その二
――それは、突然の訃報だった。
雪幻の女王が逝去されたのだ。
国中が悲しみに包まれる中、ハティスもまた涙をこぼした。
身を切られるように辛かった。
けれど、彼以上に衝撃を受けたのは、彼女の騎士だったろう。
彼らは、女王とともに眠る道を選んだ。
「どうして? 生きていれば、次の女王様に」
仕えることができるのに。
そうこぼすハティスに、瑠璃の騎士がゆるく首を振った。
「そうじゃない。陛下がいらっしゃらないこの世にいても、意味がないんだ」
「意味が、ない?」
「おまえも、真実の主を見つけたら、わかるさ。陛下のために命を投げ出し、そしてともに眠ることが、どれほど喜ばしいことなのか」
晴れやかに笑う彼は、死を恐れていないようだった。
ハティスには、わからなかった。
――陛下を慕っていた。
それは、本当だ。
――騎士になりたかった。
それも、本当だ。
けれど……。
「ボクの主……」
陛下のためにすべてを捨てることはできない。
それは、きっと、彼女がハティスの主ではないから。
でも。
好きだった。
大好きだったのだ。
(ボクが、守るよ)
陛下が守ろうとしたこの世界を。
陛下が愛したこの世界を。
それが、ハティスにできる唯一のことだった。
「ハティス!? どうしたんだ、そんな格好して!」
「女手が必要なときがあるでしょ? わたくしが、陛下のお側にいれば、安心だもの」
あれから六年の月日が流れ、ハティスは十歳になっていた。
兄貴分のオルヴェが、驚いた声をあげるのに、ハティスはイタズラが成功したかのように笑った。
この日のために、いろいろ学んできたのだ。
女性らしい仕草の見本は、記憶にある女王の姿だ。優雅な所作は、それこそ貴族の令嬢にだって負けないだろう。
すべては、まだ見ぬ主のために。
力も、制御できるようになった。
背も伸びた。
知識も増え、この世界のことわりを知った。
なにより……。
ハティスは、首飾りを服の上から触れた。
(父さんも、母さんも、わたくしを捨てたんじゃないってわかったんだもの)
自分は、愛されていた。
小さな頃は、わからなかったが、今はわかる。
愛されていなければ、代々受け継がれてきた家宝を子供に託すことはしないだろう。
ハティスは、鏡を見つめた。
そこには、可憐な少女の姿があった。
透き通るような白い肌に、紅をささずとも赤い唇。漆黒の髪を結い上げ、飾りをつければ、色香さえただようようだった。
この飾りは、亡き女王陛下のものだ。
瑠璃の騎士が特別にわけてくれたのだ。
『陛下が生きた記憶を、おまえだけは、忘れてくれるな』
彼はそう言って、一筋の涙を流した。
そのとき、ハティスはなんと答えただろう?
ああ、そうだ。
『じょおうさまは、……ううん、みんなハティの心のなかでいきているよ。ずっと、……ずっと』
主を得たとしても、彼女たちの想い出が色あせることはないだろう。
「ハティス、んなところで寝てると、風邪を引くぞ」
「……オルヴェ?」
ハティスは、ぼんやりと視線をさまよわせた。
いつの間にか眠っていたようだ。
半身を起こすと、分厚い本が音を立てて床に落ちた。
「ほらよ……まぁた、小難しいのを読んでんな」
「……陛下をお支えするんですから、知識を深めることは大切ですわ。あなたも少しは、勉学に励んだらどうですの? このままでは、脳まで筋肉におかされますわよ」
ほほほっとさらりと毒を吐くと、オルヴェの頬が引きつった。
「ほんっと、容赦ないな。……ああ、そうだ。エルファーナが探していたぞ」
「っ、それを早く言って!」
ハティスは、部屋を飛び出した。
早く、早くと心が急く。
何事かと振り返る使用人の視線も気にならなかった。
(女王様、わたくし出会ってしまいましたの)
頬を薔薇色に染めたハティスは、エルファーナを求めて城中を走り回った。
(ただ一人の主に、出会ってしまいましたの)
敬愛する雪幻の女王とは似ても似つかぬ風貌だったが、彼女を目にした瞬間、雷に打たれたような心地がした。
ああ、彼女だ。
自分が求めていたのは彼女だったんだ、と気づいた。
雪幻の女王に感じた想いよりもずっと強い感情。
――心が、囚われた。
全身を走り抜ける激情に、涙が出そうになった。
先代の瑠璃の騎士が言っていた意味をようやく理解できたのだ。
きっと、浮き足立っているのは、ハティスだけではないだろう。
この身を捧げ、そして、共に生きることができる主人がいるのは、なんと幸いなことだろう。
「エルファーナ様っ」
中庭に、大切な主の姿を見つけ、急いで駆け寄ると、そこにはリゼたちの姿もあった。
銀の髪を煌めかせ、幼子のように花冠を作るエルファーナの姿に、ただ愛おしさだけがこみ上げてくる。
かつて、亡き女王に誓った想い。
彼女が愛したこの地を守る、と。
けれど今は、エルファーナのためにも守りたいと思った。
小さな主が憂えることない世界をつくりたい。
それが、ハティスの目標だった。
「わたくしに用があると伺いましたの」
「ハティーにも、花冠をあげようと思ったの」
はい、と差し出された花冠は、少し不格好だったが、ハティスには、一流の細工師がこさえたものに感じられた。
わずかに震える手で受け取ると、自分の頭に乗せた。
「うわぁ、お姫様みたい」
きらきらと目を輝かせて喜ぶ彼女に、なぜか胸が熱くなって、涙がこぼれそうになった。
きっと、これが当たり前になっていくのだ。
ハティスがいくら求めても手に入らなかったものが、今、ここにある。
もう、待たなくていいのだ。
いつだって、こうして、触れあえるのだから。
ハティスが望めば。
「ありがとうございます、エルファーナ様。一生、大切にしますね」




