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ストレンジャーズ・ソウル

どんな夢もいつかは終わるの

作者: 吉語緒月




ずっと、現実ではないと感じていた。長い夢を見ているように思っていた。

長い間走り続けて足が痛んでも、掴まれた手首が痛くても、胸が張り裂けそうなくらい心臓が騒いでも。

どこか、現実と切り離して思考していたわたしの精神は、人が思っているより、母さんが思ってるより、ずっと、ずっと弱い。


「人を救うのが貴女の仕事よ」

母さんは微笑みながらわたしの頭を撫でた。

「じゃあなんで、わたしたちは人から逃げているの?」

母さんはわたしを無言で抱きしめた。母さんの身体は薄くなって、固くなっていた。少しだけ感じるあたたかさが、わたしに生きていると伝えているように思った。

「あの人たちは、駄目」

「......そっか」

泣きそうな顔をして母さんはわたしを見る。顔色はあまり良くないけれど、目には強い光があった。

わたしには、逃げているという実感がない。何で母さんがそんな必死に逃れようとしているのかが分からない。

「シャロン、何があっても、諦めちゃ駄目よ」

「......うん」

どうやっても夢のようで。わたしは夢から醒める事を諦めていた。


目が覚めた。目に太陽の光が突き刺さる。母さんはいない。とっくの昔にいなくなった。

窓から太陽の光が入って来ている。光に照らされる部屋にはまだ馴れない。さわさわと草木が揺れる音がする。

窓の外を見ると、黒い髪に白い斑が混じった頭のシアンがいる。家の近くに枝を伸ばす大樹の根本にしゃがみ込んでいた。それは、わたしと彼が村に来てから毎日行っている儀式だ。

シアンのおばあさんが、そこには眠っているらしい。だけど、ただ墓参りをしているにしては、彼はなんの感傷も顔に浮かべないし、神に祈っているようだった。

シアンが立ち上がって、裾を払った。顔を上げた彼と目が合う。

「シャロン、やっと起きたか」

「うん」

少し呆れた様な顔をしてシアンが言う。初めて会った時より、シアンは表情が豊かになった。それと、少し顔色が悪くなった。

「シャロン?」

「......シアン、わたしの仕事ってなんだと思う?」

「なぜそんな事を聞く?」

「質問を質問で返さないでよ......」

シアンはうーん、と腕を組んで空を仰いだ。考えている時の彼の癖だ。まるでそこに答えがあるかのように、彼は空を見る。

「長くなるがそれでもいいか」

「......そういうさあ、マジの仕事じゃなくてさあ。なんだろ、どう言えばいいかな」

シアンはクッと口元だけで笑った。

「知ってる」

「シアン、その何でも分かってるっていう感じやめてよ。むかつくから」

「そら悪かったな」

グシャグシャとシアンがわたしの頭をかき混ぜるように撫でる。

子ども扱いが気に入らなくて、口を尖らせる。シアンは鼻で笑ってデコピンをかましてきた。

「ちょっと出てくるから」

「うん」

シアンが片手を上げて背を向けた。少しずつ、小さくなる。わたしはギュッと胸から下げたお守りを右手で握りしめた。シアンから貰ったお守り。今も役目を果たしているのかは、よくわからない。右手にある花の印が少しだけ熱を持った。

