表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハーレムコンプライアンス  作者: 日曜
一章 大氾濫
1/17

一話

 ベルク子爵領。特に広いわけでもないが、平地と気候に恵まれた肥沃な領地。王国東部の辺境に位置するこの子爵領の、さらに東端にある小さな町、ローデル。そこには今、一組の男女が町へと入る為、列に並んでいた。


「はぁ……。なんだって、俺たちがこんな事……」


 長い間、王国最東端の辺境を守ってきたこのローデルの町は、町の規模に似合わない大きな城壁で町を囲っている。そんな雄大な城壁を見上げながら、仙太郎せんたろうは盛大にため息を吐いてぼやいた。


「仕方ありません。これも運が悪かったと諦めてください、旦那様」


 仙太郎の隣では、金色の髪に小麦色の肌が眩しい美女が、馬の首を撫でながら微笑んでいた。特徴的な民族衣装に身を包み、王国の女性にしてはやや高い身長の女性。

 腰には短弓と、特徴的な三日月のような曲線を描く刀、シャムシールという武器を携え、巨躯を誇る赤毛の馬を従えている女性の姿は、周囲の好奇の視線を集めていた。しかしその視線には、怖れのようなものも多分に含まれており、この二人に近付いたり、声をかけようとする人物は皆無だった。

 そんな美女が、茶色の瞳を細め、からかうような口調で告げる言葉に、『旦那様』と呼ばれた仙太郎は渋々ではあるが頷くのだった。


「よりにもよって、魔物の大氾濫の兆候を掴んじまったんだからな……。エルミス、本当に族長たちは後回しで大丈夫なのか?」

「ええ。私たちがここからとんぼ返りしたところで、向こうに着く頃には一族だってそれを掴んでいる事でしょう。むしろ、それを知りながら王国への連絡が遅れれば、我々に対する風当たりはいっそう強くなる事でしょう」


 そう言われれば、仙太郎には反論の余地はない。王国とエルミスたち遊牧民との間に、どのような確執があるのかも、仙太郎にはわからないのだから。


 なにせ、仙太郎は二年前にこの世界に来たばかりで、そろそろ三年目に入ろうかという頃合いだ。ほとんどなにも知らないといってもいい。


 とはいえ、ここは子爵領であり、これから会う相手も王国の子爵。つまりは、お貴族様だ。

 いくら情勢に疎い仙太郎とはいえ、貴族という言葉が持つ意味は理解しているつもりだ。下手な事をすれば首が飛びかねない相手に、たかだか遊牧民の一部族の代表として謁見するという事実を確認すると、キリキリと痛む胃が、なお一層悲鳴をあげる。


「冒険者組合に、身分証作りに来ただけだったんだけどなぁ……」

「得てして、世は儘ならぬものですよ、旦那様」

「……」


 再びエルミスに『旦那様』と呼ばれた事に、今度は隠しようもなく赤くなった頰を誤魔化すように、仙太郎は明後日の方を向く。視線の先では、仙太郎の愛馬である忠吉が、つぶらな瞳を向けていた。

 ねだられるままに忠吉の首を撫でると、ブルブルと嬉しそうに嘶く。こちらの世界で出会い、生死の境を共にした愛馬の可愛らしい仕草に、今度は優しく微笑んだ仙太郎。

 こちらの世界に来たばかりの頃は、馬に跨がる事すら覚束なかった自分が、今や裸馬にすら乗れるのだから、いやはや変われば変わるものだ。

 そう考えると、意外にも自分は、こちらの世界で多くのものを得てしまったのだと、苦笑まじりに後悔の念を抱く。

 重荷になりそうなものは、持たないつもりだったんだけどな……。

 などと考えてから、もう一度エルミスへ視線を向ける。


「どうかしましたか、旦那様?」

「……いや」


 なにかを誤魔化すように言い淀んだ仙太郎は、改めて聳える城壁を見上げる。


「この壁が、あの魔物の大群相手に持ち堪えられるのかと思ってな」


 仙太郎の声には、どこか他人事のような、空虚な響きがあった。


 ●○●


 ベルク子爵とのアポイントメントは、すぐに取り付けられた。事が魔物の大氾濫ともなれば、冒険者だけでは手に負えず、領軍の協力も必要になるので当然だった。

 実際、冒険者組合に報告を終えたその足で、すぐに子爵領中央に位置するハイベルクの町へ向かうよう、命令に近い要請を受けた仙太郎とエルミス。早馬を追い越さんばかりに愛馬を駆る二人は、ハイベルクの町に到着するなり領主の館へと通され、子爵本人と顔を合わせる事となった。

 あまりにもトントン拍子に進む話に、仙太郎は深く深くため息を吐く。

 どこかの段階で、領主への報告を代行してくれる存在に期待したのだが、実際に大氾濫の兆候を確認した仙太郎たちが直接報告をするよう、冒険者組合の支部長や、ローデルの町の代官、ハイベルクの関所を守っていた兵士たちにも言われていた。次第に諦観に傾いていた思考も、しかしこうして紛う事なき領主の館へと足を踏み入れてしまうと、改めてげんなりとしてしまうというものだ。

