小学校四年生の頃に出会った、野球というスポーツ。リトルリーグから始めて、シニアリーグを経て、高校球児としてデビューを果たした高校一年生。夢はもちろん、高校球児の檜舞台、甲子園。

 望み得るのならば、そのままプロ野球選手としての生涯も夢見る(かたわ)ら、根っからの現実主義者である仙太郎は、整体師、栄養士としての資格を取る為の勉強にも励んでいた。とはいえそれは、どちらかといえば体作りの為の基礎的な栄養学と、怪我をしない為の正しいストレッチとマッサージ法を学んでいるという意味合いが強かった。それに、これは夢というにはやや世知辛いだろう。

 仙太郎にとっての夢は、やはり甲子園だったのだ。

 しかし、そんな夢が脆くも崩れ去ったのが、二年前――――


 一年の三百五十日以上がそうであるように、その日も仙太郎は練習に向かっていた。自主練習を含めれば、恐らくは三百六十日を練習に費やすような生活を送る仙太郎は、その日も当たり前のように薄暗い早朝の通学路を、自転車を漕いで学校へと向かっていた。

 そろそろ高校初の公式戦。強豪校ゆえにスタメンは狭き門だが、それでも仙太郎はやる気に満ち満ちていた。中学時代はシニアリーグに所属していたせいで、学校の名を背負って戦うという初めての経験に、漠然とした憧れを持っていたのも理由の一端だろう。

 なにより仙太郎には、それなりの自信もあった。基本的にはサードやショートを任せられるだけの守備力と肩。打力こそフェンスを越えるのは難しいが、盗塁の成功率が示す通りの足が叩き出す、安定した打率。

 そして最たるは、やはり長年硬式野球で生きてきた経験だ。中学で軟式野球に勤しんできた同輩たちとは、一線を隔すと自負していた。

 グローブを突き刺すあの痛みを小学校の頃には克服し、縫い目がハッキリと痣になるようなデッドボールや打球をその身で受け、バットに残るあの手応えを自分のものにしているという絶対の自信。

 勿論、自分と同じく青春のほぼ全てを、野球に注ぎ込んできたような連中だ。このようなアドバンテージがいつまでもあるものと楽観するつもりは、仙太郎にはない。しかし今はまだ、自分たちシニア出身者が硬球の扱いに一日の長があるといっていいだろう。

 とはいえ当然ながら、二年生でもベンチ入りしていない先輩はいる。一年も高校野球に揉まれてきた彼等には、硬式野球での経験ではひけをとらなくとも、高校野球での経験では大きく水をあけられているといっていいだろう。

 セミプロみたいな怪物の生きている、高校野球という舞台。そのトッププレイヤーは、本当にプロ野球選手になる。そんな戦場で一年間も戦い続けた先輩たちを押しのけ、スタメンを手に入れてその座にしがみつくのは、容易な事ではないだろう。

 しかし、可能性は決して低いものではない。だからこそ感じるやり甲斐に、思わず昂る気持ちを抑え、仙太郎はペダルを漕ぐ。

 その先に、絶望の淵が口を開いている事も知らず……。

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