大丈夫、シアンはちゃんと帰ってくる。

ざあっと強い風が吹いて、思わず目を瞑った。

「そう、あの子は貴女のところへ戻ってくる。当然よ、そうしたのは貴女なのだから」

「誰、ですか」

驚いて目を開けると、目の前に女の人が一人立っていた。赤い花を耳にかけている。一体いつ、ここに来たのか。突然現れた女の人に心臓の辺りが冷たくなる。

「リコルよ。貴女は、シャロンね」

「そうですけど......」

紫色の瞳がキラリと光る。この目は、シアンに似ている。全部お見通しという目。じわじわと苦いような、妙な感覚が胸に広がる。

ザァアアと、風が吹いて、部屋の中に葉が入りこんでくる。

「立派な魂ねえ」

「貴女、何なんですか」

「少なくとも悪魔や天使ではないわ。それは分かるでしょ?」

「......」

妙に、腹立たしい。色も、雰囲気もシアンに似ているのに。シアンにはこんなに腹は立たない。いや、似ているからこそ腹が立つのか。

「わたしはね、シアンの事が心配なのよ。あ、貴女の事も心配しているわよ?」

この女性はシアンの知り合いなのか。ついでのように心配されたが、それはどうでもいい。

「不安定なのよね、とても」

女性は空を仰いだ。それは、シアンの考えている時の癖で、

「シャロン? まだそこにいたのか」

「......っシアン」

シアンの声で我に返った。心臓がバクバクいっている。落ち着かない。

女性はいつの間にやら姿を消していた。夢を見ていたようだった。

「体調でも悪いのですか?」

シアンの後ろからぬっと現れたのは村の神父で、ハロルドという。髪も目も服も真っ黒で、神父ではあるが闇の中から現れたような人だ。

「いや、大丈夫......迷惑な人が来て」

「迷惑ねえ?」

シアンとハロルドさんが顔を見合わせる。ハロルドさんの背が高いお陰でシアンが見上げる形になっている。

「ハロルドさん、心当たりある?」

「いいえ、全く」

村に来て驚いた事は、シアンでも敬称をつける大人がいた事だ。初めて見た時はしばらく固まってしまった。あの傍若無人の塊で一匹狼のシアンが。

シアン曰く、神父様と呼ぶのは絶対嫌だし、ただ神父と呼ぶのもなんか嫌だから、ハロルドさん、で落ち着いたらしい。

「シャロン様、その方はどのような方だったのですか」

ハロルドさんはわたしの事をシャロン様、と呼ぶ。本当はやめて欲しいのだが、いくら言ってもやめてくれない。

「......すごい変な人」

「変、というとこのシアンだって充分変な人ですよ」

「それはそうなんだけど」

「俺が変人ならお前はクソがつくくらいの変人だし、ハロルドさんはネジが数本とんでる変人だわ」

「失敬ですよ、シアン。女性にクソなんて言うんじゃありません」

「そこですか」

わたしが変人だと言われるのはとてつもなく心外だが、ハロルドさんが変人、いや、少し変わっているというのは本当だと思う。

ハロルドさんは神父で、身なりも綺麗だ。見た目だけは真面目で、まともな人に見える。本当に、見た目だけ。その中身は天然で、神父らしい真面目さはない。聖書を水溜まりに落としても平然としているし、小さな十字架をダーツのようにして虫を仕留めているのを見た事がある。彼の口からは信仰心のある言葉なんて欠片も出てこない。

「ハロルドさんは、どうしたの?」

「いえ、ただ貴女の顔を見ておきたかっただけですよ」

にこり、と黒い目が細められる。口説き文句のようにも聞こえるが、彼にそんな気はないし、わたしもそんな気はしない。

心の底から、心配しているようなのだ、わたしの事を。ハロルドさんとわたしは付き合いが長い訳ではない。村に来て、初めて会った人なのだから。

ただ、彼の顔を見る度に、思い出す人がいる。遠い昔に、死んでしまった人だけれど。兄のような人だった。何度見ても、ハロルドさんとは言うほど似てないのに、何故思い出すのか。不思議だった。