 それにしても、顔を合わせる人間が全員、怯えたように自分たちを見ていたのは、どうしてなのだろうかと首を捻り、子爵邸の応接室で待つ事十数分。詰襟のような軍服に身を包んだ壮年の男が、執事の開いた扉から入って来た。この男が、おそらくベルク子爵本人なのだろうと、仙太郎はあたりを付ける。


「お待たせしてすまない。領軍の出動準備を優先したゆえだ。許してほしい」


 開口一番そう言った子爵に、仙太郎は少なからず驚いた。

 武人然とした、広い肩幅と引き締まった体格の子爵だが、その所作の端々から優雅に洗練された立ち居振る舞いは見て取れた。なにより、その立派な髭が自らを貴族だと主張しているように思えた。まぁ、これは仙太郎の偏見も多分に混じっているのだが、髭の手入れを怠らないというステータスの誇示方法もあるので、間違っているわけではない。

 そんなザ・貴族な子爵が、真っ先に謝辞を口にするという事にまず驚き、そしてその物腰があまりにも柔らかい事に、改めて驚く。いっそ低姿勢と評してもおかしくない程に丁寧な扱い。仙太郎の思い描いていた貴族像とは、子爵の態度はあまりにも乖離していたのだ。

 あるいは、彼は子爵本人ではないのかもしれないと訝しんだ仙太郎の隣で、エルミスは座っていたソファから立ち上がると、慇懃に頭を下げた。慌ててそれに倣う仙太郎。


「とんでもございません。この火急の事態に素早くご対応なさり、さらにはこうしてご過分なご応対までいただき、私どものような田舎者には感謝の言葉もございません。私は、アロゴ平原はゾル族の族長パテラス・ゾルが娘、エルミス・ゾルと申します。こちらは、私の旦那様である仙太郎・東城でございます。以後、お見知り置きをいただけますよう、お願い申し上げます」

「このスリアンヴォス王国にて、勿体なくも陛下より子爵の位を賜っている、ターレス・ル・フォン・ベルク子爵だ。こちらこそ、よしなに頼む。ふむ、トージョー殿は、平原の方ではないように見受けられるが?」


 仙太郎の肌色は、エルミスの小麦色のそれとは違って、やや日焼けが目立つものの黄色人種特有のそれであり、坊主頭にされていても、その短い髪が金ではなく黒である事は見間違いようもない。さらに、瞳の色も、平原の遊牧民たちとは違った特徴を有している。

 ベルク子爵としては、平原の遊牧民の特徴を有したエルミスより、遊牧民の民族衣装をまとっていても、明らかに遊牧民ではなく、さらにはこの大陸の人間ですらないように見える仙太郎の方が気になった。


「はい。旦那様は、我等が平原の客人でございます。しかし、こうして族長の娘である私が嫁いでいる以上は、我が一族も同然にございますれば、王国の方々には我等一族と同等に扱っていただきとう存じます」

「ふむ……。無論、エルミス殿がそう申されるのであれば、粗略に扱うつもりはないが……。確認するが、婿に取ったのではなく、嫁いだのだろうか?」

「はい」

「ふむ……」


 なにやら、自分を置いてきぼりにして進む話に多少の居心地の悪さを感じつつも、どうやら子爵の相手はエルミスに任せて大丈夫なようで、密かに安堵する仙太郎。もし王国が、男尊女卑の蔓延する貴族社会だったら、エルミスには発言権がなかったかもしれないなと、王国の貴族社会を評価しなおす。

 その評価に関しては、概ね間違いであり、王国の貴族社会は仙太郎が当初に想像した通り男尊女卑が根強く残っている、バリバリの男社会だ。

 勘違いをしたまま安堵し、気を抜いていた仙太郎は、ベルク子爵の獲物を狙うような目が、自分を捉えている事に気付かなかった。


「子爵様、今は火急のときにございます。ご挨拶はこのあたりにいたしまして、本題に入らせていただいても、よろしいでしょうか?」

「うむ、そうだな。魔物の大氾濫だとか?」

「はい。とはいえ、我等が確認いたしましたのは、あくまでその兆候でございます。場合によっては、ただの氾濫程度に収まる可能性もございます事、予めご理解いただきたく存じます。

 我等が確認いたしましたのは、グリーンスコルとグレイハティの群れです。確認しただけで約二百頭。ローデルの町の南東、約八十㎞程で確認。その後方、約二十㎞程後方にも、同程度の魔物の群れを確認しております。ただ、後者の群れに関しましては、我々も遠目にしか確認しておらず、詳細については不明でございます。

 群れの進行方向はローデルから逸れていたものの、王国方面。ローデルの町から見て、南西方向に抜ける進路ですが、ローデルへと進路が変わる可能性は十分にあるかと」

「ふむ……」


 スコルは日中に狩りを行う魔物であり、ハティは夜行性の魔物だ。仮に、生活時間が重なったとしても、群れを成すより縄張り争いを始めるのが常だった。普段は反目しあう他種族同士の、魔物の群れ。それが意味するのは、魔物の氾濫の兆候。増殖した魔物が、魔物の領域から溢れだし、人間の領域へと流れ込み、暴れまわる最悪の自然現象である。その中でも、千に届くような数の魔物の氾濫を、大氾濫と呼ぶ。その被害は、一夜で町を更地に変えるともいわれている程で、大陸に住む者なら最大限忌避したい災害である。


