瑠璃の騎士ハティスの追憶 その一
本編には、一文でしか登場していない人物ですが。
思い出すのは、あたたかい手の感触だけだった。
――良い子ね、その真っ直ぐさを失わないでちょうだい。
生後まもなく、定めに従って、教会へ預けられたハティス。
それから外へ出ることなく、教会の中で過ごすハティスは、いつも疑問に思っていた。
なぜ、自分には、物語に出てくるような父と母がいないのかと。
唯一、自分の身をあかすのは、母の家に代々伝わる首飾りだけ。
それだけが、家族との繋がりを示すものだった。
けれど、そんなささいな繋がりなど、両親の愛を求めるハティスには、なんの慰めにもならなかった。
悲しみは、苛立ちに変わり、ついに力を暴走させる彼に、周囲は腫れ物を扱うかのように接していた。
「坊や、どうしたの?」
だれもが距離を置く中、そう声をかけてきたのは、即位してようやく一年が経った雪幻の女王だった。
本来、女王が、八聖騎士を育成する教会を訪れることは禁忌とされている。
それを知ってか知らずか、人目を盗んで現れては、幼いハティスに声をかけてくる雪幻の女王。
ほっそりとした白い手が優しく頭を撫でてくれると、それだけでハティスの荒ぶっていた心は静まっていくようだった。
いつしか彼女の訪れを心待ちにするハティスは、窮屈な教会での生活も悪くないと思い始めていた。
だれよりも優しくて、そして、美しく、気高い女王。
母であり、姉であり、家族のような存在だった。
「ハティはね、いつかぜったい、じょおうさまの騎士になるの!」
きらきらと目を輝かせながら言うと、決まって彼女は、頬に手をやって困ったように首を傾げた。
「まあ、ハティス。それは、駄目よ」
「どぉして?」
「貴方が仕えるのは、わたくしではないの。それに、わたくしには、すでに有能な騎士が五人もいるわ。だからハティスは、ハティスが心から仕えたいと思った人に仕えなさい。それがきっと、貴方だけの主人よ」
「でも、ハティは、じょおうさまにつかえたいよ。ほんとうだよ?」
「ふふ、それは光栄だわ」
幼い睦言に、女王は決して頷いてはくれなかった。
(どぉして、ハティじゃだめなの?)
ハティスには、理解ができなかった。
だからこそ、彼女に愛される五人の騎士が羨ましくて、
憎くて、
ずるいと思った。
(ハティが、もっとはやくうまれてたらよかったの)
もっと早く生まれていれば、自分は彼女だけの騎士になって、いつも笑っていられたのに……。
くすぶった想いは、晴れることなくハティスの心の中に留まり続けた。
教会のそばには、美しい森があった。
その中心に、湖畔がある。
太陽の光に反射して、きらきらと輝く水面を眺めるのが、ハティスのお気に入りだった。
ハティスが岩の上に座って、ぼんやりと小鳥が羽ばたくのを見つめていると、決まって雪幻の女王は、目を覆い隠してくるのだ。
「今日の目新しいことはなあに?」
「ヒナが、お空をとべるようになったの」
彼女に教えるために、ハティスは小さな事でも見落とさないようになった。
「まあ、そうなの! ハティスは、よく見ているのね」
そう言って、優しく撫でてくれる彼女の手がくすぐったくて、どこか誇らしい気持ちにさせてくれた。
教会では、こんなに風に褒められることはないからだ。
いつものようにハティスが岩の上で雪幻の女王を待っていると、知らない気配を感じて振り返った。
そこには、精悍な面差しの男が立っていた。
「かわいそうにな」
挨拶もなしにそう吐き捨てる顔に見覚えがあった。
女王に仕える瑠璃の騎士だ。
ハティスにとっては先輩にあたる人物だが、こうして話すのは初めてだ。
「いつまで待っても、彼女は来ないぞ」
「……っ」
「おチビの相手よりも、もっと大切な用件がある」
顔を歪めるハティスに思うところがあったのか、男は舌打ちをした。
「陛下にも、困ったものだ」
「じょおうさまをわるくいわないでよ!」
カッとして言い返すと、男の表情がほんの少しだけ和らいだ。
少し屈んでハティスの顔を覗き込んだ男は、
「だが、おまえの心が壊れるだろ」
と、大きな手でハティスの心臓を服の上から触れた。
「いいか、オレたちにとって、陛下はただお一人。狂おしいほどの想いを抱いているからこそ、仕えるときの喜びはひとしおだ」
「……」
「でも、おまえの主は違うだろ? どれほど陛下を敬愛しようと、おまえはオレにはなれない。オレが死んでも、それは変わらない」
苦しいだろ?
彼はそう言って、ハティスの頭をぽんと叩いた。
その手は、女王陛下の手よりずっと大きくて、ごつごつしていて、けれどどこか安心できた。
「仕えたいと思うのに、仕えられないのは、苦しいだろ。陛下をお慕いしたい気持ちはわかる」
けれどな、違うんだ。
彼は、諭すように言った。
「かりそめの主人じゃ駄目なんだ。いくら心で欲しようと、本能には逆らえない。石が、――魂が、おまえに伝えてくれる。ただ一人の主を」
幼いハティスには、彼の言葉が理解できなかった。
きゅっと眉を寄せるハティスに、彼はただ、見つけろ、と言った。
「いつか出会えるさ」
オレのように、と目を細めた彼は、過去を懐かしむようにハティスを見つめるのだった。