「あ、そうだ。ハロルドさん、ちょっと待ってて」

シアンが家に入る。カタン、と小さな音がして、シアンはすぐに外に出てきた。

「これあげる」

「これは?」

手渡された物に、ハロルドさんは首を傾げる。

それは、お酒でも入っていそうな細長い瓶だった。光に照らされて、深い紫色が見える。

「お酒だよ」

「えっそれ渡していいの? ハロルドさん、一応神父だよ?」

「一応ではなく、神父ですよ、シャロン様......」

ハロルドさんは肩を落とした。だが乾いた笑いを浮かべていたので、その位の余裕はあるらしい。

「でもそれは間違っても飲まないで。うーんと」

わたしとハロルドさんはシアンの言葉を待つ。シアンは言葉を探して、空を見上げていた。シアンの黒と白が混じった前髪が、風に揉まれている。

「魔よけ? 厄介事よけ? みたいな。とにかく礼拝堂に置いといて。勿論見つかんないようにね」

「教会に魔よけって、必要なの?」

シアンの紫色の瞳がわたしに向けられる。瓶のものとは違う紫色。

「そもそも教会には聖なる力なんてものないぞ。悪魔があまり来ないのは興味がないから」

「そうですね、教会に聖なる力は宿っていません。天使だってそんな力は持っていませんよ。せいぜいが結界を張るくらいです」

ハロルドさんが、自分の胸元に下げられた十字架を握る。キラリと金色が光った。

「いわゆる聖なる力というものを持っているのは、天使たちが仕えている主だけなんです。十字架は主の象徴ですね」

「ちなみに、悪魔も元々はその主に仕えていたんだぜ。飽きて自由に生きる事にしたらしいけど」

「へ、へえ」

ハロルドさんは分かるけれど、シアンがやけに詳しいのが気になる。しかし、教会の神父がこんな事言ってもいいのだろうか。

「ああ、でも、人々の祈りが積み重なって、悪魔が全く寄り付かないという教会もありますよ。念みたいな雑音を感じて不愉快らしいです。天使も寄り付きませんけどね」

やれやれ、というようにハロルドさんが首を振った。口元はニヤッと笑っていた。

「それにしてもシアン、何故こんなものを?」

「......なんとなく?」

「そうですか。なんだか貴方、予知能力でもあるみたいですね」

じっと黒曜石の瞳がシアンを見る。

そう、シアンはいつも少し先を見ている。それで何があっても良いように手を打っている。

「そんなものはない。なんとなく、なんとなく......いや〜な予感がするというか? あ、これ予知か?」

シアンは腕を組んでうんうん唸っている。言っている事は適当なのに、妙に様になって見える。

「どうしたらいいか分かるんだ。頭の中に、うかんできて」

トントン、とシアンが頭を人差し指で叩く。

わたしは、シアンの言葉になんとも言えない気持ちになる。胸が詰まったような、苦しい気持ち。風と、風に揺られた草木の音が遠くなる。多分、シアンのそれは、

「シャロン、おい、シャロン?」

シアンに心配そうな顔で声をかけられ、ハッとする。ハロルドさんはもういなかった。

「やっぱり体調悪いのか?」

「......いや、大丈夫だよ」

シアンは怪訝な顔をしていたが、わたしの性格を知っている彼は、黙って引き下がった。

右手の赤い花がドクドクと脈打っているように感じた。




その日は朝から、なんだか胸騒ぎがしていた。落ち着かなくて、そわそわと村中を歩き回る。シアンも何か思うところがあるのか、わたしには何も言わなかった。

「誰か! 来てくれ、悪魔が出たんだ!!」

陽も高く上がった頃、男の声が村に響いた。

「どこに出たの!?」

「うっえっが、崖の方だ......。揺らさないでくれ......」

「あ、ああ、ごめんなさい」

思わず、男の肩を掴んで揺らしてしまっていた。

崖の方、赤い花が沢山咲いているところだ。何回も行っている訳ではないが、場所はなんとなくわかる。辿り着ける筈だ、多分。

「まさかあんた、行くつもりか? て、おい!!」

後ろから男の声が聞こえたが、無視して走り出した。行って何ができるかは分からない。むしろ行っても何もできないかもしれない。だけど、行かなくてはいけない気がした。

道はやっぱりちゃんと覚えていなくて、なんとなくこの方向だと思う方に走っていた。見覚えがあるような無いようなところを走って、木々の隙間から、少し離れたところで黒いものが空に上がっているのが見えた。

黒いものを目印に、わたしはまた走った。見上げながら走った所為で、何度か転びかけ、擦り傷が沢山できた。近づくにつれて、誰かが戦っているような音が聞こえてきた。発砲音も聞こえる。

徐々に光が見えてきて、わたしは走った勢いのまま飛び出した。

木々が密集して生えていると光は案外遮断されているもので。飛び出して数秒は眩しくて目が痛かった。少しマシになって、わたしの目に倒れている人が写った。彼の流した血の色と、近くに咲く赤い花の色が、やけに鮮やかに見えた。

