アルテとノア
「なぁアルテ、この島沈むって聞いたか⁈」
「あのね、ノア。何回も言うけどまずノックを…」
バタバタといつも通りノックもせず、ノアがアルテの部屋に駆け込んできた。
いつもの事なのだが、一応注意をしようとしたら「そんなんどうでもよくて!」と間髪入れず遮られる。
年頃の女子の部屋への無断侵入がどうでもいいとはなんだ、とちょっとムッとしたけれど、どうせノアのことだ。
言ったところで直らないだろうし。
諦めて読んでいた本を机に置き、後ろに椅子をくるりと回すと、ノアはとっくにアルテのベッドに腰かけていた。ここはお前の家か。
「はー……まぁいいや。沈むって海面上昇で、でしょ?聞いたわよ、3日前に。」
「3日前⁈俺さっき知ったんだけど!」
ノアが「嘘だろ…」と頭を抱えて落ち込んでいるが、私には分かる。
多分こいつに知られるとこうやって騒いでうるさいから、皆言わなかったんだろうと。
「まぁ、最近大人たちも海がおかしいって騒いでたし…。私も海になんか違和感あったから、やっぱりって感じね。」
アルテと同様の違和感は、目の前のアホ(ノア)以外の島の子供なら気付いていたはずだ。
渦の影響がない海域で、子供達が飛び込み用として使って遊んでいた岩、その岩の海上に出ている部分がだんだん少なくなっていた事に。
「違和感…。あのさ、大人達がこの島は10年持つかどうかだって話してたけどホントなのか?」
「うーん……確定ではないけど、水位の上がり方から見てそれに近い時期に沈むとは言われてるわね。でもあくまで予測だからこの先急速に上昇するかもしれないし、しなくて長く持つかもしれない。
皆は後者を願ってるけど……私は10年って見立てが正しいって考えてる。」
「なんで?」
「あんまりはっきりした根拠はないわ。でも沿岸部ぐるっと見てみたんだけど、明らかに海に飲み込まれて島の形状が変化してるし、水位の上昇も一定。
きっとこれが都合よく止まるなんてことない、と思うの。」
「……なるほど。俺、全然気付かなかった。」
「無理もないわよ。島が沈むなんて、普通、考えもしないし。今回だって、漁場の岩が完全に水没してから皆気づいたんだから。」
「ふーん……。それにしてもお前、なんか冷静だな。怖くねぇの?島沈んだら俺らも確実に死ぬだろ。
気が早い奴はもう『死にたくない』って泣きわめいてたぜ。」
ふんふんと話を聞いていたノアは、アルテが異常に落ち着いているのを不思議に思ったのか、じっとこちらを見つめる。
その視線がまっすぐ過ぎて、なんだか居心地が悪い。
「なんて言うんだろ…今は怖いって言うか、実感がわかないって感じかな。第一島がなくなるなんて考えたこともなかったし……。」
半分は事実で半分嘘だ。
本当はかなり不安だし怖さもあるけれど、ちょっと見栄を張っている。
アルテ的にはその見栄を悟られないよう平然と回答したはずなのだが、ノアは何かを観察するようにこちらを見つめ続けていて、嘘を見抜かれている気がした。
内心冷や汗をかきつつ、いい加減アルテがその視線に耐えきれなくなって「何?」と言いかけたところで、
「俺はすごく怖い。」
ノアはハッキリそう言い切った。
思わず目を見張る。
男は強くあれ、という家訓の元育てられてきたノアからはなかなか出ない、弱気の言葉。めずらしい。
でも、こいつはアルテと違ってどんな時も正直で、まず嘘をつくことがないから、きっと本心で言っているはずだ。
「ノア、怖いの?」
どうして?と問う。その問いに「うーん」と唸ってからノアが言葉を続けた。
「だって島が沈んで海に飲み込まれたら、島のみんな全員死ぬだろ。父さん、母さんだって。
…あと、お前が死ぬのは、絶対嫌だ。」
さっき怖いとハッキリ言い切った態度とはうって変わってぼそぼそとそう言うと、ノアは恥ずかしそうに目をそむけた。
アルテと同じ金茶の髪が、顔の動きに合わせてさらりと揺れる。
一番最後、まさか自分が出てくるとは思わなくてとっさのことに硬直した。
私が死ぬのは絶対嫌…?いや、そりゃ私も死にたくないけど、ってそこじゃない。そこじゃなくて…。
しばらく間を置き、何回も言葉を反芻しているうちに顔が熱くなってきて、少し焦る。
何コレ。なんで私ちょっと照れてんの。……いやいや、だって普段こいつこんな事言わないから!落ち着いて自分、クールダウン、クールダウン。
「へ、へー……ノアも私が死んだら、ちょっとは寂しいと思ってくれるわけ。」
このよく分からない空気をなんとかしようと、茶化すようにふざけてした質問だったのに、
「――うん、寂しい。」
ノアから返ってきたのは真面目な顔とすばやい返答だった。
また不意をつかれた。
てっきり「何言ってんだお前」とかいう返しを想定していたから、思わず動揺して、ついていた頬杖が外れそうになったのを必死で修正する。
重ねがさねどうした、ノア。っていうか島が沈むっていう話だったよね、いやこれもその話の延長っちゃ延長?
さっきから普段とは違う言動をぶちこんでくるから、アルテとしては落ち着かないし、コイツ変なものでも食べたのか、それとも熱があるのか、……正気か?と心配になってきた。
「もしかしてあんた熱でも…」
「だって、ずっと一緒にいたし、今更お前がいないとか考えられない。」
ノアの額に手を伸ばして熱を計ろうとしたが、それを避けてノアが発したのはそんな言葉だった。
ここだけ聞くとなんかちょっと告白みたいだけど、コイツに限ってそれはない。裏、言葉の裏を読め。自分。
さっきの言葉はノアのお父さん、お母さんの流れから私に来たから……そうか、『ずっと一緒にいた=家族』ね!
「なるほど、そういうこと!そうね、まぁ姉弟みたいに育ってきたもんね、私達。」
「姉弟て、ちょっ、なんでそんな」
「そりゃ家族がいなくなるってなったら寂しいわ、うん。私もあんたいなくなるの絶対嫌だし。」
「お前、自分の中だけで自己完結するクセ、直せよいい加減……」
そうかなるほど、家族的な意味合いでの寂しいだったのね、そうだよね、ノアが言う事だもん。
いや~焦った自分がバカみたいだったわ。
うんうん納得、というように頷くアルテをじっとりと横目で見て、
「っていうか、さっきの聞いてそういう意味にとるか?普通。」
と、ふてくされるようにぽそりと呟いたノアの言葉は、どうやら彼女の耳まで届かなかったらしい。
この際「姉弟みたいに思ったことは一度もない」と言ってやろうか葛藤するノアの目の前では、余韻で頬を赤くしたアルテが未だにひたすらうんうんと頷いていて、その姿に何となく力が抜けた。
「あー……うん、まぁ、まだいいや。16になったらって決めてるしな…。」
今更焦ることはない。親同士の勝手な約束でも、有効は有効。
おまけに色々手はまわしてあるから、アルテにちょっかいかける奴もいないだろうし。
頭の中で冷静にそろばんをはじいて「よしよし」と呟く。
能天気なようでいて、策士なノアの一面をアルテはきっとまだ知らない。