「無論、二百や四百で収まるのであれば、それに越した事はございませんが、楽観するには脅威かと」

「当然だ。すぐに、領軍をローデルへと送る。そうでなくても、王国へと向かっているのだからな。ただの氾濫であれば御の字だが、大氾濫である可能性を捨てるべきではない。杞憂であれば、そのときはよい予行練習ができたと、苦笑いすればいいだけの事だ」

「流石は、王国の辺境を守られるベルク子爵様です。正直を申せば、もう少し時間がかかるものかと」

「まぁ、平原の方々には、我等王国貴族がまともな危機感を持っていると言っても、信じてもらえないかもしれないがね」

「はい」

「おい!」


 エルミスの肯定を、流石に失礼だと思った仙太郎は、それを注意する。しかし、仙太郎の言葉に苦笑を浮かべる子爵は、諦念の混じった声音で言う。


「いいのだ、トージョー殿。平原の遊牧民たちに危機意識の欠如を指摘されれば、我々王国はぐうの音もでない。それに、気遣いも無用だ。我等が王国は、平原の遊牧民とは対等な同盟関係にある。族長殿の令嬢であるエルミス殿とその伴侶となれば、王国の貴族と同等と見做すべきだ」

「そ、そうなんですか?」


 いくら同等と言われても、気後れして敬語から入る仙太郎。そして、それは正解である。

 いかに貴族と同等といっても、族長の娘の夫、という地位がどの辺りに位置するのかは不明瞭である。もし、上級貴族の末端である子爵に対して対等な物言いをすれば、流石にエルミスも止めに入っただろう。

 とはいえ、子爵からしても目の前の二人をどう扱っていいのか、測りかねているのだが……。

 平原の遊牧民は、今現在は三つの部族が存在しているという。つまり、三人の族長がおり、その元には当然子息令息がおり、その伴侶までいるのかもしれない。まして、子爵が念押しした事からもわかるように、仙太郎はそこから嫁を取っただけの、いわば他家。遊牧民との繋がりは深くとも、遊牧民の一族ではないという事だ。

 エルミスにしても、他家に嫁いだ以上は遊牧民族長の娘という肩書きは、仮のものと見做さざるを得ない。王国社会の認識では、今一番彼女の身分を表すのに的確な言葉は、センタロウ・トージョーの嫁という身分だ。つまり、二人は今、限りなく平民に近い身分ともいえる。


「王国貴族は、平原の遊牧民に対して、少々隔意がある。否、恐怖していると言ってもいいな」


 しかし、だからといってエルミスや仙太郎を平民として扱うつもりは、子爵にはない。なにより、あの遊牧民の縁者を、今ここで粗略に扱った事が知れれば、子爵の政治的な立ち位置も危ぶまれる。


「へぇ、そうなんですか……。なんだって、あんな気さくな連中を、そこまで恐がるんですか?」


 やや礼を失している仙太郎の言葉に気分を害するでもなく、子爵はその彫りの深い渋めの顔を歪めて苦笑する。どうやら彼は、王国と帝国の間に位置する、平原の歴史を知らないらしい。

 つい十四年前、その歴史には新たな一頁が刻まれ、未だ王国にも帝国にも深い傷跡が残っている。その割を食っている子爵からしてみれば、仙太郎の呑気な認識はある意味羨ましくもあり、また少々憎らしくも思えた。

 こうして、平原の使者である仙太郎とエルミスが、下にも置かない対応をされているのも、そういった経緯があったがゆえなのだから。


「貴殿が、彼等に対して持っている印象と、多くの王国貴族が持っている印象は、まったく別物なのだよ。詳しくは細君に聞いてくれ。さて、碌な持てなしもできなくてすまないが、私は領軍の指揮をとらねばならない。早々にこの場を辞す無礼を許してくれ。希望なら、食事を用意するが?」

「ご高配痛み入りますが、我等もお暇させていただきとう存じます。子爵領の為、皆様お忙しいかと思われますので、お邪魔するは我等の本意ではございません」

「そうか? 妻に応対を任せる事にはなるが、ご遠慮は無用だぞ?」

「いえいえ。我等はこれから平原へと取って返し、一族に異変を伝えねばなりませんので……」

「なんと! まだ一族の方々にはお伝えしておらなんだか! ならば、引き止めは無用であるな。改めて、王国臣民の一人として、感謝を申し上げる。族長殿にも、よろしく伝えて欲しい」

「はい、必ず伝えさせていただきます。では、御前失礼させていただきます」

「し、失礼します」


 優雅に頭を垂れるエルミスに、おっかなびっくり追従して頭を下げる仙太郎。二人が応接室を出ていったのを見送ったベルク子爵は、長く深いため息を吐くと、確認するように呟いた。


「……あれが、平原の遊牧民か……」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