倒れたまま、微動だにしていないから、気を失っているのか。はたまた、もう冷たくなってしまっているのか。

「おや、また獲物が増えた」

いつの間にか、目の前に男がいた。二本の角を生やした悪魔だ。逆光で余計黒く見える。

悪魔は口が裂けているのではないかと思えるくらいの笑みを浮かべ、わたしに爪を振り下ろそうとした。やけにゆっくりに思えた。

「お前の相手は俺だろ、クソ悪魔」

ガツンッと音がなった。悪魔が少しよろける。

悪魔の後ろにはシアンが立っていて、彼が人間の範疇を超えた力でぶん殴ったのだろう。そのまま、シアンはパンッと銃で悪魔を撃った。悪魔は塵になった。

シアンは銃を仕舞い込みながら言った。

「シャロン、お前は村へ戻れ。あいつは俺が運ぶ」

「シアン......あの人は死んじゃっているの?」

わたしは倒れている男の人を指す。

「まだ、死んではいないようだ。だけど、もう助からないだろ、あんな状態じゃあ」

「わたし......わたしなら、なんとかできるよ」

「何をするつもりだ? おい」

シアンの制止を無視して、男の人の方へ歩いていく。人を助けるのがわたしの仕事、のはずだから。

男の人のすぐ側でしゃがみ込む。肩から腹にかけて、深く切られている。悪魔の爪によるものだろう。出血も酷い。

「シャロン......?」

手に力を込めて、傷口に近づける。周囲から淡い光が集まり出し、それは段々と、強い一つの光となった。その光に照らされ、傷が徐々に塞がっていく。

「なるほど......お前が聖女と呼ばれていた理由が分かったよ」

光が収まって、シアンがポツリと呟いた。驚いた、というよりは納得した、という顔をしていた。

「どちらにしろ、そいつは俺が運んで行く。シャロン、動けるか?」

「うん、大丈夫。自分の生命力をわけるとか、そういうやつじゃないから」

男の人は目を覚まさなかった。シアンが肩に担ぎ上げる。

「どこに連れていくの?」

「教会に」

シアンの顔は険しかった。


シアンが少々乱暴に教会のドアを開けた。掃除をしていたらしいハロルドさんが、ムッとした顔で振り返った。

「シアン、もっと優しくして下さい。この教会もわたしも、若くないんです......から......」

しかし、その語尾は萎んでしまう。ハロルドさんは、シアンが担いでいる男の人を注視していた。

「悪魔にやられましたか」

「ああ。横にさせてやりたいんだけど。空いてる?」

「空いてますよ。こちらです」

礼拝堂から、脇のドアを通って出ていく。ドアを通る時、キラリと深い紫の光が見えた気がした。

一つの部屋に入り、シアンが男の人を寝かせた。まだ、目を覚まさない。

「それにしても、珍しいですね。こんなに綺麗なのは」

一つ息をはいて、ハロルドさんが言った。

「え?」

「ああ、この人が美形だとか、そういう話ではありませんよ。傷がなかったので」

それはそのはずだ。傷は、わたしが治したから。

「悪魔はしなくてもいいのに殺してから魂を食べますからね。綺麗な遺体は初めて見たかもしれません。......シャロン様?」

すうっと息が苦しくなった。

「遺体?」

「ええ、この方は亡くなってますよ。魂がほぼ消え去ってます」

愕然とした。なんで、どうして。傷は治したのに。手の震えが止まらない。

「わ、わたし、ちょっと外に出てきます......」

「...........」

シアンが何か言いたげな顔でわたしを見ていたのがチラリと見えた。


ふらふらと歩いて、気がつけばわたしは、家の近くに生えている木の側に立っていた。シアンの、おばあさんが眠っている木の側。

「何かやらかしちゃったのかしら。随分としょげてるわね」

「......貴女は」

ふわり、と女の人--リコルといったか、彼女が微笑みながら浮いていた。なんとなく予想はしていたが、人間ではないらしい。

