その二
雷鳴が轟く中、隅に大きな影を見つけた。
「!」
蝋燭を近づけると、それが毛布であることがわかった。
少し覗いた銀の髪に気づき、胸の中に安堵が広がる。
まるで、敵から身を守るように頭からすっぽりと毛布をかぶったエルファーナは、眠っているようだった。
「よかった……」
ため息を漏らしたリゼは、燭台を机の上に置くと、エルファーナを起こさないように抱き上げた。
毛足の長い絨毯が敷かれていない床は、冷える。板の隙間から冷たい風がほんの少し吹き込んできている。
毛布一枚で眠るには、寒かろう。
なのに、なぜ、こんな隅で……?
「……んっ」
硬い寝台にエルファーナを横たえると、彼女が身じろぎをした。
起こしてしまっただろうかと不安に思っていると、ドンッとひときわ大きく轟いた。
その音に驚いたのだろう。
パッと目を開いた彼女の顔が恐怖に引きつっていた。
「……っ」
「大丈夫です。怖くありませんよ」
安心させるように髪を撫でると、彼女の大きな目が見る間に潤みはじめた。
「どうしました?」
「リ、ゼ……?」
信じられないとばかりに呟くと、恐る恐るといったように小さな手を伸ばしてきた。
その手をしっかり握りしめると、強ばっていた彼女の体から力が抜けた。
「リゼ、リゼっ」
すがるように名を呼ばれて戸惑っていると、頬に涙あとを見つけて、ほんの少しだけ眉を寄せた。
泣いていたのだろうか。
きゅっとリゼの胸が苦しくなる。
もう片方の手で、涙あとが残る頬を指先でたどると、堪えきれなくなった彼女の目から大粒の雫がこぼれ落ちた。
「泣かないでください」
エルファーナに泣かれると、胸が痛み、どうすればいいのかわからなくなる。
「なにが貴女を苦しめているのです? 私が憂いを払って差し上げますから、泣かないでください」
「……」
けれどエルファーナは、震える唇をきゅっと噛みしめると、黙り込んでしまった。
声を上げることなく、ただ静かに涙をこぼす彼女に、リゼの双眸も曇った。
これが、彼女の泣き方なのだ。
独りで生きてきた彼女は、市井の子供だって知っている泣き方がわからないのだ。
泣き叫んでいいのだと伝えてあげたいのに、あまりに痛々しすぎて、言葉がでてこなかった。
そのかわり、繋いだ手に力を込める。
傍にいると、独りではないのだと、わかってほしかった。
「……エルファーナ。貴女が眠れるように、お話をしましょうか」
「お、はなし……?」
「ええ」
エルファーナの心が落ち着くようにと祈りを込めて、リゼは言葉を紡いだ。
それは、遙か昔の物語。
混沌より生まれた主神アル=バラは、自ら創りだしたその地で、とある娘に心を奪われた。
真珠のような美しい魂を持つ娘は、ある国の姫君だった。
「主神アル=バラの寵愛を受け、光り輝くように成長したある日、姫君のもとへ八人の騎士がやって来ました」
リゼの話に夢中になっているのか、きらきらと目を輝かせるエルファーナの目からは涙が止まっていた。
眦に残った雫をすっと指先で拭うと、彼女はくすぐったそうにはにかんだ。
それに胸があったかくなるのを感じながら、リゼは先を続けた。
「包み込むようなあたたかさで姫君を守ってくれる主神アル=バラではなく、凛々しく、賢く、時に姫君にも意見する彼らに、姫君はしだいに心を寄せていきました。籠の中で大切に育てるのではなく、新しい世界を教えてくれる彼らの一人と恋に落ちるまでそう時間はかからなかったのです」
主神アル=バラは、それを快く思わなかった。
大切に見守ってきた愛し子を人間に奪われた主神アル=バラは、怒りと嫉妬心から、ついに邪神を生み出してしまう。
すべてをのみ込み、破壊しようとする邪神に、八人の騎士が勇猛に立ち向かった。
けれど、人間が神に勝てるはずもなかった。
滅び行く世界を目の当たりにした姫君は、愛する騎士も失ったことに絶望し、自ら命を絶とうとした。
「ひどい……」
エルファーナの双眸が悲しげに揺れていた。
くるくる変わる表情が可愛くて、ついふっと口元を緩めたリゼは、そうですね、同意した。
「けれど、主神アル=バラも、ただ見守っていただけではありませんよ。たとえ、想われなくとも、姫君が悲しみのまま命を散らすことをよしとしなかったのです。
邪神に対抗できる力を人間に与えたのです。
主神アル=バラの力を得、見事、邪神との戦いに勝利をした彼らは、それを祝し、分かれていた地を一つに定めました。
そして、その地に新しい名をつけたのです。
『エル=ハド(光の地)』と。
これが、この地の創世物語です」
リゼが話し終えると、雷鳴も聞こえなくなっていた。
いつの間にか、移動したのだろう。
ほぅっと感嘆としたため息を漏らしたエルファーナは、眠たいのか、目をこすりながらリゼに訊ねてきた。
「姫君と、神様は、どうなったの?」
「主神アル=バラから大いなる御力をいただいた姫君は、天寿をまっとうしました。伴侶も得ず、城の中で暮らす彼女の傍には、主神アル=バラの姿があったといわれています」
「しあわせ、だったのかしら……」
独り言のような呟きを拾ったリゼは、エルファーナを寝かしつけるように毛布の位置を直すと言った。
「幸せのあり方は、人それぞれです。正解は、本人しかわからないでしょうね」
「そぅ……か」
エルファーナの目が、とろんとしてくる。
「さ、もう眠りなさい。話しすぎましたね」
「……あの」
エルファーナが、落ちてくる瞼を必死にあげながら、小さく声を出した。
「なんです?」
彼女の口元に耳を近づけると、逡巡したように口を開けたり閉じたりを繰り返した。
けれど、消え入りそうな声で、
「いっしょに、ねて、くれる?」
「エルファーナ?」
「ひとり、こわいの」
暗いのもこわい、とたどたどしく言葉を紡ぐ彼女。
ああ、そうかと、リゼの中に答えが落ちてきた。
隅で寝ていたのも、ずっとなにか言いたげだったのも、すべてこのことだったのだ。
「貴女の心の平穏がそれで保たれるなら喜んで」
二人で眠るには、少し狭かったが、小さなエルファーナを抱きしめれば落ちる心配もなかった。
リゼのぬくもりに触れ、安心したように眠る彼女の顔には、小さな笑みが浮かんでいた。
「貴女は、私が守ります」
それは、小さな誓いだった。
けれど、決して許されない誓いでもあった。
それでも。
今、この小さなぬくもりを手放したくなかった。
「貴女の未来が、光に満ちた輝かしいものでありますように」
祈るように呟いたリゼも、そっと目を閉じたのだった。