「まあ、あまり気にしないことね。人が死ぬのは決まってることだから」

「でも......」

わたしは強く拳を握った。まだ少し、手が震えている。

「でも、わたしには......わたしの仕事は人を助けることで」

「そんなの、貴女が勝手に決めたことでしょう」

「え......」

リコルは、人を馬鹿にしているような微笑みを引っ込め、わたしを見ていた。シアンと同じ、紫水晶がわたしを写す。

「そもそも助けるってところが曖昧よね。傷を治してあげることだけが助けるってことじゃないわよ。ああそれと」

リコルの指先が、わたしの額に触る。ひんやりとした冷気だけが伝わってきた。

「わたし、貴女の仕事が人を救うことだとは思わないわ」

「え......」

不思議と、母の言葉を否定されたことに怒りは覚えなかった。それよりも、疑問の方が先に立った。

「なんで、そのことを知っているの......?」

リコルは、ふっと笑うと、ふわふわ浮かんでいって、木の上の方で止まった。ざわざわと、風が木の葉を揺らしている。

「わたしは魂だけの状態でここにいるのよ」

「え、でも......肉体という器がなければ、魂はどんどんすり減っていって、消えてしまうはずじゃあ」

リコルは今度はふわりと降りてきて、地面に立った。

「わたしはこの場所に縛られているの。......そうさせたのはわたしだけど」

そっと、リコルが木の幹を撫でる。それから少し目を閉じて、彼女はわたしを見た。

「とにかく、思念体なわたしは、貴女の夢なんて簡単に見れる......というか、流れ込んでくるのよ。シアンはそもそも眠らないから関係ないし」

「そ、そうなんだ......」

なんと言えばいいか分からなくて、曖昧に返してしまう。リコルの目がキラリと光った。

「信じてない? まあ別に信じなくてもいいわよ。わたしという存在が、不可解な存在ということで貴女の記憶に残るだけだから」

正直、説明されてもリコルの存在は不可解だ。あまり分かり合える気もしない。

一際、強い風が吹いた。思わず目を瞑ってしまう。さわさわと耳元で音がする。目を開けたら、リコルはいなくなっていた。

「なんなんだろ......」

「シャロン」

呼ばれて振り返ると、シアンが立っていた。わたしの顔を見ると、シアンはひょいと片眉を上げ、少し笑った。

「何さ」

「いいや、てっきり、思いっきりしょぼくれているのかと思ったら、そうでもなかったから」

「誰かさんのお陰でね.....」

わたしが肩を落として、半笑いで言うと、シアンは不思議そうな顔をしていた。

「? 誰?」

「いや......」

なんて説明をしようか、いや、そもそも説明する必要があるのか。

「もしかして、リコルばあちゃんにでも会ったか?」

「えっなんで分かったの?」

「場所的に」

確かに、シアンがばあちゃんの墓だ、と自己申告した場所だ。さわさわさわ、と風が吹いて、どこからか花びらが飛んできた。

「......ていうかやたらシアンと似てるな〜って思ってたらそういう......」

「そんなに似てるか?」

シアンが顎に手を当てて、首を傾げる。

「雰囲気とか、目とか」

「ふうん......。そういえば、ハロルドさんから、リコルばあちゃんが若い姿だったって聞いたんだけど、どんな感じだったんだ?」

シアンはリコルの姿を見たことがないような口ぶりだった。だが、ハロルドさんは見たことがあるらしい。

「シアンは見たことないの?」

「ああ。姿を見せてくれない。魂の光が視えないシャロンの前には姿を現すんだな、ばあちゃん......」

シアンには魂の光が視えている。今思えば、あの男の人が、傷を治しても死んでしまうことが分かっていたのかもしれない。悪魔に、魂をほとんど食べられていたのが視えていたから。

「おばあさんってどんな人だったの?」

「ううん、物知りで、イタズラ好きで、俺をよくこき使ってたなあ」

「......なんか想像できる」

「やっぱり死んでも性格は治らねえな」

「それブーメランじゃない?」

シアンは笑いながら言っている。彼はとっくの昔に大切な人の死を受け入れている。わたしは、どうなのだろう。あまり思い出したくないというのが最もなところだ。

「あ、そうだ。さっきのことは気に病むなよ」

「うん......なんとかできるって言ったのに......できなくて、ごめん」

「魂を治せっていう方が無理な話だ。そもそも肉体の傷を治せる奴だってそうそういないのに」

シアンがわたしの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。シアンの指先は、少し冷たかった。




眩しさを感じて目を開けた。日差しは少し熱くて、葉の隙間から落ちる光は強い。木の幹に寄りかかって寝ていた所為か、背中が痛い。

「何でそんなところで寝ているんだ、お前は」

「あ〜なんとなく」

シアンが呆れた顔でこちらをのぞき込んでいた。

「精神統一でもしたら魂視えるようになるかな、って思って」

「そのまま寝たと」

「そうでーす」

空の青色が眩しい。雲の流れが早い。

シアンはため息をついた。

「そんな簡単に魂が視えるようになったら、死神がわんさかいるようになるな」

さく、とシアンが草を踏んで、わたしの隣に腰を下ろした。

「死神って......魂の管理を請け負ってるっていうアレ?」

「そう、そのアレ。人間だけど人間じゃないっていうのが俺が見た感想」

「へえ......」

シアンは、本当に多くのことを知っている。そんなところもリコルと似ていた。

「そういえば、ハロルドさんも魂が視えてるんだね」

「ん、ああ。そうだな」

「戦ってみたら、すごい強かったりするのかな」

「かなり強いと思うぜ」

何か含みを持ってシアンが言うので、じっと見つめてしまう。まさか、

「戦ったことはないけど」

先に言われて、なんだかホッとしてしまう。やはりシアンくらいの実力を持っていると、直感的な何かで力量も分かってしまうのだろうか。

「シャロン」

「なに」

ざあ、と風が吹いて、木陰がゆらゆらと揺れた。シアンのいるところが少し暗く見える。シアンの紫水晶が、まっすぐわたしを見ていた。

「魂が視えるようになっても、出来ることが増えるわけじゃないぞ」

「うん......」

「そんなに、気負うことはない。人の命なんてクソ重たいもの、お前が背負わなくてもいいんだ。......俺が言えた義理じゃないけど」

言ってから、シアンはよいせ、と立ち上がった。それから、わたしに手を差し出す。

シアンの顔を見上げると、シアンの紫の目はキラキラと輝いて見えた。にやっとシアンが笑って、わたしの手を取って、立ち上がらせた。

「うわっ」

「メシにしよう。今日は貰ったパンがあるぜ」

シアンがわたしの手を引いて歩きだす。やっぱりシアンの手はひんやりと冷たかった。

さく、さくと草を踏む。

「ねえ、シアン」

「どうした?」

シアンは前を見て歩いている。耳元を涼しい風が通り過ぎた。

「わたし......わたしは役に立ってる?」

シアンは、それでやっとわたしを振り返った。

「何故?」

「何か、何かやらなきゃいけないって、最近思うんだ。でも、わたしは......あの時、肝心な時に、結局助けられなかった。何もできないんだ」

少し、視界が滲んだ。堪えるように、ぎゅうと拳を握る。すると、少し、シアンに握られた手に圧が加わった。

「何もできない訳ないだろ」

「え?」

わたしは顔を上げた。顔を上げてから、自分の視線が下がっていたことに気がついた。

シアンはしょうがないなあ、というように、息を一つはいた。

「まず、お前は生きてる。生きるために必要なことはできる。傷を治せる。それから、俺を、死の淵から引っ張ってきてくれた」

シアンが笑った。あまり見ないレアな笑顔だ。もしかして、感謝、されているのだろうか。勝手に彼を生き返らせてしまったし、村に来てから一度もその話題には触れていなかったから、きっと怒っているのだろうと思っていた。それか、後悔をしているのかと思っていた。

「先に言っておくが、俺は生き返ったことは後悔していない。シャロンがいなくとも、どうせ身体だけは勝手に生き返っていただろう。生きていたいか、死んでいたいかと言われたら、そりゃ生きていたいと思うさ」

「でも......完全な蘇りじゃないよ? 結局人間として生き返ったわけじゃないんだ。身体が同じってだけで」

「いいんだよ、吸血鬼だかゾンビだか、人間じゃなくてもさ。生活も、まあ村を出る前に戻ったようなもんだし。シャロンは後悔してるのか?」

「......シアンが後悔してないなら、してない」

「なんだそりゃ」

シアンが呆れた顔で少し笑った。

「後悔のない選択を、なんて偉い奴らは格式ばって偉そうに言うだろ? でもそんなの無理な話だと思うんだよな。ていうか、後先ばっか気にするのは、シャロンらしくないと思う」

「......ふっ、何それ......そんなの、わたしがいつも後先考えずに行動してるみたいじゃん......」

「違うのか?」

ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてきて、喉が引きつって、声が上手く出せない。

わたしは、わたしという人間がよく分からなかった。聖女と呼ばれる自分は人の傷を癒し、救う存在で、完璧でいなければいけなかった。母さんと聖王国を逃げ出した後も、それは変わらなかった。

でも、母さんがいなくなって、シアンと出会って。わたしは聖女としていた時も、完璧ではなかったのだと思った。

聖女でない、ただのシャロンは完璧とは程遠い。どんな人間なのかよく分からない。でも、今のままではいけない、変わらなくてはいけないと思っていた。

ずっと、もやもやと心の底にわだかまっていた。考えていても気持ちが悪いから、見て見ぬ振りをしていた。

それが一気に吹き出してきて、ぐるぐると考えていたけれど、シアンは簡単に吹き飛ばしてしまった。それに、言外にそのままでもいいと、言ってくれた、そんな気がした。

涙をふいて、ズビと少し鼻をすすって、顔を上げた。

「シアン」

「今度はなんだ」

「ありがとう。シアンは優しいな」

「......そうでもないさ。まあ、元気になったならいいよ」

ぽんぽん、とシアンがわたしの頭を軽く撫でた。いつもの、子どもにするみたいな撫で方と少し違っていて。シアンを見ると、彼はスッと前を向いていた。

「あれ、シアン、照れてる? ね、照れてる?」

「......うるせ。あっ」

「んえ?」

シアンが焦ったような顔で振り向いた。そのままじっとわたしの顔を見る。そんなにまじまじ見られると、流石に、恥ずかしい。

「シャロン泣かせたってハロルドさんにバレたら殺されるかもしれない......」

「ええ?」

いや、でも俺何も悪いこと言ってないし、とシアンがブツブツ呟く。

「シャロン、目元冷やそう。もうこするなよ」

「え、う、うん」

シアンがぎゅっとわたしの手を引いて、歩いていった。シアンの手は、わたしの熱が移ったのかもしれないけれど、ぽかぽかと温かかく感じた。




雷が鳴った。大きな音に驚いて、わたしは本から顔を上げる。先ほどまでは明るく部屋を照らしていた陽が、少し陰っている。青い空を覆い隠すように広がってくる黒い雲が、なんだか不吉に見えた。

ふと、窓の外を見ると、シアンが花やら草やら何やらを詰め込んだ籠を持って、黒い雲を見上げていた。

「シアン!」

わたしの声に反応して、シアンがこちらを見る。

「一雨くるかなあ!?」

「あぁ、それもかなり面倒なのがくるぞ! シャロン、教会に行け! 早く!」

「え、う、うん! 分かった!」

シアンの表情から察するに、雨が面倒だというのではないことは分かる。

お守りを握りしめて、わたしは走り出した。

また、悪魔でも来たのだろうか。

少し冷たい風が首筋を撫でていって、ぶるりと身震いした。カサカサと足に草がこすれる。

木々の間から教会が見えてきた。ぽたりとわたしの頬に水滴が落ちてくる。

教会に入ろうとした時、ガチャガチャと、金属がこすれる音が聞こえた。まるで、鎧を身につけた人間が歩いてきているような。それも、たくさん。まさか。

わたしは急いで教会に入った。ハロルドさんが、いつものように迎えてくれるかと思いきや、教会の中には誰もいなかった。

心臓がバクバクいっている。外から、鎧の音と、話し声が近づいてくる。隠れなくては。

パイプオルガンの前の、主祭壇に身を隠す。壁はひどく頼りなかった。

やがて、扉が開けられる。鎧の音はしない。

「......? 誰かいるのですか?」

ハロルドさんだ。主祭壇の下から顔をだす。

「ハロルドさん......」

「シャロン様? 何故こちらに......」

「シアンに言われて」

「シアンに?」

ハロルドさんは顎に手を当てて、シアンの意図を考えているようだった。

「厄介事よけ、ということですかね......イマイチです。......いけない、隠れてください」

ハロルドさんは今しがた、彼自身が入ってきた扉を振り返った。わたしは大人しく頭を下げる。

ガチャガチャとうるさい鎧の音が、少し止んだ。それから、ドンと大きな音がした。

「なんですか、騒々しい。先に言っておきますが、ここは聖騎士に雨やどりさせる場所ではありませんよ」

「......聖女はどこだ」

「はて? 聖女様? 聖王国にいるのでは?」

聖女という単語を聞いて、一度落ち着いた心臓が、また騒ぎ出した。やっぱり、まだわたしを探しているのか。

「とぼけるな! 我々は帝都まで聖女を追ったのだ」

「はあ」

「聖女が帝都にいた際に、共にいた男がこの村にいるだろう」

「知りませんねえ」

聖騎士たちが声を荒らげても、低い声で詰問しても、ハロルドさんはどこ吹く風で、今にもあくびでもしそうだった。

「貴様......!」

「待て」

頭が沸騰しきった聖騎士の一人が、ハロルドさんに掴みかかろうとしたようだが、冷静な声がそれを止めた。

「オルバ様......ですがっ」

「こいつは性格は歪みきっているが、聖職者だ。我々聖騎士が手を出すわけにもいくまい。それに」

「それに?」

「わたしは彼女を天使などに引き渡すつもりはない」

しばし、沈黙が流れた。オルバというこの聖騎士は、わたしを天使に引き渡すつもりはないと言う。ならば、何故わたしを執拗に探しているのか。ハロルドさんも同じようなことを考えているのか、しばし返答ができないようだった。

「知らぬというならそれでいい。邪魔したな」

「オルバ様!」

「引き上げる」

不満そうな声を黙殺して、オルバは外へ出ていった。ガチャガチャと鎧の音も追いかけていく。

教会の中が静かになって、ザァアアという雨の音が聞こえてきた。いつの間にか、大降りになっていたらしい。

わたしは、思いっきり息を吐き出した。何だかよく分からないが、どうにかなったらしい。

大きな雷が落ちた。かなり大きな音が近くでした。

「ハロルドさん」

「! シャロン様! 早くそこから逃げて下さい!」

「え?」

また雷が鳴る。光に照らされて、わたしではない、大きな影ができた。ガシャン、パラパラパラとステンドグラスが割れて、風と雨が吹き込んでくる。

振り返って見上げると、大きな悪魔が宙に浮いていた。大きな黒い身体が、ところどころ青白く光っている。帯電しているようだ。

近い。悪魔がバリバリと青白く光る手を振り上げた。

「シャロン様!」

ヒュンッと何かが飛んできて、悪魔の胸に刺さった。少し怯んだが、それでも悪魔は止まらない。このまま、死んでしまうのか。

「死なせるか、よ!」

悪魔の後ろから教会に飛び込んできたシアンが、悪魔を横に蹴り飛ばした。グシャアッと音がして、教会の壁が壊れた。

「シアン......」

「あん?」

シアンはドカドカと銃を撃ち込んで、最後に何か、丸いものを投げ込んだ。直後に、眩い光が炸裂して、光が収まった頃には、悪魔は消え失せていた。

「タイミング良すぎじゃない......?」

「ま、主様のピンチくらい分かるさ」

シアンが左手を掲げる。そこには、わたしの右手にあるものと同じ、赤い花の紋章があった。わたしと彼の、契約の紋章。

「シアン......どのへんが厄介事よけだったんですか......厄介事ばっかでしたよ。教会壊れましたし」

「教会の為じゃなくてシャロンの為のものだったからな」

「はあ......まあいいでしょう。シャロン様は聖騎士どもに見つからず、無事ですし。教会は壊れましたが」

どことなく疲れた顔のハロルドさんが、深く息を吐いて言う。シアンはまったく悪びれない。

「種明かしをするとな、ハロルドさんに渡した酒瓶、あっただろ?」

「あ、うん。もしかして、いつものおまじない的な?」

「そうそう。聖騎士の連中を騙せたな」

シアンはケケケ、と意地の悪い笑顔を浮かべていた。そういえば、嫌いだとかなんとか言っていた気がする。

「で、ハロルドさんはなんでそんなへこんでるの」

「わたし、シャロン様に、剣を握っているところを見られたくありませんでした......」

シアンは心底不思議だというふうに、目を剥いた。

「なんで」

「怖がられてしまうでしょう?」

「......子どもにあんなクソ重たいゲンコツ食らわせておいてそれ言う?」

「あれは貴方たちが悪いのですよ」

あの時は悪魔の方に目がいっていて、正直ハロルドさんの方は見ていなかった。そんなに怖い顔をしていたのだろうか。ちょっと見てみたいかもしれない。

ふと、吹き込んでくる風と雨が止んでいることに気がついた。少し弱いが、光が教会の中に差し込んできている。

「雨も止んだし、帰ろう。シャロン」

「うん」

「シアンは残って。一緒に片付けましょう。シャロン様、お気をつけて」

「ですよね〜」

前半はシアンに威圧的な笑顔で、後半はわたしにいつもの笑顔で。

わたしは笑顔で手を振って、教会を出た。

空を見上げると、まだ少し黒い雲が残っているが、澄んだ青い色が見えた。

わたしは、また何もできなかった。だけど、前のような焦燥感はあまりない。

何かは、まだ分からないけれど、わたしにもできることが、あるんだ。

聖騎士オルバの、聖女のわたしを天使に引き渡すつもりはないという言葉が、頭の片隅に引っかかっていた。

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